――魔力供給してみませんか。
プログラミングされているかのような機械的な調子でがそう言って差し出したのは、真っ赤な左手だった。
ぽたぽたと滴り落ちる血を見て、特に慌てるでもなく、驚くでもなく、私は対処する。
「随分と派手に切ったわね」
「やらかしちゃいましたね。ペン先を交換するときは気をつけなきゃといつも思ってるんですがたまにやらかしちゃうんですよね。ほら、使い込んだペン先って引き抜きにくいから。こう、パックリ行っちゃうわけですわ」
「必死に平静を装って出血を抑えようとする心意気は認めるわ。でも」
私は彼女の指の傷をすぐに清潔な布で隠してしまって、傷の原因となったペンとやらを軸もろともゴミ箱に放り投げた。よくないわ。こんなもの。私の許しも無くの手を引き裂くなんて。ぞっとしたわ。とても、ええ、とても。血を見てぞっとするなんて、二度と無いと思っていたのに。
床に零れた血もありあわせのもので拭いてみたけれど、じんわりと赤黒いしみが誤魔化しきれずにいるのを見ると、もっとちゃんとしたもので掃除しないといけないのでしょう。でも、そんなことは後回し。
「我慢せずに泣き腫らしたほうが痛みは和らぐものよ。さあ、存分に泣きなさいな。どうせ私しかここにはいないのだから」
「……カーミラさん」
年甲斐もなくわあっと泣き出すと、彼女は私の胸に飛び込んできた。躊躇ない飛び込みを躊躇なく受け止める自分にも驚いた。慣れとは恐ろしいもの。
「いってええ!! すっごいいってえです! バッカみたいにペン先のクソヤローが固くて! もうつけペンなんて使わない!! 畜生! カーミラさんの手も煩わせるし! いだいいだいいだいぃぃぃいいッ!!!」
「良いわ。そうやって泣けばいいのよ。どんどん啼きなさい、その品のない情けない声で」
「ああっ確実に貶されているのに褒められてる気さえしてくるのはなぜ!? にしてもイッタイいたいひりひりピリピリする骨までいったんじゃないかってぐらい指くっついてるの不思議なくらい痛ぃぃぃいいい!」
「安心なさい。派手に切れてはいても深くはなくてよ。切り離してほしければそうしてあげる」
「いやいやいやいやくっついてないとキーボードすっごい打ちにくいから大丈夫ですっ!!」
ぎゅうっと人の腹をコルセットか何かのように締め付けてくるの腕の力の強さに笑いそうになりながらも、私は彼女の手を改めて掴んで様子を確認した。まだじんわりと血が滲み続ける包帯。一度取り換えた方が良さそうだった。
「落ち着きなさい、包帯を変えるだけだから」引き剥がされると誤解したがびったりくっついてくるのを窘めて、私はの左手から真っ赤になった包帯を取り外す。魔力供給。彼女が唐突に呟いた言葉に、そっと目を細める。確かに体液の多くには魔力が満ちていて、私たちサーヴァントが存在するためには必須だ。けれどマスターでもない彼女が供給する義理も義務もないし、私たちへの魔力は特例としてこのカルデアの設備が多くを賄っている。別に、の魔力を頂戴するまでもない。
けれども、私にとって血は甘美なるもの。
「の血は、とても甘くて好きよ」
「ああ、前に私が唇裂けた時に言ってましたね……。カーミラさんって初心なのか大胆なのかわからない」
「語弊があるのではなくて? 私はあなたの唇から直接ではなく、指先で傷口に触れて、ついてきた血を舐めてみただけよ」
「十分にもう似たようなもんじゃないですか、間接キスです間接キス」
それにしてもカーミラさん包帯まくのお上手ですよねぇ、とさっきまでのぎゃあぎゃあ騒ぎとは一転してふやけた顔のを見ていると、何だかこのまま穏やかに終わらせてしまうのは思う壺なのではないかと感じた。
一度巻きかけた包帯をすべて解いて、私は、の傷口に唇を寄せる。
「か、カーミラっ、さ!?」
そっと舌先で傷口をなぞる。きっと痛いでしょうね、そう思いながらの顔色を窺うと、痛みより羞恥が勝った赤ら顔で私を見下ろしている。――人を初心呼ばわりしておきながら、あなたも十分初心じゃなくて?
