不意に現れたカイムが、呆けていたの手を掴んだ。
は文句を言いたげな目をしてカイムを見上げたが、口を開こうとはしない。それを良いことに、カイムは、の手を引っ張った。
カイムに引き摺られるようにして、は歩き出した。の慕う赤い竜の姿は近くにない。と言っても、姿が見えないだけで、そこまで遠くに行ってはいないはずだった。カイムと竜の間には“契約”があり、決して離れられない運命にある。日暮れには落ち合い、共に夜を越す。いつものことだ。そして今日もまたそうなのだろう。は深く考えないことにした。
カイムは恐らく、の面倒を見ているつもりだ。見た目だけで判断すれば、はカイムよりずっと幼い。実際はの方が遥かに年上で、単純な力ならばカイムを凌ぐはずだ。しかしは、二十余年しか生きていないこの男に、敵う気がしなかった。赤い竜との契約を抜きにしてもだ。
生というよりは復讐に執着するカイムの暗い執念を、は恐れていた。その執念がに向けられることは万にひとつもない。それでも尚、には脅威だった。
暫く歩くと、少し開けた場所に出た。同時に朽ちて割れた倒木が目に入った。カイムがそれを指す。座れ、ということだ。
「確かに、腰を下ろすには丁度いいですね」
カイムも座るのだろうと思い、は隅に寄って腰掛けた。「今日はこの辺りで休むと言うことですね?」の問いにカイムは頷いた。しかしすぐには座らない。
「カイム様?」
の呼び掛けにそっぽを向いて、カイムは林の中へと入って行ってしまった。
は唖然とした。だがそれを表すのは何だか悔しかった。
仕方なく、は薪用の枝を集めた。山になるだけ集めると、倒木にまた座った。カイムはまだ来ない。
人のことを連れ戻しておいて、あのひとは何処に行ったんだろう。は眉をひそめた。
「わざと生焼けの魚でも食わしてやろうか……」
自分でもよくわからないほどは不機嫌になっていた。夕飯を狩りに行こうかとも考えた。しかし別には食事を必要としないので、狩りはつまりカイムだけの為に行うことになる。何時もはそんなことを気にしないだったが、今日は何だか腑に落ちなかった。好きでもない、むしろ嫌いな方に入る人間なんかのために、どうして自分が動いてやらなくてはいけないのだろう。
そう思いながらもは、暇をもて余して野兎を一羽狩った。川を探しに行く間にカイムが戻ってきてはよくないし、この兎でも彼の食事としては十分な量だろう。と、そこまで考えてしまってからは自己嫌悪に陥る。どうもあの人間の為に餌を用意する習慣が身に染みているらしいことを痛感した。
その頃ようやく、カイムが戻ってきた。「カイム様――」反射的に呼び掛け、は固まった。
カイムは両手いっぱいに果実を抱えていた。この為にカイムは森に入ったのだろう。色鮮やかなそれらはカイムの無愛想さを立たせ、は反応に困った。
沈黙するの隣に座ったカイムは、の前に果実を広げた。ごろごろと転がる果実を、慌てては押さえた。
「カイム様、こんなに沢山どうしたんですか」
少し苛立ちながらが訊ねると、カイムは答える代わりに果実をひとつ手に取った。荒っぽく汚れを拭ったそれを齧り、味を確かめる。それからもうひとつ果実を取ると、同じように拭い、今度はそれをに差し出してきた。
食べろ、ということらしい。
は「いただきます」と軽く頭を下げてから、果実を受け取った。
一口含めば、甘酸っぱい果汁が口のなかに広がる。どちらかと言えば酸味の方が強かった。甘いよりは良い。
「食べやすい、ですね」
そう言ってが果実を食べ進めるのを見て、カイムも果実を食べ始めた。
(僕が以前“甘いものは嫌いだ”と言ったのを気にしてるのかな)
にまじまじと見つめられながら、カイムはあっという間に果実をひとつ平らげた。それを見ては、野兎の存在を思い出した。
「兎、食べます?」
は果実を置いて、代わりに小刀を出し、兎を捌こうと腰を上げた。
するとカイムも立ち上がった。に歩み寄ると、彼は、から小刀を取った。
「はい?」不審そうにが見上げると、カイムはじっとを見つめ返した。空いているほうの手で、に“座ってろ”と促しながら。
渋々は再び座った。
カイムは黙々と兎を捌き、火を起こす。
「声を失ってるんだから、黙々なのは当然ですけど……」
不機嫌そうな呟きに反応して、カイムが僅かに顔をの方に向ける。
「気にしないで下さい、ぼやきなので」
竜もぼやくのか、と言いたげなカイムの眼差し。
はむすっと膨れながら返した。
「ぼやいたって良いじゃないですか。竜がみんな母様みたいに気高く語れると思ったら大間違いですよ。なんてったって母様ですからね」
更には捲し立てる。自身、自分の勢いや不機嫌ぶりが不思議であったが、止まらない。
「だいたい何でカイム様って喋ってないのに騒がしいというか口煩いというか……僕を子供みたいに扱うんですか? 貴方、判ってます? 僕は竜ですよ? 姿なんてまやかしで、本当に貴方より年寄りなんですからね」
言い切ったと兎を食べるカイムの元に、丁度赤い竜が舞い戻ってきた。
『端から訊いていれば、どちらの方が幼いのか怪しいほどであったぞ』
「か、母様」
『それほどがカイムに心を許している表れであろう、なあ』
カイムとのやり取りは竜に知れているらしく、は面映ゆそうだ。だが反論しないところを見ると、どうやら間違ったことは言われていないらしい。
は、不機嫌というよりは、拗ねているようだった。
竜やカイムと対等に在りたいの心情が、少なからず伝わってくる。
心を許している表れ――。
カイムが人知れず小さく笑った。
彼は、座り俯くの方へ手を伸ばし、その頭をぽんと撫でた。何度も、優しく。
そのうち堪らなくなったのか、はがばりと顔をあげた。
「だから、子供じゃないですってば!」
真っ赤なまっかなその表情を見て、カイムと赤い竜は声もなく笑っていた。
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