鈍色の空が頭を押し潰そうとするような大雨の次の日のことだった。
 からっと晴れた青空には瞬きする。手製の昼食の入ったバスケットを抱えて、隣に立つ男を見た。男――フラウロスは「ムカつくぐれーの良い天気じゃねえか」と笑い、の手を引いた。

「おら、行くぞメスヴィ……じゃねえ、
「言いやすいように呼んでくれて良いのに」
「るせーな。色々考えて面倒くせーから名前呼んでやることにしてやったんだよ」
「……そう」

 名前を呼ばないと、ソロモンたちが毎回注意するからだろう。そう推測したものの、は本人に確かめることはしなかった。の手をぐいぐい引っ張り進み続けるフラウロスの顔を見上げながら、どうしてこんなことになったのかと改めて思う。
 急に「おい、外で食える飯の用意しやがれ!」と空のバスケットを渡され、あたふたと用意を済ませると「ボーッとしてんな、出かける支度しろ!」と急かされ、慌てて耳たちを隠していつもの外出姿になり、二人でアジトを出た。
 フラウロスがどこを目指しているのかは全く見当がつかない。不安ではあったが、口にするときっと彼は機嫌を損ねるだろうから、は何も言わなかった。フラウロスの歩幅とスピードに合わせると、少し息が上がった。気を遣ってくれるような相手でもないのでじっと我慢する。

「テメェにゃ図らずして世話んなってるからなぁ」
「世話になってるのは私のほうだと思うの……」
「お? そりゃそーだったな」

 の返答に、フラウロスは気持ちよさそうに笑った。いつの間にかフラウロスとの歩くスピードは同じくらいになっていた。街の外に出てしばらくになる。少し道はでこぼことしていて、幻獣の存在を抜きにしてもあまり人通りが無いのだろう。

「でもま、たまにゃご褒美無いと人間萎びちまうってもんだろ?」
「ご褒美?」

 小高い丘を登りながら、ああ、とフラウロスは頷く。

「テメェみたいなのが好きそうなモンを見つけたからよ!」

 はぼんやり考える。自分が好きなものについて。……頭をひねっても、首をかしげても、好きなものとやらは思いつかない。フラウロスやソロモンたちといる今の生活が好きだけれど、きっと、そういうことではないのだろう。
 のとぼけた顔を見て、彼はますます得意げに微笑んだ。

「聞くよりも見た方が早ぇーってな! ほらよ!!」
「あっ」

 丘を登り切ると、フラウロスは手を離し、の背中をドンと押した。はよろめき、踏ん張るも間に合わず、頭から転がり落ちていった。悲鳴はなかった。土も草も柔らかく、乾いていたから、それほど痛みはない。起き上がって汚れをはたき落とす。そんなに酷い汚れにはならなかった。破けたりもしていない。ホッと胸を撫で下ろしたは、ようやく顔を上げる。そして、……わあ、と声を漏らした。
 丘を越えた先にあったのは、花畑だった。視界いっぱいを色とりどりの花が埋め尽くし、甘い香りと蜜に誘われ、のびのびと蝶たちが飛び交っている。きらきらと輝く花々に、は目を輝かせる。
 遅れて丘を降りてきたフラウロスは、へたりこんだまま花に見惚れるの様子にククッと喉を鳴らした。

「脳みそお花畑なトコがあっからよ、実際に花見たらガキみてーに喜ぶかと思ってよぉ。実際声にならねーぐれぇ感動してるみてぇだなぁ。単純でわかりやすいヤツ」
「これを見せるために連れて来てくれたの?」
「あぁ? ジメジメアジトで飯食う気分じゃなかっただけだっての。でも持ち合わせが無くてな」

 からバスケットを取り上げ、フラウロスは花畑にどっかり座り込んだ。

「でもよ、金が無くてもテメェに頼めばタダ飯食い放題だったって思い出してよ! お花畑で恩着せときゃ後から誰これにとやかく言われやしねーだろ? 我ながら冴えてるぜ」

 は瞬きした。結局は自分の為とは言え、に花畑を見せるためにアジトから連れ出してくれたことに驚いていた。
 サンドイッチを咀嚼しつつフラウロスは目を眇める。

「おい、そのしみったれた被り物とれよ。こんな野原でオメェの長い耳を見てとやかく言うヤツなんか来やしねーよ」
「え? で、でも……」
「ウジウジウジウジって、見てて気分悪ぃーんだっての! せっかくの飯がまずくなる前に取れ!」
「……わかった」

