美鶴に頼まれた奏夜が、ゆかりを追って部屋を出た。しかし、なかなか戻らない二人を心配して、順平も出て行った。
そして応接室には、武治、美鶴、そしての三人だけが残っていた。真田と風花は、既に各々の部屋に戻っている。
「……ふわぁ」
が大きな欠伸をした。自然と美鶴たちの視線が集中する。
緊張感の欠片もない自分の行動を恥じつつ、は半笑いを浮かべた。
のそんな様子を見て、美鶴は未だ重々しい空気を引き摺りながら口を開いた。
「眠いなら部屋に戻って休んで良いんだぞ、」
「いや、ははっ、すいません」
美鶴に小さく頭を下げ、気を取り直す。
は部屋に戻る気はなかった。――少なくとも、今はまだ。
不思議そうに美鶴が首をかしげる横で、はおずおずと武治を見た。
「改めて、とんでもない事故だったんですね」
「……すまない」
「いや、そんな。大丈夫です」
ぎこちない沈黙が部屋を満たしてしまう前に、は再度口を開いた。
「ちょっと、質問しても良いですか」
は内心緊張していた。武治の外見は言いようのない凄みを感じる。しかしは、実験の話を聞いてからずっと確かめたかったことがあるのだ。
そして、皆がいない今こそチャンスだと、武治を見た。
武治が無言で見つめ返して来るのを、は承諾と受け取った。
意を決して、口を開く。
「あの事故で、学園の生徒には“本当に”被害が出なかったんですか」
「それは……」
武治は、言い掛けて止まった。を見たまま何故か沈黙してしまう。「お父様?」と美鶴に呼ばれて、武治はハッと我に返った。
彼の反応を見て、は確信めいたものを感じながら続けた。
今まで仲間達にも打ち明けていなかった、抱え込んでいたものを。
「10年前の事故の日、俺の姉が、行方不明になりました。姉は、月光館学園に通ってました。高等部の三年生でした」
「何だと……?」
美鶴が目を丸めた。何も知らないのだろう。
今まで何故言わなかった、と言いたげな先輩の顔に、は申し訳なさそうに事情を話す。
「桐条先輩から、寮でタルタロスの話を聞いて、ゆかりちゃんが『生徒に怪我人は無かった』って記録に有ったって言ったの聞いて、ずっと引っ掛かって。聞きたくて聞きたくて仕方なかったんです。でもあんまり皆に聞かれるのもアレだし、できれば確実な答えが欲しかったし」
は、苦笑いを浮かべながら二人を見ている。怒るでもなく、責めるでもないの優しい表情は、見る側に辛いものを滲ませてしまう。
少しずつの声は、感情を抑えきれなくなっているようであった。
「姉の友達の話じゃ、事故の遭った日、学校に忘れ物を取りに行ってそれきりだって。ぱったり消えちゃいました。でも、あの事故の被害を受けた生徒はいないんですよね? じゃあ姉は、何処行っちゃったのかなって。何があったのかなって」
が俯く。武治が何も答えないのを見て、諦めたように零した。
「……判りませんよね。生徒の記録、『怪我人なし』ってされるくらいですから」
「……」
何時も軽快な笑みと口調を忘れない彼らしくない、酷い沈みようだった。
いたたまれなくなったように、美鶴は父を顧みた。
「お父様……。どうにか調べる事は出来ませんか?」
「調べるまでもない」
「え、一体それは……」
娘の言葉を遮るように手を上げ、武治はを見た。
「確かに、事故の当日、姿を消した女生徒がいた」
ハッとしたようにが顔を上げる。
問い詰めたい衝動を、拳を握って堪え、は武治の言葉を待った。
彼は、の欲しい答えを持っていた。そして、淡々と説明を始めた。
「その生徒は、事故に巻き込まれ、字の通り姿を消してしまった。遺品も、何も、見つけてあげることができなかった。恐らく事故で――」
「お父様、それ以上は」
