ラーメン屋・はがくれ。
夏休みのせいだろうか、来客者には若者が多く、その分賑やかな話し声が多い。
換気扇や冷房を駆使しても蒸し暑い厨房と客席とを行き来し、は忙しなく動き回っていた。
「……この間ポートアイランド駅んとこで死んでた奴さ、ウワサの復讐依頼サイトのせいじゃないかって」
そして人が増える分、奇妙な話も多い。
カウンター席に座る、派手な格好の男2人組の話が、否が応でも耳に入ってくる。
様々な経験上、聞き流す技術は持ち合わせているのだが、その内容がどうもの中に引っかかった。
“復讐依頼サイト”
も新聞やニュース、クラスメイトのうわさ話などで知ってはいた。
「あれ事故じゃねーの?」
「にしてはオカシイって話。胸に穴空いてたらしいぜ? それに…確かに依頼した、って話してた奴いたんだってよ!」
「マジかよ、シャレんなんねー……」
遂に最後まで聞き流せずに、結果、胸中に靄がかかるような不快感が残ってしまった。
は無意識のうちに、溜息を吐いていた。
「アホくさ……」
自然と零れた言葉は、誰に向けられたものかはともかく、の本心そのものだった。
◆◆◆
「ちゃん」
今日の勤務を全うし帰ろうとしたところであった。
優しい男性の声で呼び止められ、はくるりと振り返る。
「イズミさん?」
イズミさん。彼はバイトの先輩にあたる青年だ。長い前髪で顔の上半分を隠していて、しかし気さくで人当たりの良い人物である。ただ、痩せ気味で、最近は顔色も良くない。次第に悪化しているような気もして、はイズミの健康状態が酷く心配だった。
そんなの思いなど露知らず、イズミは、血色の悪い頬を緩ませて微笑む。
「最近物騒だろ? 近くまで送るよ」
「でも、イズミさん……娘さんの面倒は?」
「今日は真希さんが休みだから、少しなら平気だ」
真希さんとは、先にが指した“娘さん”の母親である。イズミはその真希親子の住むアパートに居候していて、娘さんとは血が繋がっていないものの良好な関係を築いている。つまりはもうからしてみれば、イズミはその娘の父親同然に見えていた。
――だから、早くお家に帰ってパパしてあげたらいいのにって思うのだけれど……。
お人好しで親切なイズミの厚意を無下にするのも気が引け、は頷いた。
人通りの少なくなった道路を二人並んで歩く。
「物騒というか、気味が悪いな」
「ですね……」
イズミの視線は、影人間に向いていた。道の脇に座り込んだ女、棒立ちの男、生気のない白い顔――。
世間では謎の無気力症として伝えられているが、彼ら……影人間とは、シャドウに心を食われたひとたちのことである。
満月が近くなったため増えるだろうと予測はしていたが、やはり見慣れないものは慣れない。
あの光が抜け落ちた目が、シャドウのそれに似ていて恐ろしいのだ。
はひっそり眉を顰めた。
「そうだ、ちゃん」
「はい?」
唐突に話し掛けられ、は慌てて顔を上げる。
何を思っているのかは判らないが、イズミがいつもより真剣な目をしていることに気付いた。
「ちゃんはさ、復讐代行サイト……知ってるか?」
「え?」
「あー、深い意味は無いんだが。バイト中、その手の話に嫌そうな顔してたからさ」
バイト中、という指摘には思い当たる節があった。あの若者たちの話に対して、一言吐き捨てたことである。誰も気付かないだろうとぼやいたのは不用心だったようだ。
自分の未熟さに反省しつつ、「すみません」と謝ってからは答えた。
「ただ、結構噂になってるからなぁってだけです」
「依頼しようとか、思うか?」
「思いません」
は即答した。
あまりに素早い切り返しにイズミが唖然とするのも他所に、は少し熱のこもった声で理由を述べる。
「復讐してやる! ってぐらいに憎い奴がいなかった訳じゃない。復讐が悪いとも思えない。けど代行して貰うってのは違う気がして……」
語尾はしょぼくれたようにしぼんて行ってしまった。考えこむことに意識が寄ってしまったのである。
復讐がどうだこうだ、というより、復讐を仕事に選んでいる人間がいるということがには大きかった。
それが純粋に怖かった。
全ての人間に愛される人間なんていない。だからといって、些細な争いから生まれた勢いで“復讐”されようものなら……。
知らぬ間に人は人を傷つける。それは自分も、同じ。
いつか自分も突然、誰かの復讐を受けるかもしれない。
もしくは、感情を抑えきれずに、誰かに復讐したくなる日が自分も来るかもしれない。