 スカーフを解いて、は改めて花畑の風を全身で浴びる。柔らかくて優しい風を受けていると、とても心が落ち着いた。フラウロスにはそんなつもりがないと重々承知しているが、人目を気にして被り物をするのは自身も辛い時があるから、とても助かった。お陰で、ありのままでいても良いんだ、と思える。勿論それは今だけ、事情を知るソロモンたちのいる場所でだけだとわかっているけれど、だからこそ、フラウロスの自分主体の主張の数々には意外なところで救われるときがあった。
 食費を浮かせるため、楽をするためとはいえ、頼られるのは嬉しい。身を削って金を稼いで来いと街に放られたこともあったが、はフラウロスを嫌ってはいなかった。
 性格に難あり・仲間内でも問題児ではあるが、人を色眼鏡で見ないだけでにとっては十分好感が持てた。……迷惑をかけられることとこれとは、また話が別になるが。
 フラウロスはの作った昼食を勢いよく食べ進め、あっという間に平らげてしまった。

「あー腹の皮が突っ張ると瞼が重くなるってなぁ。おい、ちょっと見張りしとけ」
「え? え?」
「大丈夫だって、少し寝るだけだからよ! 万が一幻獣が来たら起こせ」

 がこくりと頷くや否や、花の上に転がったフラウロスはあっという間にいびきをかき始め、眠ってしまった。
 言いつけ通りは周囲に気を配りながら、風景を楽しみながら、陽を浴びていた。手持ち無沙汰になって、花を少しずつ摘んで、遠い記憶を掘り起こしながら花輪を編み始める。これが思ったより楽しくて、は自然と笑顔になっていた。……出来上がった綺麗な花輪は、眠るフラウロスの頭にそっと乗せた。喋りさえしなければ二枚目なだけあって、なかなか似合っている。
 フラウロスはしばらく眠っていた。はずっと見張りをしていた。幸いにも、幻獣がやってくることは無かった。恐らくフラウロスはそれを知っていて眠ったのだろうと、はひとりで納得する。
 ……もうとうとし始めた頃、フラウロスは目を開けた。

「あー寝た寝た……」
「おはよう、フラウロスさん」
「あー? あー、そっか、オメェといたんだっけ。そういや」

 寝ぼけながら頭を掻き、ふわあとひとつあくびを零す。フラウロスはその時、自分の頭に乗っかっているものの存在に気付いた。

「んぁ? なんだコリャ……。ゲッ! テメェ俺が寝てる間に!!」

 は怒られるかと思って身構えたが、フラウロスの怒声は止んだ。おそるおそる彼を見ると、丁寧に編まれた花輪を掴み、じっと見つめながら、「趣味悪ぃ……」と小さく溢している。苦いものを噛み潰して舌の上に置いているようなその顔は、何だかフラウロスらしくなくて、は心配になった。
 フラウロスが静かに花輪を見つめていたのも数秒のことで、ぽいっと花輪を捨てた彼は立ち上がった。

「帰るぞ。戻りゃ丁度良い感じに酒が美味ぇ時間だろ」
「いつでもお酒は美味しいんじゃないの?」
「ギャハハハ! 違いねえ」

 笑うフラウロスの後ろを、空のバスケットを抱えては追いかける。丘を登り、ちらりと花畑を振り返った。胸が軋むようほどの懐かしさに、改めて実感する。
 ――ああ、私、お花好きだったんだ。
 長く迫害されるうちに忘れていた記憶。彼にそんなつもりは一寸も無いと知りつつも、は、フラウロスに感謝せずにはいられなかった。

「フラウロスさん、連れてきてくれてありがとう」
「礼なら美味ぇ酒か飯で頼むわ」

 アジトに戻ったら、頼まれて買い置きしていた酒を出すことを、彼女はその場で約束した。
 それを聞いた彼は、来るときと同じように、鼻歌交じりに少女を先導していった。

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