思わず父の言葉を美鶴は制止した。事実を言い切ってしまうのは酷だと思ったのだ。
既に答えが出てしまっているようなものだとしても――。
娘の意思をくみ取ったのか、武治はそれ以上何も語らなかった。
もで、美鶴なりの気遣いを感じたのか、ぎこちないながらも歯を見せて笑ってみせた。
「……だいたい判りました。しんどい話聞いてすみませんでした」
頭を下げたに、美鶴はどう声をかけたらいいのか判らなかった。
ありきたりながらも、何とか言葉をひねり出してに答える。
「辛いのは……君のほうじゃないか」
「切り替え早いんです俺」
はその言葉通り、今度こそ明るく笑ってみせる。
「それに! お二人が揃ってそんな苦しい顔してたら、怨みつらみがあったってぶつけ辛いっすよ」
からかうようないつもの調子のにすっかり戻っていた。
の台詞に対して、武治と美鶴は無意識のうちに互いの顔を見合わせてしまう。
その様子を、は「微笑ましいですなー」とぼやきながら頷いて眺めている。
「……もしかしたら、悪運強い姉のことだから、死んだフリして何処かで生きてるかもしれませんし? 何はともあれ、話が聞けてサッパリしました!」
はようやく席を立った。んー、と間延びした声を上げながら、組んだ両手を真上に掲げて背筋を伸ばす。
「じゃ、おやすみなさいです!」
は軽やかな挨拶とともに部屋を出た。
……少し間を置いて、耐え切れなくなったように美鶴もを追った。
◆◆◆
前方を進む後輩を、美鶴は努めて冷静な声で呼びとめた。
「」
「んあ? ……桐条先輩?」
は意外そうに目を丸めて振り返る。
大袈裟に首を傾げて、美鶴の顔を見つめながら話し始めた。
「どうしたんすか。親子水入らず話す事とか……」
「君は、本当にそれで良いのか?」
美鶴には理解出来なかった。
は、家族を失っていながら、怒りも悲しみも見せない。
先のゆかりのように、美鶴たちに向かって怒鳴りたくなるのが普通の筈だ。
お前たちのせいだ、お前たちのせいで、お前たちなんかが……! そんな激情が溢れてくるはずなのだ。当事者に対する負の感情が、いくらでも。
それなのに、は何もしなかった。姉が巻き込まれて死んだと言う事実を確かめただけで、すんなり引き下がってしまった。
どうしてそんな風にしていられるんだ、君は――?
美鶴がぶつけた疑問に、はやはり笑って答える。
「恨み言とかね。もう散々言ってきましたから」
「……え?」
美鶴は目を丸めた。
答えた瞬間のの眼差しが、まるで別人のようだった。
深い深い闇に落ちたような、光を手放した暗い瞳。
まるで――それは死のような――。
しかし、すぐに光はの目に戻る。何時もの目をして、は先輩に返した。
「腹が立ってない訳じゃないけど、もっと腹が立つことが今の俺にはあるし。大丈夫ですよ」
まだ美鶴が何か言いたそうなのは気付かないふりをして、は素早く歩を進めた。
――正直なところ、恨まない訳が無い。
しかしは今までの経験上、そういう感情を整理する事が得意だった。
両親とも疎遠な彼にとって、失われた姉の存在は大きすぎた。そのせいかもしれない。あらかたの感情を押し込めて周りに見せないでいられるようになったのは。感情を出すことは、姉といた時、姉が消えた時、散々やったのだ。そして疲れたのだ。荒れた気持ちを表現することに。
――先輩たちは悪くない。悪いのはアホな実験を始めた鴻悦って奴だ。
「だから、大丈夫」
言い聞かせながら、は自分の心臓を服の上から押さえるように右手を当てた。
久しく忘れていた荒い感情の波に顔を歪め、独りで耐えながら。
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