とても悲しい夢を見た。あまりに悲しくて寂しくて、夢の中で何度も彼の名前を呼んでいた。恥ずかしげもなく助けを求めて、繰り返し、くりかえし。夢だとは思えないほどにきつく苦しかったのに、いざ目を覚ますと、あれだけ苦しめられたはずの夢の内容を思い出すことが出来なかった。ただただ悲しかった。そして助けて欲しかった。親を見失った子供のように泣きながら、声を必死に絞り出していた。そう考えて頬の違和感に気付いて手を当てた時、涙で濡れていることに気付く。しっとり、というよりびちゃびちゃに濡れた顔は、流石に気持ち悪かった。でも、ひたすらに助けを求めていたことを思い出すとそちらの方が気にかかって、恥ずかしい。服の袖で乱暴に涙を拭ってから両手で顔を覆った。
だって、私がひたすらに名前を呼んだ相手は、すぐそばにいたのだから。
「……大丈夫?」
「大丈夫じゃないですドクターロマン」
ベッドそばの椅子に座ってこちらを伺っているであろうロマンの苦笑いを想像しながら返答する。
「助けて、ロマン、助けて、って5分ぐらい呼ばれてたよ」
「地味に長い……。ごめんなさい」
「いや、良いよ。でも夢の中じゃあ助けを求められてもどうしようもないからなぁ」
そっと手の覆いを外してみると、やっぱりロマンは苦笑しながら私を見ていた。あまり困ってはいなさそうで、それだけが幸いだった。いつも通り、何かに少し怯えているせいで微妙な隙間が空いているような、その隙間を厳守して他人に立ち入らないふうな、私としては心地いい距離感を保つ眼差しをしていた。
組んだ手を膝に置いてちょっと前かがみになりながら、ロマンは私に言う。
「助けられなくてごめんね」
「な、なんであなたが謝っちゃうの。私がおかしいでしょ、人様の名前を連呼とか迷惑極まりないでしょ!」
自室までのあと一歩が耐え切れずに立ち寄った医務室で、彼に勧められるままにベッドに横になって、よくわからない幼稚な夢に恐怖を煽られ、近くの人の名前を寝言で叫ぶ。冷静に整理するとなおのこと恥ずかしい。寝ぼけ頭はすっかり覚醒して、くらくら眩暈がするぐらいに冴えている。
それでもロマンは言う。「ごめん」と。
底抜けに優しい笑顔で、私をあやすように穏やかな声で言う。
「せめて、どんな夢を見ていたか教えてもらえるかな。悪い夢は誰かに話したほうが良いっていうだろ?」
「……すごく辛くて悲しかったこと以外は何も覚えてなくて」
気遣いを無下にしてしまったようで大変気まずかった。けれど、ロマンはちっとも気を悪くした様子もなく、
「そんな時に名前を呼んでもらえるってことは頼りにされてるのかな」
ありがとう、と何故か礼を述べて私の頭をぽんと撫でた。
どういう意味なのだろう。そのまま受け取ると、彼は私に頼られて嬉しいということになるのではないか。辛くて悲しい時に僕の名前を呼んで頼ってくれるんだねと。いやまさか、そんな、でも、お人好しなロマンなら、誰かに頼られると頑張りがいがあるなあとか言って無理をしそうだ。僕にできる範囲のことでよければ全力で、とか言ってしまいそうだ。……あまりに夢を見過ぎだろうか、私は。
不安になってひっそり腿をつねったけれど当然痛い。
「は何となく僕を遠ざけてる感じがしてた。でも実はそうじゃないみたいで、安心したよ」
「と、遠ざけてなんか!」
黙っていては彼の勘違いを肯定しかねない、と慌てて口を開く。
「私、むしろあなたのこととっても憧れてて……! すごく人間として素敵だと思ってるの」
「そう、なんだ?」
「そう! 本当に! 憧れているせいで、どうしたらいいかわからなくなって、そういうことはあるけれど、遠ざけようなんてこれっぽっちも思いやしてないから!!」
戸惑うロマンの頬がほんのり色づいているのに気づいて、私は、自分がどれだけ恥ずかしいことを口走っているかを思い知る。でも本当は、ああ、こんな表情をしてくれるということは、私のこと少なくとも嫌いじゃないんだろうなって、嬉しくなってしまった。恥ずかしいぐらい無我夢中で、逆に良かったのかもしれない。
恐ろしい夢の片鱗は消え去って、代わりに、むずがゆくなるようなほどの温もりに心をくるまれていた。
ロマンは嬉しそうに笑う。
「憧れられるほど大したことは出来てないけど、ありがとう」
「たとえ皆が大したことないって言っても、私は声を大にしてあなたはすごいって叫びます」
当然そんな必要はないけれど。だってみんな分かっているわ。あなたの素晴らしさを、誠実さを、努力を。
心の中でだけ続ける。
ロマンの笑顔がふやけていくのを見て、私は夢なんて見なかったみたいに胸を高鳴らせていた。
ドクター・ロマン。本当に素敵な憧れの人。
あなたの名前を叫びながら見ていた夢の正体は、この想いの裏返しだったんでしょう。
当然のように憧れの人と同じ場所で仕事をして、言葉を交わして、そんな日々を過ごせる幸せのあまりに、心が不安を覚えたんでしょう。
「おだてても何もないからね」
そういうロマンから、十分すぎるほどの美しい笑顔を頂戴していた私は、曖昧に笑ってみせた。
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