※荒垣が健在です
2月14日、日曜日。
は上機嫌であった。
幸いなことに寮にいるのはコロマルのみ。後のメンツは思い思いの方面に、思い思い誰かと出掛けているのだろう。
自室の冷蔵庫に隠しておいた品をラウンジのテーブルに一旦置いて、まずにんまり。それからは、コロマルを呼び寄せた。
「コロマル、プレゼントであるぞー」
「ワンッ!」
きっちり目の前におすわりしたコロマルを一撫でし、は頷く。
この日のために用意しておいたとびきりのドッグフード。がそれを出してあげるなり、コロマルは千切れんばかりに尻尾を振る。「いいよ」とが言うと、コロマルは律儀に一鳴きしてからドッグフードを食べ始めた。
そんなコロマルの様子には笑い、るんるんとキッチンへ向かった。
今度は、自分へのプレゼントだ。
――なんてったって、今日はバレンタインだもんね。
自分で作るのも良かったかもしれないが、手間を考えるといまいちの選択である。確実に美味しいものを取り揃えているお店から購入することがベストであろう。
何より自分へのご褒美なのだ。たまにこのくらいの贅沢をしても許されるはず。
はホットミルクを手に、踵を返した。
ラウンジには、ドッグフードを貪るコロマル。あとは自分のみ。改めて確認すると、はソファーに腰を下ろした。
部屋から持参した箱をるんるんと開き、笑う。シーズン関係なしに予約殺到の某有名店プレゼンツ・ガトーショコラ。チョコレートをより一層美味しく味わえる素晴らしいケーキである。しかし大層甘いので、は今回お供のドリンクとして牛乳を用意した。
「さぁて、いただきますかぁ!」
両手を合わせて、がいざケーキを食らわんとしたその時だった。
「良いもん食ってんな」
「ぎゃおうっ!?」
は見事に跳ねた。
慌てて声を辿り振り返る。真後ろに立つのは、ニットキャップを被った目つきの悪い上級生。荒垣であった。
背もたれ越しにとケーキをのぞき込み、荒垣は笑う。昨年負った大怪我からすっかり回復した彼は、以前とは違う子供っぽさをたまに見せるようになった。
そんな先輩を見上げながら、は努めて朗らかな笑顔を浮かべる。
「……荒垣さんもいかが?」
「お言葉に甘えるとするか」
独りきりの時間を壊されたことは残念ではあるが、満更ではなかった。はすぐさま荒垣の分のミルクを用意し、ケーキを取り分けた。あまりに柔軟なその対応は、荒垣が思わず笑うほどである。
「悪ぃな」
「いいえー。今日バレンタインだし。みんなが来た場合にあげようとしてた予備チョコも用意してはあったんですよ」
「ああ、今日はバレンタインだったっけか」
「はい。で、荒垣さんは特別だから、特別なケーキをお裾分けです。ひとつのものを二人で分け合うなんて可愛いですよねぇ! えっへっへ!」
「お前はよくそう言うことをさらっと言えるな」
「悪い気しないくせにー」
ニヤニヤ笑うの額を、荒垣は容赦なく小突いた。痛さに「でっ」と叫ぶを見て、荒垣は笑い返す。
「確かに悪くは無ぇ」
「でしょでしょ。こんな美人と優雅なバレンタインを過ごすなんてなかなか無いですよ~?」
「はいはい美人だ美人だ」
「えっ、今の流されたら俺むちゃくちゃ寒い人じゃないですか!?」
「大丈夫だ。見た限りは一応美人だ」
なあコロマル、と荒垣が話しかけると、コロマルは同意するようにワンと鳴いた。ドッグフードは既に平らげてしまったようである。今度は犬も食べられるデザートを買ってきてあげよう。はひっそりと決意した。
そんなの横で荒垣は黙々とケーキを食べ進める。表情から察するに、お気に召したようだ。も早速ケーキを味わうことにした。
「んまーい! けど甘えー!」
騒がしいのリアクションに、荒垣は緩い笑みを浮かべる。こんなに喜んで貰えたら、ケーキも本望に違いない。
ほんの少し前までの戦いが嘘のような、穏やかな時間。予想さえしなかった、本当に穏やかな。みんなが、みんならしく、笑って過ごす時間。ひっそりと待ち望んでいたもの……。の笑顔は、それを物語るようであった。
「荒垣さん」
「何だ?」
「嘘みたいに幸せですよね」
荒垣は目を丸めた。馬鹿のように緩んでいたの顔が、瞬く間に引き締まっていた。何かを懐かしむような、噛みしめるような神妙な面もちである。
今は消えた影時間に、彼はよくこんな顔でタルタロスを見上げていた気がする。
「――」
どうやら、考えていることは同じだったらしい。荒垣は何となしに、後輩の名を呟いてしまった。
しかし、の顔はすぐにまた緩む。荒垣が何か言う暇はあっさり潰された。
「いやー! 次のバレンタインは野郎と寂しく過ごすんじゃなくて、素敵な恋人と幸せに過ごしたいもんですね。お互い!」
あまりにも素早い切り替えに、いささかしてやられたような気分になる。からかうようなに、荒垣は内心もやもやしつつも言い返してやることにした。
「良い手があるぜ、」
「は、はい?」
不敵な荒垣の笑みに、何となくが身を縮こめる。緊迫から逃れようとが牛乳をそっとすすった瞬間を、荒垣は逃さなかった。
「その恋人、俺で手を打ってみたらどうだ?」
が牛乳を勢い良く吹き出したのは、言うまでもない。
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