遠くを見ていた。
鉄板に塞がれた窓の向こうにあるはずの景色をずっと見つめていた。
私は確かにその景色を覚えているはずなのに、最近になってその景色の記憶が無いことに気付いた。
多分きっと、変哲無い青空とかが浮かんでるはずなのだけれど。私が見てないうちに空が違う色に塗り替えられたりしてない限りは、多分。
私はずっと前からみんなと一緒にいたような気がするんだ。しかし私より物覚えがずっと良い彼はそれを否定した。
私たちはつい最近この学園に入学して、出会ったばかりなのだと。
「くん、大丈夫かね? まさかまだ寝ぼけているのか?」
「いいや、大丈夫だよ。大丈夫なはずだ」
心配性で生真面目で空気の読めない彼は、大層私を気に掛けているようだった。ぼんやりほっつき歩いて柱にぶつかるような私を、彼は大層気遣ってくれていた。
特に最近の私はぼんやりすることが多くて、彼の心配に拍車を掛けてしまっていた。
彼は私を実の肉親のように想い、甲斐甲斐しく世話をやいてくれていた。
それを拒む気力が私にはなく、彼の厚意に甘える形になっていた。
情けない、だらしのない人間である。
努力を怠る人間を嫌う彼は、こんな私を矯正しようと必死だった。
閉鎖された空間で、何か自分のなすべきことを必死に彼は追い求めていた。
彼は、私のなかに“目標”を見ている。自分の心を支えるための“目標”を、他者に求めている。
そんな気がした。
「まさか具合が悪いのか? 食事は摂ったのか?」
「食べたよ。石丸も見ていたはずだよ」
「ああ、そうだったな」
石丸。聡明な君のことだから大丈夫だろうけれど、“内柔外剛”って知っているかい。私は君がまさしくそれだと思うよ。必死に私を庇護することで自分を保つ君の柔さを、私は愛おしく思うよ。
かたいかたいその殻の下に、よりにもよって私を受け入れた君の愚かさが、とてもさみしい。
私なんかを受け入れてはいけなかったんだよ。君の新しい弱さになってしまうよ。私がすべてに気力を封じ興味を塞いだのは、かつて君のように優しい人に依存し、あげく失ったことがあるからなんだよ。
もうなにも失いたくないから、なにも要らないふりをしていたんだよ。
どうしてよりにもよって、ああ、君のように弱いひとが私の渇きに気づいてしまったんだろう。
ごめんね。
ごめんね。
私は久しぶりに涙というものを零した。
ちょっとのつもりが、君の存在は深く深く私の中に突き刺さってしまったんだ。
「くん!?」
「石丸。私は石丸が大好きだよ」
「え? ――ああ、僕もくんのことが大好きだぞ!」
「うん、ありがとう。でも、そうじゃないんだ」
この学園に閉じ込められてからだ。私の中には、靄が立ちこめていた。暗く重たげな靄の向こうにいる私は、私が忘れたすべてを知っている。私が不安定な理由も、学園が閉鎖された理由も、その子は全部知っている。私に伝えようと叫んでいる。
私だけでなく、目の前の彼のために。
「石丸。あのね、私たちの気持ちには相違があるんだ」
「くん……?」
真っ白で汚れひとつない学生服。石丸らしい、潔癖な姿。縋りそうになった私の手を、その白が拒絶している気がした。だから大人しく手を引っ込めようとした。なのに、石丸。君は掴んだ。
いけない。私の気持ちで、もう君を汚してはいけない。
赤い目が、私を捉えた。赤はいのちの色。君は命を剥き出しにして私に向き合った。痛々しいぐらい真っ直ぐで不器用な努力家の君に、私は酷く憧れていた。
好きです。どうしようもなく君に焦がれていた。でも傷つけたくなかった。だから君が君を失う前に、私を切り離してくれるように祈っていたのに。
私の中にあった友愛は、何処にいってしまったんだろう。
「やっぱり石丸は男の子で、私は女の子だったんだよ」
呟きながら、私は頭を下げた。
「ごめんね。ずっと友達をしていたかったのに。私は馬鹿で、君は優しすぎた」
彼は唇を引き結んで、じっと私を見つめていたと思う。私はひたすら、私の手を掴んで離さない彼の手を解こうとした。
不意に手が離れた。彼の手はがしっと音を立てそうな勢いで私の肩を掴んだ。びっくりして固まる私に、若干震えた声が響く。
「君が謝ることは、何もない!」
思わず私は顔を上げた。
彼は、瞳を潤ませながら、真っ赤な顔で、こちらを見ていた。
「君はもっとはっきり発言すべきだ。僕は鈍感だからね。……だが」
目を伏せながら、彼は珍しく小さな声で呟いた。
「その前に……ぼ、僕に……心の準備をさせてくれないか?」
私の中にあった、矛盾だらけの屁理屈が、音を立てて崩れていく。
抑えきれない愛情が溢れて溢れて、私はまた泣きそうになるのを必死に堪えていた。
「そ、その代わり、ちゃんと、全部受け止めてみせるからな!」
息が詰まった。
ぎこちなく私をなだめる石丸の優しさに、結局溺れてしまった。
君の柔くて脆い場所を私は知った。だから私は、そんな君の最後の砦にならなくてはいけない。
身を挺してくれた君の情に、報いるために。
塞がれた窓の向こうに、鮮やかな景色を思い描いた。
真夏の青空が良い。
それから、草木の緑が爽やかな香りを舞い上がらせる場所。
きっと、彼によく似合う。
そこまで考えて、ようやく私は、笑うことができた。
企画「二番煎じ」様に提出
お題「感情|愛情」
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