「なあ、飽きないのか?」

 私はゆっくり首を振って答える。彼は「そうか」と短く答えるだけ。すぐにモノクロの鍵盤へ視線を戻し、その指で繊細なメロディーを奏で始めた。
 私はアイドル、彼は作曲家。
 レコーディング前の打ち合わせとして彼の仕事場にやってきた私は、打ち合わせそっちのけで彼の演奏を聴いていた。
 演奏……と言っても、彼はアドリブで鍵盤を適当に鳴らしているだけなのだそうだ。彼からしてみれば自分の暇つぶし。だから私に「飽きないのか」と気を遣って聴いてくれたのだろう。
 また彼が振り向きかけた時、私はにっこり笑って口を開いた。

君にとっては適当な演奏でも、私には立派な音楽にしか聞こえないんです」
「――私が質問する前に答えるとは、舞園さんはエスパーか?」
「かもしれませんよ」

 君は一瞬だけ驚いたように目を丸めた。それからフッと笑って、またピアノに向き直る。小さな小さな微笑みだったけれど、初めて見たそれは、とても優しそうだった。
 こんな顔も、出来るんだ。
 いつも表情に乏しい君。ぼんやり眠たそうな眼差しで淡々と話し、レコーディングに立ち会い指示をしてくれるときなんかも必要最低限に言葉を絞っていた。
 コミュニケーション能力に乏しい彼を、不思議と嫌う人はいない。
 関わりを拒む訳ではなく、彼は本当に音楽のことしか考えていないのだとみんな判っているから。音楽に愛されていると同時に、彼は心から音楽を愛しているのだ。
 それに、君は――“超高校級のアイドル”と呼ばれる私を、全く特別視しない。彼自身も“超高校級の音楽家”と呼ばれていることを驕ったりしない。意識していない。ありのままの姿だった。
 そんな君の音楽に携われることを、私は幸せに思う。

「ねえ、君」

 こうして君の後ろ姿を見つめて、彼のピアノに身を任せている間は……アイドルではない只の“舞園さやか”として、私は心を落ち着かせることができる。

「なんだい?」
「私ね、君の背中、何だか好きになっちゃいそうです」
「背中? よりにもよって、ひょろっちいこの背中?」

 振り返ることなく、手を止めることなく君は話した。
 確かに、裾の長い黒色の学生服は、君の細身を際立たせてしまっている。頼りないように思えるかもしれないけれど、見た目だけじゃ君の芯の強さまでは判らないもの。
 君にしては珍しいくらい饒舌で、私も自然と口元が緩む。

「はい。そのひょろっちい背中が大好きです」

 もちろん、君のことも、ちゃんと。
 続きは心の中だけで呟き、私はそっと口を閉ざした。何だか顔が熱い気がする。
 この熱が引くまで、彼が振り向きませんように。
 穏やかなメロディーに身を任せ、私はひっそりと祈った――。


企画「藐然」さまに提出

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