『驕ったか、

 レグナの嗤うような声には何も返さなかった。彼の左腕は真っ赤に染まり、誰が見てもそれは怪我なのだと判るほど鮮やかである。そう、は怪我をした。彼自身の氷の息吹で傷を凍らせることで止血は済んでいたが、痛みは抜けないだろう。
 は反省や痛みから黙っているというよりは、ふてくされている。マナにはそう見えた。
 しかし。

「レグナ。は俺を庇ってくれたんだ。は悪くないよ」

 申し訳無さそうにノウェが呟いた。ノウェの脳裏に、が怪我をした瞬間の映像が蘇る。
 背後に迫っていたアンデッドに気付かず、とっさに割って入ってきたの血の飛沫が掛かったあの時。
 言いようのない戦慄が駆け抜けた。自分のせいで怪我をさせてしまった、と。血を散らしながらもアンデッドを凍りつかせ叩き砕いたの姿は、ノウェの心配よりずっと逞しかったけれど。
 俯くノウェに、レグナはやはり笑った。

『庇うという行動自体が驕りだ』
「レグナ様の言うとおりです」

 そしても、否定をしなかった。

「この無様さ。守れると驕っていたからこそです。僕はどうかしていたんでしょう」
「いいや、元はと言えば俺が――」
「僕の軽率さが招いたことです。……人間を庇う竜など……笑い種だ」

 は苦い顔のまま、歩き出した。追いかけようとするノウェを、マナが止める。「はひとりになりたいんでしょう」小さなマナの呟きに、ノウェはよりずっと苦々しい顔で俯いたのだった。


 は判っていた。
 自分があまりにも竜らしくないことを。人間を一番に恨んでいるはずなのに、人間に肩入れしてしまう矛盾。全ては愛する“母”のため。そのはずだったのに。
 遠い昔に、誰かが言った。
 お前の一族は、人間の作った偶像が命を持って生まれたのだと。
 本当にそうなのかもしれない。
 作り物だから竜になれず、中途半端に他者へ情を抱き、どっちつかずのまま大切な存在を失い――いつまで経っても、ひとりきりだ。
 水際でぼんやりと考える。
 揺れる水面に自分の顔が映った。線の細い、頼りなさげな顔。は自嘲するように笑った。彼の指先がゆっくりと水面に触れる。触れた先から水は冷え、ぱきぱきと小さな音を立てながら凍りついて行く。水面全体が薄氷に覆われるまで、さほど時間は掛からなかった。

「人間でもなくモンスターでもなく、僕は本当に作られたいきものなのかな」

 だとしたら本当によく出来たものだと思う。感情じみたものがあって、こんな力もあって。
 どこからどこまでが作り物なのか。作り物なら……さっさと砕けてくれないか。
 薄氷を押せば、容易くヒビが入る。
 こんな風に、割れてくれないか。



 呼び声にハッと顔を上げる。振り返ったその先には、ノウェがいた。

「ノウェ、どうしましたか」
「レグナたちはひとりにしておけって言ったんだけれど……怪我もしてるし、心配だったから」

 自分が怪我をしたかのようにノウェは辛そうな顔をしていた。は困った。力不足な己を呪った。自分がしっかりしていればノウェも気負うことは無かったのに。

「僕は大丈夫ですよ。これでも頑丈なんです。君にしろ僕にしろ、怪我をしたらレグナ様が笑うのは同じこと」
「でも、はすぐに死んでしまいそうで怖いんだ」
「縁起でもない」
「本当にそう思うんだ。思わせるんだよ、は」

 まっすぐな青い双眸に、は目を細めた。復讐に駆られた兄妹のすがたが、脳裏に浮かんでは消える。まだ何にも染まっていないノウェの瞳が、にはとても珍しいものに思えた。

「だから、が俺を庇おうとは思わないくらいに、強くなるよ」
「強くなってどうするんです?」
「守りたいものを守るんだよ。俺なりに、精一杯」
「そうですか。安っぽいですが君らしいですね。応援していますよ」

 投げやりな、皮肉めいたの呟きだった。しかしそれは、素直さを知らないなりの真摯さでもあった。どちらかというと鈍いほうであるノウェには、皮肉など通用しない。ぼんやりした言葉の中から自分に心地良い意味を掻い摘み、そっと頷く。

「ありがとう」

 あまりにも単純なノウェの思考が、は羨ましいほどであった。自身の命の生まれやらなにやらを考え込んで塞いでいたのが、馬鹿馬鹿しいほどに。

「馬鹿な子ほど愛らしいものですね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です」

 たとえ偶像でも構わない。
 これだけ言葉を交わして感情の波を感じることができるのだから。
 幾重にも重なる柵が、ほんの少しだけ消えたような気がした。

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