「はい、アイギスちゃん」
そう笑ってさんが差し出してくれたマグカップを、わたしは小さく頭を下げてから受け取った。
中身はホットココア。成分を分析するなんて無粋な真似はせずに、さんがソファーに座るのを見つめる。自分用のココアをすすりながら、さんは、「我ながらうまいわ」と笑う。わたしも早くココアを飲まなくてはいけない気がして、ぐいっと口内にココアを注ぐ。
「勢いよく行くねぇ、やけどとかしない?」
「わたしは機械です。お忘れですか」
「あー、うん、そっか。忘れてたわけじゃないけど……しないなら良かった」
俺は猫舌だからつい、ねえ、と、さんが苦笑を零す。火傷とは、わたしがオーバーヒートして行動不能になるようなもの。この程度の熱量でわたしの体に異常など起きはしない。
さんの手はマグカップを辛うじて支えている。彼が熱いものが苦手なのもあるだろうけれど、カップ自体それなりの熱を有しており、人の手では熱すぎるから。わたしには当然、温度を認識してもそれ以上の何かを感じることができない。
「熱いですか、さん」
「うん。アイギスちゃんは熱くないんだね」
「はい。温度計測の機能は有していますが、それだけです」
「でも機械って熱持つとあまりよくないんでしょ」
「この程度でしたら問題ありません。万が一の際は、内蔵冷却装置で事足りるでしょう。オーバーヒートは例外ですが」
「そっか、なら良いんだ。うっかりホットココア出してから熱いの駄目だったらどうしようって思ってたから」
「牛丼もつゆだけで嗜んでいます。ご心配には及びません」
「つゆだくならぬつゆだけ……。そんなの出来るんだね……」
さんは興味深げに頷いていた。わたしには当然のことがさんにとっては珍しくて仕方ないらしい。その好奇心を隠すことなく彼は言動に含めてわたしとコミュニケーションを図る。でもさんは好奇心まみれの馬鹿というわけではなく、ある程度の節度を保ち、言葉や行動に示してみせた。“仲間ならではの距離感”とでも称せば適切だろうか。わたしが人間について学習したいのと同じように、さんは機械について学習したいのだ。きっと。
ココアを30%程度摂取してから、今度は逆にこちらからさんへ質問してみた。
「さんのココアは不思議な点があります」
「なに?」
彼が首を傾げると同時に、艶のある長い髪もふわっと揺れる。
わたしの人工毛髪とは違う、本物の髪。初めてお会いした時に比べて、少なくとも5cmは伸びている。
さんがわたしの問いを待ってくれているのに感謝して、続けた。
「他の皆さんが淹れるココアと同じ成分のはずなのですが、さんの淹れるココアは特別美味しい、と、天田さんが言っておられました。順平さんもゆかりさんも、皆さん、天田さんと同意見でした。しかしわたしが幾ら分析しても同成分と判断されます。つまり、違いが判りません。さんのココアにはどんな仕掛けが施されているのでしょうか」
わたしとしては至って真面目な問題だったけれど、さんは、何故かふっと笑って、
「それが気になって、いきなり“ココアが飲みたい”って来たのね。納得した」
あはは、ととても穏やかな笑い声を立てた。わたしにとってはその笑顔も重要な学習事項である。表情筋の動きから、笑い声の大きさ等、ひとつたりとも記録し損なわぬように見つめた。
ひとしきり笑い終えたさんは、マグカップをテーブルに置き、うーんと腕を組んで考え始めた。
「正直言うと自分にも判らないけれど……何だろう、あれじゃね。俺、ばーちゃんから教わったやり方で淹れてんだ」
「ばーちゃんですか」
「そう」
マグカップを再び手にしたさんは、「まずココアを適量いれるでしょ」と、スプーンですくったココアをカップへ入れるジェスチャーをした。
「そのあとに、ちょびーっとお湯を入れて、ココアをよーく練って練って~……」
スプーンをぐるぐる回している風の丹念な動き。マグカップにはまだ飲みかけのココアがあるはずなのに、さんのジェスチャーはまるで本当にココアを作っているようなリアリティを放っている。
「ここに、温めてた牛乳を入れてぐるぐるして~……完成!」
「なるほどであります」
