※レッドドラゴンの契約以前に出会うお話なのでカイムが喋ります
カイムの左手がの首を掴む。「っ、う」少し苦しそうに息を漏らしたものの、の顔には淡い笑みが浮かんでいる。子を慈しむかの如く、は両手を伸ばし、カイムの頬に触れた。何度も彼の輪郭をなぞり確かめ、呟く。
「ふふ、綺麗ですね。オウジサマ」
「五月蝿い」
「僕を絞めたって、黒い竜とやらの居場所は判りませんよ」
「人に化け、人を惑わす銀の竜が。貴様の亡き同族と同じようにその眼をくり貫いてやろうか」
「出来もしないことを毎日飽きもせずよく言えますね。惑わされた当人だからこそでしょうか?」
カイムの左手は、少しずつの首を締め上げる。相変わらずの指先は、カイムの顔をくすぐるように動いていた。
と会ったのは一年前の冬。吹雪と共に、彼はカイムの所属する連合軍の屯所にふらりとやって来た。
カイムはを初めて見た時、“美しい”と思った。しかしその美しさは薄氷のように冷ややかで、脆そうで。触れたら砕けてしまいそうだった。そんなと情を交わすことを先に望んだのはカイムだった。は拒まなかった。
「お好きなように愛でてください、カイム様。それが僕の望みです」
「言われずとも、そうする」
他にも数多の兵がに惹かれていた。その誰よりも先にカイムはを捉えた。彼は、を片時も離すことなく、傍に置いた。の性別も、出生も、関係は無い。そう思っていた。
――故に、が戦の最中で竜へと転じた時は、頭が真っ白になった。
は人ではなかったのだ。ずっと自分を騙していたのだ。目的や真意は知れぬが、違いない。
祖国を奪った黒い竜が、カイムの脳裏に過る。
憎きドラゴン。悪きドラゴン。
すぐさまカイムは剣を手にした。竜と化したに剣を向けた。しかし、それだけだった。そこまでしか出来なかった。
敵を字の如くあしらったは、人の姿に戻った。戦の後とは思えぬ優雅な足取りで、カイムに歩み寄って来た。剣を構えたまま動けずにいる彼に向けて、両手を伸ばしながら。
「抱き締めてくださいな」
まるで静水のような声音が、カイムの耳に響く。笑うを見て、カイムは黒い竜の幻影を追い払った。
両手から剣が滑り落ち、を受け止める。
「あなたに僕は殺せないもの」
――そう、は囁いた。
そして今のところは、その通りに日々が過ぎている。
カイムはを愛している。だが同時に、深く恨んでいた。自分をこれだけ弄んでおきながら――へと依存させておきながら、時折が、まるでカイムを意識していないふうに振る舞うことが許せなかった。そんな時はの首を押さえつけては何度も激情をぶつけた。
これは愛情と呼んでも良いのだろうか? 許されないのだとしたら、どう呼べばいいのだろうか? これは、何なのだ。依存。憎悪。愛。複雑に絡み合って深くなっていくこれらは、何なのだ。
「いい加減に離して頂けませんか。さすがにドラゴンとは言え、首を捻られては痛いのです」
「死にはしないのか」
「ドラゴンが丈夫なのはご存知でしょう」
はやんわりとカイムの左手を掴み、首から離した。
手の平から伝わる脈を感じるのは嫌いではない。だからカイムは、残念に思った。さっきまで暴言を吐いていながらそんな感情を抱くのは、可笑しいかもしれないが。
正常な恋愛の仕方など知らないし、知るつもりも彼にはない。むしろ自分達にとっては“これ”こそが正常。常人が育むような生易しいものでは、カイムもも満たされはしないのだ。
「にしても、僕を何だと思っているんですか。眼をくり貫くだの首を絞めるだの……本当に僕を想っていてくれているのか不安になります」
「俺が好きでもない奴に触れるとでも?」
「思いません。ただあなたの愛情は、人間には重すぎて耐えきれないでしょうね」
「お前なら耐えられるという意味だな」
「あなたが望むなら、そう致しましょう。今までそうしてきたように」
くすくすと笑いながらは答えた。
カイムの問いかけは続く。
「何故お前は俺を怒らせる?」
「嫉妬に狂うあなたの姿が好きだからですよ」
「何故お前は俺を怒らない?」
「怒る理由がないんですもの。……あえて言うなら、戦となると人が変わるのを何とかしてほしいですかね」
「無理な相談だ」
「だと思いました」
カイムはを抱き上げた。すっかりカイムに身を任せながら、は楽しげに笑っている。
「僕たちはそっくりですね。愛に飢えていて、でもその形が“普通”じゃない」
「お前は人になりたいのか?」
「……そんな訳ないでしょう」
即答して、はカイムの首を撫でた。氷を操る力の片鱗か、触れた場所から冷気が伝わってくる。の悪戯のひとつだ。最初はカイムも驚いたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。
は続ける。
「僕の仲間を殺めた人間たちは皆クズだ、仇だ……。そう思ってわざわざこんな姿をとって、僕の仲間がされたように、惨たらしい方法で消してきた。僕は人間が嫌い。そんな僕に触れて生きている人間はあなただけ。あなたは、あいつらと違う……。僕とおんなじだから。あなた以外の人間には興味がないし存在意義も見出だせないのです」
このままが力のままに冷気の枷をカイムに与えれば、憎悪に燃える命も何もかも凍りつき、安らぎを迎えることができるのだろうか。の手にかかるのも悪くはないが、を残して逝くことはつまり、を他者に奪われる可能性を生むことになる。が心変わりせずとも、その誰かが無理に拐うかも知れない。そう思うと、カイムの心はざわついた。あの黒い竜を思い出す時に似た、不愉快にのたうつ感情たちが、精悍な彼の顔を歪ませていく。
「ありもしない不安を抱いてらっしゃるのですか」
カイムを見上げ、が笑っている。冷気を断った手を滑らせ、彼の首にしっかりとその腕を回し、歌うように呟く。
「あなたになら命を差し出してもいいけれど、それをあなたは望まないから。これからもこうやってすり寄ってあげる」
「すり寄ってあげる、か。何様のつもりだ」
は答えなかった。ただただカイムに身を任せて寛いでいる。
代わりには、
「……あなたは誰にも渡さない」
低く呻くような声で、そうカイムに囁いた。
――それは俺とて同じだ、。
カイムはを抱く力を強め、無言でそう応じたのだった。
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