痛みが増す前に名残惜しい血と傷から離れて、今一度包帯を巻き直した。
の手がとても熱い。私の手はどれほど胸が高鳴ろうとも、冷えたままだから、よくわかる。
「……なんて顔してるの、」
「そういうカーミラさんだって顔赤いじゃないですか」
「あら、そうなの?」
無意識のうちに頬へ伸ばした手へ、の手が重なる。どうしても何もない。は何故か私の頬の温度を確かめようと試みたのだ。私の手を握りながら、ふやけた頬でが言う。
「うーん、ほんのりあったかぁい」
「馬鹿ね、私が温かいわけがないじゃない。私がどんな英霊か知っていて?」
「知っていますとも。うら若き乙女たちの血を求め、若さを求め、美しさを求め、吸血鬼と呼ばれるまでに至ったチェイテの吸血鬼。吸血鬼は美しい姿をしていると伝承でよく聞くんで、ああ、本当にそうなんだろうなって思っていましたとも、少し前までは」
口内で血と魔力の残滓を味わっていて私に、この愛らしくいじらしい小娘はしたり顔で頷くのだ。
「実のところは、他人よりかなーり美人で可愛くて、しっかりしてるけどたまにポンコツっちゃうとっても人らしいひとだって」
――私がポンコツ、ですって。
そんな妄言、きっとマスターかこの子じゃなかったら許せないでしょう。少し前ならどちらにも許せなかったでしょう。マスターとの出会いが奇しくも私に情や絆という人間めいたものを再び芽吹かせる前であったならば、この手に鎖と楔を持って彼女の失言を笑いながら断罪しても良かったでしょう。それらを思い描けど良しとしなくなったのは、私がカーミラたる所以を何故か出し惜しむような真似をするようになったのは、不思議と心地よかった。悪くはない。悪くないわ。寧ろ、あの血を浴びていた恍惚とした空虚より、ずっと、むしろ、いとおしく、この心を捉えて離さない魔性の依存を持っている。
私には手段を選んでいる暇など無かった。老いる事実、迫る戦、強いられた決断、落ち着く間など無くただただ狂うしかなかった。それはきっと今も同じ、ゆるりとした時を与えられはしても、手段を選択する余裕はない。
ただ愛おしさのままに、この幼くも大人びた娘の心身をこの手にしたいと。
「ポンコツは、あなたから伝染ったものよ。お陰でチェイテだか姫路城だかピラミッドだか知らない場所では苦労したわ」
「いいえ、いいえ。カーミラさんという女性の魅力の一つとして内在しているものですよ」
「何が魅力よ。欠点でしかないじゃない」
「美人の欠いたそこを埋めるのが、とても楽しいんですよ。キレイにできるかはともかく」
猫のようにすり寄るの頭を撫でて、私は嘆息した。
「あなた、この私に手を出すからには完璧にしてみせなさいよ」
「焦って歪なほうが、誰かにとられる前にって必死になった感じがしてよくないですか?」
ああ。そういうこと。なんとなく知れた。も一人で勝手に何かを焦っているのね。まるで私が誰かに攫われるのではないかと勘違いしている。毎日モニターと向き合い戦争を続ける彼女にとってもまた、のんびり手段を講じるという考えはないのだ。私たちはとても似た者同士、バロック真珠のようにゆがみを持つ者同士、その不安定なカーブを互いの窪みへと嵌め合わせようと懸命に身をよじっている。
急いた欲求、探求。
ペンの軸を捉え損ねて指を切るらしい。
そしてそんなせっかち娘に気を許した私に相応しい。
この瞬間も私たちは戦っている。主導権を求めて、どこか剣呑な光を瞳に宿して。
「、良いかしら」
「なんでしょうカーミラさん」
彼女の頬を撫でながら私は、その一歩先を目指して告げる。
「あなたの血のもっと奥、その魔力を私に注いで頂戴」
は熱っぽい溜息を吐いて、小さく頷いてみせた。
:企画「vanilla」さまに提出
Top