料理のひと手間と似ているのかもしれない。さんは同年代の人間に比べると、そういったこだわりが深く、そのこだわりを貫くための腕前を持っている。生き死にがかかっていたからだと言っていた。どれほど荒れた環境に置かれていたのかわたしには予測することしかできないが、培った力を今は楽しんでふるえているのは幸いだろう。
「あとはそうだなぁ……時によっちゃ、バターとか練乳とか、チョコ入れたりもするなぁ~。まあ気が向いたらだけど。ほとんどこんなもんよ。みんなと変わらんでしょ?」
「……ココアの粉を練ることに意味があるのかもしれません」
「そういや、ばーちゃんが『練って粉っぽさ無くなると美味しくなる』って言ってたな……。でもみんなやってるでしょ?」
「皆さんの淹れ方を確認したわけではないので断言はできませんが、順平さんは粉を練っていませんでした。お湯の量ももっと多かったと記憶しています」
「俺のココアは美味しいんじゃなくて、ただ濃いだけなんじゃないのソレ」
「濃いと美味しいは異なる表現です。皆さん、さんのココアを『濃い』ではなく『美味しい』と言っていました。やはりさんのココアは何かが違うんです」
皆さんが「違う」と言うのに、わたしだけ「同じ」にしか感じられない。仕方のない現実に、わたしの回路は不自然な巡り方をした。何かが引っかかるような……実際は何ともないのだけれど、納得するためには今一歩なにか不足しているような、曖昧な状態。
ココアを飲み終えたさんが、急にこんなことを言った。
「アイギスちゃん、やっぱ乙女ってこういうの気になるの?」
「……はい?」
確かにわたしの体は女性型である。けれど『乙女』という表現は相応しくない。なにせわたしは機械なのだから。見た目だけは人間でいう女の子や乙女かもしれないが、機械であることを知っているさんがそんな誤った表現を用いたことに、多少わたしは混乱を覚えた。
「ゆかりちゃんや風花ちゃんも、ココアのこと前に聞いてきたからさ~。桐条先輩も。何だか女性陣はココアの秘密が気になってしゃーないらしい。秘密って秘密もないんだが」
「わたしを女性陣をくくるのは果たして適切なのでしょうか」
「え? だってアイギスちゃん女の子じゃん」
「外見上はそうでしょうが、人間に用いるべき区別にわたしを入れるのは不適切なのではないでしょうか」
「……なんか最近のアイギスちゃんはそここだわるよね」
空になったマグカップを置いて、さんは笑った。
「自分は機械だ、人間じゃないって」
「事実、ですから」
「うーん、奏夜くんみたいにゃ上手くいかないか、俺だと……」
どうしてあの人の名前が出たのだろう。そしてわたしの回路の中心が軋むような感覚がしたのだろう。
さんが何か、わたしの為に心を砕いてくれているのは伝わってきた。困ったような、寂しがるような苦笑を浮かべて、わたしをじっと見つめている。
「でも、やっぱりアイギスちゃんは女の子だよ」
力及ばずで申し訳ないけれど、とさんは席を立ち、わたしの分のマグカップも回収してキッチンヘ向かった。
ドアの閉まる音。わたしはひとり、ソファーに座り俯いていた。
回路の軋みは錯覚だ。認識に何故か不備が起きていて、なのに、部屋で一通り点検しても何ひとつ問題は見当たらない。
わたしの中でココアが処理されていく。人のそれとはまったく異なる形でココアではなくなっていく。その味わいも深みも秘密もなにひとつわからないまま。
……気が付くとわたしはさんを追っていた。キッチンの戸を開いて、シンクに立つさんに呼びかける。
「さん」
「ん?」
振り向いた彼に、自分でも不思議なことにこう言った。
「わたしにさんのココアの作り方を、実際に見せてください」
わたし自身、どうしてこんなことを申し出たのか理解できていなかった。なんの意味も無い、特別なことはない、それでも、どうしてか反射的に出た言葉がこれだった。
ココアに秘められた謎。魔法、とでも呼ぶべきでしょうか。
わたしは、さんの『魔法』を知りたかった。
この頃ずっとわだかまる何かの解決に、少しでも近づけるような気がして。
……わたしの申し出に、さんはいつものようにカラリとした笑顔で頷いてくれた。
「良いぜ、お嬢さん。何ら変わったことしちゃいないけどネ」
その笑顔に、わたしは、改めて「お願いします」と頭を下げた。
Top