ラウムさんの優しさは激しい。
 私の長い耳を「フッカフカで良いじゃねえか!」と言い、私の背中の羽を「白鳥みてえじゃねえか!」と言い、私の気持ち次第で揺れ動く尾を「どんだけモッフモフしてんだ!」と言い、それらの毛並みを「綺麗だろうがコラ!」と言ってくれた。
 私が気にしている私の異質さを、恐れも嫌いも差別もせず、私の個性のひとつだとして褒めてくれる。私の負い目がなくなるようにと何度もなんども繰り返してくれる。

「今日もツヤツヤだなコラ!」
「ありがとうラウムさん」

 すれ違いざま、呼吸とセットのようにそう言われて、いつも私は慌てて返す。
 ラウムさんだけじゃなく、ここにいるソロモンさんと仲間の人たちはみんな優しい。ちょっぴり変わった人や難しい人もいるけれど、ソロモンさんを中心に揃っている。
 みんながハルマゲドンを阻止するために戦っている、らしい。ハルマゲドン。世界の終わり。今まで『終わり』が来ることをじっと待っていた私にとって、ハルマゲドンが実際に起きようが起きまいが関係なかった。その考え方も、ソロモンさんたちのアジトに招かれて暮らすようになってから少し変わった。
 この人たちが死んでしまうことはいけないこと。ならハルマゲドンは、起きてはいけない。
 ラウムさんが行った後、ものすごく怠そうにフラウロスさんが歩いてきた。ソロモンさんと幻獣退治に行っていたんだっけ、と思い出す。

「おいクソヴィータ、酒出してくれ酒ー」
「ちょっと待っててください」

 アジトという安全な住処を与えられてから、私はここで使用人のように過ごさせてもらっている。耳たちを隠して街に出て、細々と働いてもいる。ソロモンさんたちへのお礼に何か渡せるものが欲しかったから。そして一番わかりやすいお礼の形が『お金』だと思ったから。
 フラウロスさんが最近気に入っているというお酒を急いで持ってきて渡す。これも私が働いたお金で買ったものだからソロモンさんたちの迷惑にはなっていないはず。まるで水みたいにガブガブ酒を煽るフラウロスさんに「大丈夫?」とつい声を掛けてしまった。

「あ? 全然大丈夫じゃねーよ。足りねーっての」
「も、もう一本持ってくるね」
「クソが! だから足りねーんだよ! 10本は用意しとけ10本は」
「ごめんなさい……」

 お酒を取りに行こうと踵を返して踏み出しかけた瞬間、尻尾に痛みが走る。声を上げそうになるのを堪えて、尾へと視線を向ける。フラウロスさんが私の尾を掴んで無造作にぶんぶんと振り回していた。揺れる尾をじっと見つめながら、フラウロスさんは言う。

「チマチマ街で働いて小銭稼いでるらしーけど、この毛皮売った方が早いんじゃねえか? 剥いでも治るって話だったよな」
「う、うん……」
「クソヴィータって呼び方だと被んだよなぁ。そうだな、メスヴィータでいいか。おいメスヴィータ。テメェの毛ちょっと剥いて今走って売って来いよ。俺の小遣いにしてやる」

 綺麗な顔でニコニコ笑いながら、言われた。
 私は迷った。確かにこの毛を売った方がお金になる。何度も蘇るし、私が堪えれば儲かるからと、捕まっていたのだから。でもそのやり方をソロモンさんは「ダメだ」と言った。怒ってくれた。悲しんでくれた。ブネさんも、シャックスさんも、助けてくれたみんなが「もうそんな目に遭わなくていい」と言ってくれた。街で働きながら何度も毛皮を売ることを考えたけれど、ソロモンさんたちが悲しむのは見たくない。

「クソヴィータにゃ言わなきゃバレやしねーって。一回試してみようぜ」

 知られないようにこそこそとするのも、何だか悪い気がする。それに、もうあんな目に遭わなくていいのなら、正直その方が良かった。
 ――鎖。牢屋。剥ぐ音。血の匂い。痛み。痛み。痛み。苦しい。熱。痛み。怖い。痛い、辛い、いたい……。
 何年もかけて体と心に刻まれた日々の記憶が蘇って、寒気がした。頭がクラクラして、心臓が忙しなく鳴っている。その音が喉を伝って脳まで登って来て、芯から揺らす。

「お、お金が必要なら、いくらか、貯めてるよ。ソロモンさん、少ししか受け取ってくれなくて、自分の為に貯めるべきだって、言ってくれてて、そ、そのお金……持ってきます」
「はした金だろ、ンなモン。いろいろ入用なんだよー頼むぜー」

