灼けるような痛みに耐えてたえて、蹲って悲鳴を堪えてこらえて、唇が裂けるだけ噛んで噛み締めて、頭の奥で奥底で、終われおわれ早く終われと繰り返して、薄暗い闇の中で、地に泥に塗れて汚れて、繰り返される行為も日々も終われと祈って願って、破滅を祈っていたつもりが齎されたのは救済だった。
――自分はなんという幸せ者なのだろう。
「良い毛艶だ」
無遠慮に耳を掴まれ、最初こそは驚いた。しかし、長い耳の毛並みをじっくり眺めて、ベリトがそう口にした瞬間、ほっとして肩の力が抜けた。不快にさせたわけではないことと褒められたことは、安心するには十分な理由だった。
の耳を撫でながら、ベリトは笑っている。
「剥いでも欲しいっつう馬鹿が出るのも仕方ねえな。だがな、こいつは血が通ってるからこその艶だ、輝きだ。死んだ毛皮じゃ意味も価値も無くなる。それがわからなかったのが小物たる所以か。ああ勿体無え。一番最初にお前を見つけたのが俺様だったら世話係もつけて丁寧に飼ってやってたのによ」
「でも、色んな人が欲しがったから、そうされてきた」
「だから言ってんだろ、俺様が飼い主ならンな馬鹿な真似しねえって」
牢屋に閉じ込められていた日々を思い出して、は改めて安堵した。危害を加えないらしいというだけで、彼女にとってベリトは善人だ。もしの特性を知っていたとしても、この毛皮を欲しがる人がいたとしても、そんなことはさせないと言ってくれた。本当に、一番最初に自分を捕まえてくれたのが彼ならばと思った。
涙を滲ませながら、ぽつりとは呟く。
「本当にそうだったら……私を一番に捕まえたのがベリトさんだったら、良かったのに」
心からそう思った。
ベリトも、そうだろ、と頷く。彼女の垂れた耳から揺れる尾へと手を滑らせて、その毛並みを堪能するように撫でている。
「俺様はな、手に入れたものを大事にする保証は無えが、その価値を貶めることもしねえ」
「いいひとだね」
「……良い人か」
「褒めてるんだよ」
「当然だ、テメェ如きが俺様になめた口利ける訳無ぇんだからよ」
「私が愚民だから?」
「そういう言葉は覚えてんのか。弁えてるっちゃ弁えてる……のか」
憐れむようなベリトの視線に、は首を傾げる。こんな表情をする人だと思っていなかったのもあった。今のやりとりのどこにそんな顔をする理由があるのか分からなかった。でも、問いただす勇気もない。
悩むの尾から手を離し、ベリトは嘆息した。の戸惑いに気付かないほど鈍くはなかった。
「俺様のペットになりたきゃもう少しプライドってもんを持て」
「え……?」
「だがテメェには無理な話だろ、アジトで使用人ごっこがお似合いだ」
はついていけなかったが、ベリトの中ではもう話は完結してしまったようだ。「せいぜい励めよ使用人」と、ひらひら手を振って行ってしまう。呼び止める間もなかった。
使用人。ベリトにとっては何気ない言葉だったかもしれない。彼女にとっては「人」として認められることは、いまだ尊く特別な意味を持っていた。長く仄暗い生活をしていたせいで心の根まで暗いものが絡みつき、根を張っている。その根を焼く光のひとつが、自分をこうやって認めてもらうこと。
ベリトにとってはちょうど良く使用人が出来ただけに過ぎないが、そうやって役割を与えられるのも久しいにはどんなに嬉しいか、きっと彼はわかっていない。
「毛並みも褒めてくれた。使用人って言ってもらえた」
何より彼もまた、他のメギドたちのように此方の目線に合わせて話をしてくれた。
は顔を綻ばせた。
ベリトに礼を言っても、恐らくそんなつもりは無いと言われて終わるだろう。彼は今の間だけのレベルに合わせてくれただけに過ぎない。ベリトの普段の振る舞いは、無知なでも“恐らく高貴な存在なのだろう”とわかるほどだ。そんな相手に舞い上がってあまりあれこれ言い募るのも良くないと考えて、もっと考えや気持ちがまとまってから改めて感謝を伝えることに決める。
別にペット扱いでも良かった。けれどどうせなら使用人の方が、色々と皆の役に立つような響きがあっていい。
「使用人らしく、頑張ろう」
……ソロモンたちに使用人とはどうするべきなのか聞きながら、は懸命に励む。戦いは出来ないけれど、彼らの生活の助力にはなれる。料理、掃除、洗濯、買い出し。街に出る時は変装しなくてはいけないから少し大変だが、他のメギドも付き添ってくれるから苦ではなかった。家事も問題なく覚えていったし、すっかりアジトにも馴染んだ。
時折思い出したようにベリトが「よく働いてるじゃねえか」と声を掛けてくれるのが、一番に“使用人”という道を示してくれた彼からの励ましに思えて、は嬉しかった。
もう搾取されるだけの物ではない。自分の意思を持って、誰かの為にと活動できる。
新たな日々は、忙しくとも彼女に充実と安息をもたらしていた。
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