朝起きたら、ベッドにいた。
 そりゃあ人間(俺は厳密には人じゃないんだが)寝るんだったらベッドで寝るし、朝起きたらベッドにいるのは当然だろう。そこはおかしくない。ベッドに俺がいるのはおかしくない。時々やらかす、ソファーで微睡むつもりが日付が変わっていたというパターンはノーカウントで頼む。だからつまり、何がおかしいのかって言うと……ベッドに俺以外の存在が入り込んでいるということだ。
 ベヨネッタ。俺みたいな中年をおちょくるのが大好きな、ある意味無邪気かつ妖艶なる魔女である。いつもとは違うラフな格好……どころではなく、ほぼ全裸のベヨネッタが、俺の胸にぴったりくっついて眠っているじゃあないか。
 あと俺も服を着てなかった。最後の一枚、下着だけは無事なのが感覚で判る。
 ……どうした、俺? というか、俺たち? 何が一体全体どうして、こんな状況に陥った?
 温もりとか感触とか半端な比喩は要らない見たままの状況。俺は必死に記憶を掘り起こした。昨夜俺は何をした? 確かバレンタインデー用にきらびやかなチョコレートが山ほど売っていて、あげる相手もいないのにそれを山ほど買って、たまには贅沢しようと山ほど食べて……ああ、クソ! 肝心なその後のことがぼやけてる!! チョコレートを貪っているときにチャイムが鳴ったような気はする。後が判らん! しかも頭が物凄く痛い!
 胸の中で地団駄を踏みながら、苛立ちをぶつけるように右手で頭をかきむしる。とにかく間違ったことが起きていないことを祈らなくてはならない。俺にとってベヨネッタは娘同然。こんな色気たっぷりの相手に娘というのはおかしいと一般男性なら思うだろう。だが俺は違うのだ。彼女を見ると、自分の中の父性に火がついて、面倒を見てやりたくなる。故に、異性としての諸々に踏み込んではいけない。そう誓った。彼女の母親のためにも……!

「……不機嫌そうね、
「えっ!?」

 いつの間にか俺にくっついて眠っていたはずのベヨネッタが起きていた。
 彼女の顔を見つめたまま俺が硬直していると、

「目の前にレディがあられもない姿でいるっていうのに、見るのは顔だけ?」

 と笑われてしまった。

、あなたって本当に欲がないわね」

 その後に、つまらないワンちゃん、と続けられたこともしっかり聞こえた。ベヨネッタはするりとベッドから抜け出ると、ベッドサイドのテーブルに引っ掛かってある服を着始めた。慌てて視線を逸らす。

「そんなつまらん男のベッドに何で入ってたんだい、お嬢さん……」

 背中を向けたまま俺が尋ねれば、ベヨネッタは淡々と答える。

「流れって感じかしら。昨日私がワインを持ってきて、一緒に飲んで……」
「ワイン……。そう言えば飲んだような……」
「ついでにあなたが隠してたウイスキーやブランデーや日本酒も引っ張り出して飲ませたわ」
「な、何だと!?」
「バレンタインデーにひとり寂しく菓子を貪るおじさまが、憂さ晴らし出来るんじゃないかと思ったのよ。酔い潰れる姿が見たかったのも事実だけど」
「そういえば……俺、物凄く酒臭いな……」

 飲み過ぎて記憶が飛んじまったらしい。頭痛にも納得がいった。だが、ベヨネッタが俺のベッドにいた意味がまだ判らない。
 俺が悩んでいると、「本当に覚えてないの?」楽しそうにベヨネッタが小声で笑う。いつもの眼鏡をかけた彼女の眼差しに、俺はどうしてか息が詰まる。

「……何もないわよ。“もう遅いから泊まっていけ”ってあなたが言ったから、泊まっただけ」
「いや、だから何で俺はベヨネッタに添い寝してもらってたんだ……?」
「逆よ、逆」

 酒臭いであろう俺に顔を寄せて、ベヨネッタは呟いた。

「あなたが私に添い寝してくれたの」
「ほ、ほあ!? な、なんで俺はどうしてまた……!」

 アルコールの無慈悲な襲撃により、俺の体は酷く動きが鈍い。立ち上がろうとすれば頭痛で視界が眩み、思わず頭を押さえた。

「二日酔いね。まあ、あれだけ飲んだんだもの。仕方ないわ」
「情けないな……良い歳して……」
「たまには良いんじゃない、新鮮で可愛いわよ。もう少しおねんねしてたら?」
「……いや、片付けねば……」
「ああ、そのぐらいしておくわよ」