様々に考えれば考えるほど恐ろしくなって、は頭を振った。
そんなを見つめ、イズミは小さく頷いた。
「まあ……一理あるかもな」
「そうですか?」
淡く微笑んでイズミはを見る。何処となくを安心させようとしているような雰囲気が感じられた。
よほど自分は落ち込んだ顔をしていたのだろうと、はひっそり反省した。
「それに、やっぱり女の子が復讐代行とか物騒な話に触れたらよくないよな。ごめん、不躾だった」
「いえ、そんな」
イズミの気遣いに、は破顔した。
――本当に良い人だ。こんな兄がいたら楽しかったかもしれない。
未だ申し訳なさそうなイズミに、は深く考えずに口を開く。
「イズミさん、まさか“依頼”したいんですか?」
イズミが目を丸めた。
何となく零したの言葉は図星をついてしまったらしい。彼にとっては予期せぬ深みに迫る質問だったようだ。
呆気にとられたようなイズミの代わりに、は悩みながら再度口を開いた。
「……イズミさんみたいに優しい人が復讐を依頼するなんて、その相手は、よっぽどの人なんでしょうね」
絞り出した言葉はの本音だった。
これもまた思わぬ反応だったのであろう。に対して、イズミは恥ずかしそうに頬を掻いた。
「俺、優しいか?」
「イズミさんと暮らしてる娘さんたちが羨ましいぐらいに」
「そうか、ありがとう」
イズミは顔をくしゃくしゃにして笑った。家族への情愛に満ちている。しかし、子供のようなその笑顔は、一瞬で閉ざされてしまった。
……真顔のまま、イズミは空を仰いだ。
藍色の浸透した空に、ほぼ半円に近い月がぽつりと浮かんでいる。
イズミはゆっくりと語り始めた。
「俺が昔、この土地で世話になった女性がいたんだ。その時は事情があって、ろくに礼も出来なかった」
懐かしむような声音である。
は静かに、イズミの言葉に耳を傾けた。
「けれど先月またこの地に戻って来て。お礼をしようと思ったら、その人はいなかった」
イズミの視線が空から落ち、を捕らえる。
「――殺されたんだ」
冷たい刃物のようだった。普段とは別人のように鋭い眼光。今まで聞いたこともないほど寒々とした、憎しみの込められた声音。
は震えそうになった。素早く脂汗の滲んだ手をぎゅっと握り、拳にして耐える。
イズミは続ける。
「なのに世間は“事故”だって取り合ってくれなかったって、息子さんが言ってた。……彼女も、幼い子供を残して逝くなんて、無念だったに違いない」
まるで自分のことのようにイズミは顔を歪め、話す。
普段の彼が優しいがゆえに、一際強い危うさを感じさせた。
「だから世間は頼れない。復讐代行しかないと思ったんだ」
イズミの話に、は瞬きした。
社会では歪められてしまう事件――。まるで、影時間の起こす矛盾に似ていた。
影時間に起きた事件は、現実時間では別の事象に変えられてしまうのである。
例えば、5月に起きたモノレールのオーバーラン事故。あれも影時間にシャドウが引き起こした事だったらしい。
もしかしたら、イズミの話すその事件も影時間に?
――いや、考え過ぎだよな。
シャドウ退治をしているせいなのか、つい影時間やシャドウを引き合いに出してしまう。もしシャドウのせいだったとしても、やはり、イズミたち一般人に伝える術がない。
うまく言葉を返せない自分が何だか情けなくて、は俯いた。
「イズミさんの立場なら、自分も、多分同じ事考えてます。……けど」
そして答えられない代わりに、イズミと向かい合い、は言った。
「なんか、危なそうです。気を付けて下さいね。恋人さんと娘さんの為にも」
やはり気の利いた事が言えない自分に苛立ちつつも、その言葉はなりの精一杯だった。十数年しか生きていない子供では、それが限界だった。
しかしその気持ちは、イズミに伝わったらしい。フッと強張っていた表情を緩ませ、彼が笑ってみせる。
「ちゃんも、気を付けてな」
イズミの忠告に、は強く頷いて答えた。
その後、を寮のそばまで送り届けると、イズミはすぐに踵を返した。
半円の月の下、遠ざかるイズミの背中をじっと見つめる。
一瞬、その姿が黒く滲んだような気がして、は息を呑んだ――。
***
イズミさんは、小説版ペルソナ3「シャドウクライ」に出て来る人物です。ストレガのジンたちの知り合いかつペルソナ使いでもあります。復讐代行サイトに触れておきたかったことと、イズミさんを出してみたかったこともあり、番外編で打ってみました。
Top