むかし、むかし。見送った家族のすがたは、次第に輪郭を失い。いやだいやだと偏狭なる自分の脳味噌に抗ってみるも意味は無く。大事で大事で仕方なかった温もりを喪ったことを、あんなに悔やんで辛さに咽び泣いては自分を責めたのに。今ではそれを度々思い返しても、もう涙することは無くなった。家族たちが安心してあちらで過ごしていられるように、ひとりでもたくましく生きていこう、なんて。ありきたりに思ってみた。引きずり過ぎたら生きていられないから、都合の良い距離をとっただけなのに。身勝手な自分を、亡くした家族たちが恨んでいる様子は無い。みんなが枕元に立つこともなく、祟りを起こすこともなく。死んでも、彼らはやはりお人好しで、脳天気で、あったかいままなんだろう。
しかし、今回ばかりは怒られてしまうかも知れない。
「あれ、落とした……?」
前の世界からお世話になっているパスケース。あれが無い。パスケース自体は百均の奴だからどうでもいい。中に入れてある家族写真、それをなくしたことが問題だった。今の俺を支える超重要アイテムだというのに。毎朝、あの写真を見てから活動するのが俺の日課なのに。大事な大事な家族の、数少ない集合写真なのに。
情けないことに、泣きそうだった。喉がぎゅうと痛くなり、目頭が熱くなる。慌てて頭を振って、気合いを入れた。探さねーと。大事なんだから!
何処で落としたろうか。バイト終わった時はまだあった。自販機でサイダー買った時とかかな。わかんねえ。とりあえず俺は来た道を引き返した。
噴水広場やら大通りやら、とにかく道を歩いて探し回る。
カードなら何枚も落ちていたけれど、俺のパスケースは見当たらない。焦りで余裕がなくなっていくのが自分でも判った。やばい。知り合いになった子供たちに聞いてみてもめぼしい情報はゼロ。ますます俺は追い詰められた。
薄暗くなった秋の空が、俺にタイムリミットを告げているようだ。
もう一回、バイト先までの道を辿ってみよう。それでなかったら、また明日。
そう決めて、踵を返したときだった。
「?」
真っ赤な髪と真っ赤な服。猫っぽくて大きくて綺麗な目。アキだった。
普段なら軽く挨拶を交わすところだが、あいにく今日は余裕が無い。愚かな俺は「あ、アキちゃん?」などと呟き、見れば判るようなことをいちいち確認してきょとんとしていた。
俺の動揺を察したのか、アキは苦笑した。こつこつと靴底を鳴らしながら、俺に歩み寄って来る。
「良かった。丁度あなたを探してたのよ」
「え?」
「これ、あなたのじゃない?」
笑う彼女が差し出した小さな長方形の品。俺はそっとそれを受け取った。この安っぽさ、ケースにある学生証、家族の集合写真。……間違いない。俺が落としたパスケースだった。
「あ、あ、ありがとうアキちゃん! 俺、これ探してたんだぁぁぁぁあ! よかったぁ……!」
大げさなまでに声を張り上げて感謝の意を伝える俺に、アキはちょっと首をかしげて笑ってみせる。女の子のこういう仕草の可愛らしさは異常だと思った。
「よっぽど大事なものなのね。ちょっと悪いなとは思いながら中身を見たら、あなたの名前や写真があったから。届けようと思ってね」
「うん、うん! マジ助かったよ……! これがないと俺、もうやばくって!」
「……あなたが異世界から来たこと、忘れかけていたわ」
不意にアキの声は穏やかになった。
「帰るまで会えないんだものね、その写真のご家族に……」
なるほど。賢くて勘の鋭いアキは、俺が家族の写真を探していたことを悟ったらしい。ちょっとだけ違うのは、俺がもとの世界に帰れば家族に会えるのだと思っていること。
俺はつい笑ってしまった。
「いやまあ、会うっていっても墓前だけどね」
「え?」
「事故で死なれちゃったからさ。よくあるハナシだろ?」
明るく話したのは逆効果だったろうか。アキは辛そうに目を細めて、俯いた。「ごめんなさい、そうだったのね」申し訳なさそうな呟きに、俺は慌てて返した。
「き、気にするなって! それにほら、間違いなく会いはするし! 親戚が近くにいないから墓掃除するの俺しかいなくって……大丈夫だから!」
「私の方があなたに気を遣わせちゃってるわね。本当にごめんなさい」
「いやいや大丈夫だから! アキちゃんに写真見つけて貰えて、本当に安心したし!」
これは事実だった。本当にほっとしたんだ。たかが紙切れかもしれないけど、この紙切れが一緒だとひとりじゃないって気がして。ちょっと寂しくもなるけど、これは大事な心のより所だった。
俺のせいでアキを凹ませるのも忍びない。彼女は散々苦労してきたのだと聞いている。こんなことで沈むより、馬鹿やってはしゃいで年相応に笑って過ごすべきだ。
俺の必死の願いは聞き届けられた。アキは気を取り直したように顔を上げる。
「あなたって本当に明るいのね」
「こういうキャラがいると楽でしょ? 素でこんなんですからねオレサマ!」
「ふふ、そうね。……写真、もう一回見せて貰っていい?」
「どうぞ」
俺の横からのぞき込むようにして、彼女はパスケースの写真を見た。
「こちらはご両親?」
「そ。んでこっちが妹」
「へぇ、妹さんは父親に似たのね。は母親似ね。笑い方がそっくりよ」
「そっか!? 似てるって言われたことないから嬉しいな……」
「家族なんだから、何処かしら似るものでしょ?」
悪戯っぽく笑うアキの姿に、一瞬どきりとした。
これは男なら当然の反応だと思う。こんな美人にちょっと上目遣いで微笑まれて、反応しない奴はむしろおかしい。
おまけに。
「みたいな息子に恵まれて、ご両親は本当に幸せだったでしょうね。――お兄さんとしてはちょっと頼りないけれど」
こんなこと、言われたら。普通なら、どうにかなっちゃいそうじゃないですか!?
笑いながら歩き出すアキに、俺はしばし時を忘れていた。
「置いてくわよ、」
彼女に呼びかけられ、はっと我に返る。
「おいアキちゃん! 地味に俺ダメ出しされたよね? ヒドくね? 近所じゃ良いお兄ちゃんの代名詞だったんだぞぉ!?」
「へー、予想外すぎてびっくりしちゃったわー」
「ますますヒドい!」
もう二度と落としてなるものかと、いささか乱暴にパスケースを学生ズボンのポケットへ突っ込む。
ポッポタイムを目指しているのであろう彼女の背を、俺は駆け足で追いかけ始めた。
けれど、ポケットの中がどうにも気になった。結局悩みに悩んだ挙げ句立ち止まり、パスケースを引っ張り出す。もう一度写真を確認してから、決める。
学生服の内ポケットにパスケースを入れると、俺は改めてアキを追い掛けた。
もう、落としたりしない。
次も彼女が拾ってくれるとは……この世界の誰かが拾ってくれるとは、限らないのだから。
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