 少し悩んだが、予想以上の不調に俺は参っていた。ここは彼女の厚意に甘えることにしよう。
 だがひとつ、確認はしておかなくてはならない。

「なあベヨネッタ。俺と一緒で嫌じゃなかったか?」
「私が嫌な男と一晩過ごすと思う?」
「……だよな。安心した、有難う」

 彼女が不快でなければ、それで良い。
 俺は再びベッドに沈んだ。


◆◆◆


 ベヨネッタが彼に添い寝をしてもらったのには、実はちょっとした理由がある。
 彼女はバレンタインデーというものに興味なかったが、が最近日本びいきであると知っていた。その日本では、バレンタインデーを、女性が男性に想いを告げる日として過ごすのだという。
 いつまでも自分を子ども扱いする――何故かは自身に“そう在らねばならない”と強いているようだった――彼に、ドキッとするようなサプライズでもしてみようかと、手土産のワインを抱え、の元を訪ねた。
 すると彼はバレンタインデーのきらびやかなチョコレートの山に埋もれ、その菓子をひとりで食べていた。「たまには贅沢しようかと思ってな」と何時も通りの落ち着いた顔で言い放ったを見た時、ベヨネッタは……脱力した。
 ――気を遣って損したわ。
 そしてベヨネッタは、へのサプライズを中止し、いつも通り相手をいじり倒すことに決めた。キッチンの戸棚にしまわれているの酒をありったけ引っ張り出し、彼を言いくるめ、酒を飲めるだけ飲ませた。そうしてすっかり出来上がったの姿をベヨネッタは楽しく眺めていた。
 だが、そんな魔女の想像を越える事態が起きた。

「お前がこんな大きくなって、立派なレディになって……俺は本当に嬉しいんだよ……」

 いきなりが泣き出したのである。父親のような言葉を呟きながら、零れる涙がテーブルにぽたぽたと落ちていくのが見えた。真っ赤な顔と真っ赤な目で泣き続ける様は、尋常ではない。

「ちょっと……大丈夫?」
「大事な時に守ってやれなくてこんなザマになっちまって……」

 ベヨネッタの声が届いていないのか、は苛立ちをぶつけるように何度も義手を右手で叩いていた。それが終わるとまた酒を煽り、話し出す。

「でもな、勝手だけどな、お前がいてくれて本当に本当に俺は嬉しくって幸せでたまんないんだ……。ジャンヌとセレッサが……いや、今はベヨネッタだな。ベヨネッタがさ、俺に顔を見せに来てくれたり、本当にもう感無量でさ。年寄りなりに何かしてやれることは全力でしてやりたくて。それこそ悪魔でも天使でもブチブチ潰しちまうくらいに……。ああ、いけないな、歳を食うと涙腺が緩んで……。言葉も滅茶苦茶だ……」

 ――ちょっと飲ませ過ぎたわね。
 これはこれで面白いのだが、妙にむずむずする感覚がある。
 十分にの酔いどれぶりを堪能したベヨネッタは、彼にそろそろ眠るよう勧めた。「確かにもう遅いもんな」ぼんやりした目で時計を確かめたは、彼女の提案に頷いた。だが、ここでもまたはやらかした。

「ああ、そうだ、ベヨネッタ。もう夜中だし、危ないから今夜は家に泊まっていきな」

 ベヨネッタは吹き出しかけた。本気では、夜道に女性ひとり歩かせては危ない、と心配しているのが伝わってきたからだ。普段のならば、ベヨネッタよりも彼女に近づこうとする男たちの心配をするところだというのに。

「送っていきたいとこだが、この有り様じゃ逆に迷惑になりかねん。男くさいベッドで悪いが、まあ、ゆっくり休め」

 ベヨネッタが笑いを堪えている間に、は彼女を寝室へと誘導した。彼が卑下した割には、掃除の行き届いた部屋だった。何か匂うどころか、生活感の薄い、本当に寝るためだけの空間といった印象だ。
 ベッドへベヨネッタを座らせたは、赤い顔を綻ばせ、彼女の頭をぽんと撫でた。

「おやすみ」

 そうして、ふらふらと寝室を出ていこうとする。
 ――何処まで子供扱いなの。
 もはや、そういったプレイだと言われた方が清々しいほど、酔っぱらい中年の素の顔。素の姿。
 だがこの程度で毒気を抜かれる魔女ではなかった。

。私、寂しがり屋なの。良かったら一緒に寝てくれる?」

 ベヨネッタのお願いに、は一瞬きょとんとした。本当に一瞬。すぐに笑った彼は、「昔を思い出すなぁ、ほら、狼の俺の毛に埋もれてさ……」などと言いながら、彼女と共にベッドへ入ったのだった。
 そうして朝を迎え、自我を取り戻したが、とびきり動揺した。半ば自分で蒔いた種だったのを、すっかり忘れて。
 しかし何故互いに服を脱いでいたのか。簡単な話だ。ベヨネッタが脱がせて、脱いだ。勿論、を動揺させるための細やかな悪戯。
 そして本当にただ添い寝していただけなのか――それ以上の何かがあったのかどうかは、魔女のみぞ知る。

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