 どうしよう、どうしよう。フラウロスさんが困っているのに、どうして私は役に立てないんだろう。ソロモンさんたちみんなの役に立ちたくてここに来たのに、このままじゃ役立たずでお礼なんてできない。でも、どうしよう、でも。
 ――悩んで俯いたときだった。
 ゴンッと大きな音がして、「いっでぇ!!」フラウロスさんの悲鳴があがる。尾から手が離れた。
 慌てて顔を上げる。
 頭を押さえて呻くフラウロスさんの後ろで、いつの間にか戻ってきたラウムさんが握りこぶしを震わせていた。

「なに脅してんだゴラァ! いい大人ならテメェの金ぐらいテメェで何とかしやがれ!」
「はあああ!? だから何とかするためにお願いしてたんだろが!」

 ラウムさんの眉間に青筋が浮かび、顔の険しさが増し、血が上って真っ赤になっていく。負けじとフラウロスさんも声を張る。

「俺が稼ぐより効率いいからこのメスヴィータに頼んでんだよ、心を込めて頭下げてな!」
「テメェ何自信満々にぶっこいてんだコラァ!! とにかくコイツはもう前みてーな辛い目遭っちゃならねえんだ!!」
「それはテメェの意見だろ、本人は俺に金を工面してやりたいって悩んでんだぜ?」
「人の良心につけこんでんじゃねえぞコラ!」

 二人の言い合いは激しかった。いつ殴り合いになってもおかしくない気がして、私はパニックになって走り出した。「誰か、誰か!!」ふたりを止めてもらうために他の人を探しに行った。追放されたと言えどもメギドであるみんなの力は私たちヴィータよりずっと強いから、どうなるかわからなくて怖かった。ふたりの仲が悪くなって怪我でもしたらどうしようと不安でたまらなかった。
 ……ソロモンさん、ブネさん、ヴェパルさんが来てくれて、ラウムさんとフラウロスさんの喧嘩はなんとか仲裁された。喧嘩の発端を聞いてソロモンさんたちはフラウロスさんを叱ったけれど、聞き流されている気がした。
 もともと私がしっかりしていれば起きなかった喧嘩だと思うと、ひどく落ち込む。

、もしかして『自分のせい』とかバカなこと考えてる?」

 泣きそうになっていたら、ヴェパルさんにそう尋ねられて。心を見透かされているのかと驚いたけれど、おそるおそる頷く。

「……ちょっと思った」
「フラウロスがクズだからよ。アンタの気が弱いのは否めないけど、つけこむ奴がいけないの」
「く、クズ……」
「だから間違っても謝ろうとかしないこと」

 ヴェパルさんの冷静な言葉に、私も次第に落ち着きを取り戻していた。
 件のフラウロスさんは「ったく口うるせえ奴らだぜ」とさっさとどこかに行ってしまった。ソロモンさん、ブネさんは困ったように肩を落としている。ラウムさんはまだ怒り収まらずといった様子だった。

「ごめんな。また後でアイツにはよく言っておくよ」
「だから間違っても自分の身を削って金を、なんて思わないようにな。こんぐらいの喧嘩でいちいち凹むことも無え」

 ソロモンさんとブネさんの言葉にありがとうと返し、私はラウムさんにも礼を述べた。

「ラウムさんも、怒ってくれてありがとう」
「気にすんなコラ。たまたま渡すモンがあって戻ってきて良かったぜコラ」
「わたすもの?」

 首を傾げる私に、「お土産だコラ」とラウムさんは小さな紙袋を渡してきた。
 少しドキドキしながら袋を開けると、いつかのように甘い匂いが漂ってくる。けれど今回はドーナツじゃない。小さめて薄い一口大のお菓子がいっぱい詰まっていた。

「お茶請けによさげなクッキーだコラ。疲れたろうからそれ食って休んどけ」
「ありがとう! じゃあみんなのお茶用意する!」

 当然私だけで食べるなんて勿体ないから、そこにいるラウムさんを含めたみんなを巻き込んで、私はそう言った。
 だって私はドーナツを初めて食べた時に学んだのだ。
 甘いものは分け合って食べると、もっと甘くて美味しくなるんだって。
 フラウロスさんのこと、昔のこと、まだ少し引っかかっていたけれど、今私が出来るお礼はクッキーを美味しくいただくことだと思うようにしてその場は心を落ち着かせた。

 ……後日すぐにまたフラウロスさんと顔を合わせることになって慌てたりしたけれど、びっくりするほどフラウロスさんはこの間の諍いを気にかけていなかった。またお酒とお金とギャンブルのことを口にし出したので、流石の私も学習して落ち込むことなく冷静に断ることができた。物事を引きずらないところは見習うべきかもしれない。
 悪い人ではないと思う。だけど難しい人だなあと、私はフラウロスさんが酒を煽る姿を見て思った。
 ――メギドも、私たちヴィータと一緒で色々あるものなんだなあ……。
 少しだけ肝が据わった気がした。

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