昔、よく遊び相手をしてやった魔女の子供がふたりいる。紆余曲折あったが、ふたりとも今や立派な魔女となり、もう不可能かと諦め掛けていた彼女らとの再会を果たすことができた。以来、自分は度々彼女らと会うようになった。
 大抵は神出鬼没なベヨネッタの襲撃に休みを潰されるのだが、今日は先約がある。昨日、俺の職場にわざわざ足を運んでくれたジャンヌとの約束だ。

『明日、空いているか? 例のものを頼みたい』
『……判った。部屋で待ってるよ』

 例のもの。
 何だか大袈裟に聞こえるだろうが、別にそんなに大したことじゃあない。ただ彼女は人前でその内容を口にするのを控えているだけだ。そうして貰った方が、俺としても助かる。
 ――狼姿の俺に埋もれて存分に毛をもふもふしたい。……なんて、一般人が聞いたらちんぷんかんぷんだろうしな。
 と言うわけで今日、俺は自室にて狼に変身し、ジャンヌにもふもふされていた。俺の毛は柔らかいとは言い難い。しかし俺に体を預け、毛を撫で続けるジャンヌの顔には優しい笑みが滲んでいる。
 きっとこれで良いのだ。自分で言うのもなんだが、身嗜みには気を遣っている方だ。同族にしばらく会えていないから比べる術は無いが、ジャンヌは昔から俺の毛並みを気に入ってくれている。つまり俺の身嗜みへの気配りは、それなりに実を結んでいるのだろう。
 つい、フフンと鼻を鳴らしてしまった。

「どうした、
「いいや。少しご機嫌なだけさ」
「そうか」

 僅かに顔を上げて俺の目を見たジャンヌは、それ以上言及することもなく再び俺に身を任せる。
 可愛いものだ。兄と言うには俺は年寄り過ぎるかもしれない。しかし父と言うには経験が足らない。だが俺の抱くこの感情を言い表すには“父性”という言葉がしっくりくる。ジャンヌは俺にとって家族同然の存在だ。勿論、ベヨネッタも。しっかり者の長女がジャンヌで、お転婆な次女がベヨネッタと言ったところか? まあベヨネッタの破天荒さはお転婆なんて可愛いものじゃないが……。



 ふとジャンヌが俺の首もとの毛を引っ張った。自然と俺は彼女の方を向くことになり、視線を交わす。
 ん? 何だかご機嫌斜めな顔だな。

「今、ベヨネッタのことを考えていただろう?」
「よく判ったな。正しくは君とベヨネッタと言うか――」
「どっちにしろベヨネッタのことを考えていた事実に変わりはない」

 ぺしりと俺の鼻先を叩いて、ジャンヌは言った。

「今お前と一緒にいるのは私だ。考えるのなら私のことだけにしろ」
「……ヤキモチか。可愛いもんだなァ。そう言えば昔から君は彼女に比べて控え目で――」
「うるさい。大人しく私にブラッシングされていろ」

 ジャンヌの耳が赤くなっていることには触れないでおこう。
 何処からかブラシを取り出した彼女は、宣言通りに俺の毛を丹念にブラッシングし始めた。今度は俺が彼女に身を任せる番だ。

「背中を重点的に頼むよ、ジャンヌ」
「判った」
「あ、腹側はその、要らないからな」
「ふふ、判っている。安心して私に任せておけ」

 殆ど“伏せ”に近い体勢になる。
 時折頭を撫でてくれながら、丁寧に毛をとかしてくれるジャンヌ。あんまり気持ちよくて、睡魔がゆっくり歩み寄ってきた。俺は睡魔の誘いに乗らないよう、瞼を必死に開いて抗っていた。
 ジャンヌが折角俺のもとへ来たというのに、ここで寝てしまっては申し訳ない。クールな彼女が「もふもふ」を所望している時というのは、大抵、癒しを求めている時。愛娘同然であるジャンヌの願いを――しかも彼女の自分を律する心の強さからして、こういった頼みは慣れていないはずだ――果たさずして眠るなど、そんな父親などあっていいはずがない!
 実際に父ではないが、そのぐらいの深い情をもって俺はジャンヌに接している。こーんな小さい頃から見てきたからな。娘だ。魔女と狼男ってのはイレギュラーにも程があるだろうが、家族というのは血の繋がりのみが絶対ではない。気持ちが一番大事だ。
 同族の仲間を失った者同士としても、痛みや苦しみは十分に理解できるつもりだ。義手となった左手……いや、今は左前足か。それを見つめながら静かに思う。
 未だに自分を責める夜がある。あまりにも一方的で無慈悲な“魔女狩り”の日の苦しみ。あまらにも無力だった自分の愚かさ。俺ひとりが加勢したところでどうにもならなかったのは承知の上だった。しかし、それらは生涯、俺の心を焼き続けるのだろう。
 ブラッシングを終えたジャンヌの手が、俺の義手に触れた。

「……お前は昔からずっと、変わらず私たちを守ろうとしてくれていた」

 労るような言葉に、俺は目を細めながら返す。

「後手に回りっぱなしの力不足だったがな」
「それでも私は感謝している。守ろうとしてくれた事実と、昔から馴染みあるに再び出会えたことに」
「今日はやけに素直だな、お嬢さん。おじさんは照れくさいぞ」
「存分に照れろ。私ばかり照れるのでは割に合わないからな」

 俺の首に両手を回してジャンヌが笑った。縫いぐるみを抱える子供のように無垢な接触だった。ついつい俺も、彼女の頬へ顔を寄せるようにして首を傾ける。
 昔もこんな風にして寄り添ったことがあった。何度も、何度も。あれから随分と時は流れたが、こうして再び過去を懐かしみながら同じように過ごせることが、どんなに幸せで、尊いことなのか。
 俺は幸せで良いのだろうか? その答えは未だに見つからない。しかしジャンヌ、君には幸せになる権利がある。ベヨネッタもだ。俺がこうして傍にいてやることで君たちが幸せになるのなら、幾らでもそうしよう。
 若い子供たちに振り回されるのは今に始まったことでは無い。あの頃からずっと一緒だ。俺の方は、すっかり慣れてしまったよ。だから幾らでも縋ってくれればいい――。

「今度はベヨネッタも連れてくるとしよう」
「ジャンヌ、その時は前日に……いや前々日に連絡を頼むよ。栄養ドリンクを飲んで早寝早起きして体力もろもろを養っておかないと死にそうだ」
「そう言われると急に突撃したくなるのが乙女の性だぞ、?」
「とか言いながら君は昔から約束を守ってくれるじゃないか、ジャンヌ」

 笑われたので笑い返してみると、ジャンヌは少し間を置いて、

「年老いたに何かあったら困るからな」

 と、呟いた。
 確かに年寄りなんだが改めて言われるとなかなかこう、色々と痛感するものがある。

「……連絡は前日でいい」

 それは、年寄りなりに精一杯に張った意地。女性に口で勝とうなどと一瞬でも思った自分が馬鹿だったのだ……。

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