鉛色の空、分厚い雲を仰いだ。
 頭の中にもやが掛かったような感覚に、言葉も出ない。

「遊星……」
「――独りにさせてくれ」

 心配してくれたのであろうアキに、振り返らないまま返した。
 少しして、離れていく足音。
 ようやく独りになれた俺の頭に蘇ったのは、あの光景だった。

『遊、星』

 俺へ駆け寄ろうと踏み出しかけたの胸を貫いた、銀色の刃。
 掠れた声と共に口から血を零し、胸を鮮血で染め、彼はくずおれた。

――――!』

 の胸から剣が引き抜かれ、また血が溢れる。浅い呼吸を繰り返すの体を受け止めたのは、――プラシドだった。
 を刺した、男。
 どうして貴様が、に触れる。
 どうして……!
 あいつの腕の中で、はゆるりと顔を上げて、笑っていた。
 信じられなかったが、確かに見えた。
 痛いはずなのに。
 苦しいはずなのに。
 プラシドは、そいつは、自分の命を奪おうとしているのに。
 は、笑った。
 俺には判らない絆が、プラシドとの間にあったんだ――。

『良い顔だな。不動遊星!』

 俺を見て、あの男は嗤った。
 力無く瞳を閉じたを抱えたまま、俺を嘲笑った。

『苦しめ、嘆け、叫べ! オレは貴様のそういう顔が見たかったのだ!』

 血に汚れながらも、の顔は驚くほど穏やかだった。
 けれど、ひたすらの名を叫び続ける俺に、が答えてくれることは無かった。

『良いか、不動遊星。は、貴様に関わったせいで死んだのだ。貴様たちに関わったせいで、我らに仇なす者として、死んだのだ!』

 踵を返したプラシドたちが、ゆっくり歩き出す。
 言葉にならない声で叫びながら走り出そうとした俺を、仲間たちが力づくで押さえて引き止める。

『離せっ、離してくれ! が、このままじゃ……! !!』

 プラシドたちは一瞬で姿を消した。
 俺は叫び続けた。
 絶望に胸を押し潰され、力の入らない膝からくずおれながらも、ずっと。

『うぁあああぁあぁああああ!!!』

 ――俺は歩いた。
 行きたい場所が有るわけでもない。ただ、歩いていた。
 頭を巡るのは、との思い出ばかり。同時によぎる、途方もない喪失感と憎しみ。
 ああ、
 今度また一緒に出掛けようと言ったじゃないか。俺に案内させてくれる約束だったじゃないか。の好きな場所に行こうって、話したじゃないか。
 土砂降りの雨の中、俺がいたのは公園だった。が好きだった場所。
 それだけでまた叫びたくなったけれど、唇を噛み締めて堪えた。

……」

 何となく視線を巡らせた先。
 俺は凍りついた。
 見覚えのある灰色を纏った男。
 男が抱えている何か。
 少しして、抱えていたものを下ろした男は、立ち上がった。
 踵を返すなり、一瞬で姿を消してしまう。
 まさか。
 ようやく体の自由を取り戻した俺は、慌てて駆け出した。
 草原の上、横たわるそれに近づく。
 そして俺は、言葉を失った。

 ――

 真っ白な肌。うっすら口の端を汚す血。胸元は赤黒く染まり、体中が雨で濡れきっている。
 俺は崩れるようにのそばへ跪いた。
 手袋を外し、その頬に触れる。降り続く雨よりもずっと冷たかった。
 また、受け止めきれない現実が襲いかかってくる。

…」

 ゆっくり抱き締めた躯は、重たかった。幾ら縋っても、きつくきつく抱き締めても、は何も言わない。
 苦しいだとか、痛いだとか、何時ものように言ってくれないか。笑いながら、どうしたんだよって、返してくれないか。
 何時もみたいに。
 なあ。

「痛かった、よな」

 声が、体が、震える。

「俺が守るって、決めたのに。俺、守れなかったんだな。なのに……、お前は、どうしてこんなに優しい顔をしてるんだ」

 震えるのは、この雨の冷たさのせいじゃない。

「自分を殺した奴のそばでさえ笑って、本当に、お前は馬鹿だ。でも、俺はもっと馬鹿だな。こうなるかもしれないって、考えれば判ったのに。関係ないお前が、危ない目に遭うかもしれないって。なのにお前と一緒にいたくて、ただ“俺が守るから”って、そればかりで。結局、俺……!」

 何を今更懺悔したって、が戻る訳じゃない。
 俺に力がなかったせいで。俺が我が儘だったせいで。俺が守ってやれなかったせいで。俺が、俺が、俺が!
 視界が霞んでいく。の髪に頬を寄せて、俺は泣いた。涙は幾らでも零れて来た。だが、全部雨に流される。嗚咽も、この雨音にかき消されていく。
 止まない雨の中で、ずっと泣き叫んだ。
 俺も、の体と同じくらいに冷たくなればいい。
 そんな思いに反して、俺の体はぬるい温度を保ち、との溝を思い知らされるようだった。
 比例して増していく、憎悪。
 何故、だったんだ。
 何故、殺したんだ。
 自分の手で殺めておきながら、何故、縋っていた――!?

「……なあ、

 俺は、許さない。
 お前を奪った、あの男を。
 絶対に許さない。
 あの男だけは、この手で殺す。
 殺してやる。
 今度こそ、殺してやる。

「だから……もう少しだけ、待っててくれ」

 この街のことも、あの男のことも、全て終わったら。
 また一緒にいよう。
 迎えに行くよ。
 逢いに行くよ。
 だから、待っていてくれ。
 何時ものように俺の考えをたしなめたり、誉めたりする声は無い。
 俺を支えていた君の存在は、永遠に失われた。

「好きだ、。ずっと、ずっと。大好きだ……」

 頭の中は驚くほど片付いていた。を抱えて、ゆっくり立ち上がる。
 迷わない。決めた。俺は。
 胸の中で渦巻く行き場の無い愛情を、脳が無理矢理押さえ込んで蓋をした。

「雨、止まないな……」

 そう呟いたつもりだったが、激しい雨音に麻痺した鼓膜では、何も判らなかった。

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