フォトンの豊かな森の中で、はきのこ狩りに勤しんでいた。自然に触れることは好きだった。しっとりとした腐葉土を掻き分けてそっときのこを掴む。土と菌のにおい。背負った籠にきのこを入れて、は立ち上がった。じゃら、と慣れない金属音がして思い出す、腰に提げた物の重み。
「……ちゃんとある」
シンプルな鞘に収まる剣の柄を、はそっと撫でる。最低限、自分の身を自分で守るためにとフォカロルから与えらえた武器だ。幻獣までとはいかずとも、動物や賊を追い払うぐらいの力を身に着けたがっていたにとっては嬉しいプレゼントだった。
時々確かめるように鞘や柄を撫でては、きのこを狩る。そうして、きのこのつまった籠がいっぱいになったのを確かめると、はアジトへ戻ることにした。その前に、別の場所で同じくきのこを集めているシャックスらに伝えておかなくては。何も言わずに戻るといなくなったと思って心配をかけてしまう。
「シャックスさーん、バルバトスさーん、フォカロルさーん」
一緒に森に来ているメギドたちの名前を呼びながら、は走った。フォトンが豊かなだけあり、木々も草花も逞しく美しく育っている森だ。重なる枝葉の隙間から零れる陽光が眩しい。木の上で鳥やリスが騒がしく動き回って、ひらひらと葉が落ちてきた。
は、自分が声を上げてまわるために動物たちが逃げているのだと思った。だがどうにも、様子がおかしい。が黙り、立ち止まっても、小動物の大移動は収まらない。その時ようやく彼女は、背後から何かが近づいてくる気配に気づいた。僅かに地面が揺れている。
……籠を下ろし、は剣を抜いた。フォトンと森のざわめきを肌で感じながら、背後を振り返る。近づいてくるものが動物であるように祈りながら。両手で柄を握り締めて、震えを堪え、自分の来た道を見据える。
音の正体は程なくして彼女の前に現れた。
獣の範疇を超えた大きな体。四つ足で、前足が異様に発達し筋肉が盛り上がっている。後足はこまめに地を叩き、いつでも飛び掛かれるようにタイミングを整えていた。ぎらぎらとした金色の瞳がを睨みつけ、
「ギャオオオゥッ!!!」
フォトンを吸い上げながら、獲物に追いついた喜びの叫びをあげた。
幻獣の高ぶりに、は当然怯えた。しかし背を見せれば確実に食われる。追いつかれた速度から考えても、走って逃げられる相手ではない。
今の雄たけびで誰かが気づいて駆けつけてくれることを祈った。しかし、誰かが来るより先に、幻獣が突進してきた。は叫んだ。パニックになりながら両手で剣を突き出す。剣は、飛び掛かってきた幻獣の右前足に深々と刺さった。痛みに幻獣は足を振り回す。は剣を抜こうと必死に柄を握り締めていたが、幻獣の振り回しに耐えられず手を離してしまう。間髪入れずに幻獣の足がぶつかって来て、弾かれたの体は地を転がっていく。
幻獣は遂に剣を抜くと、荒い息のままに近づいてきた。剣は遠くに飛ばされていて、痛みに体を起こせずにいるが動くことは叶わない。意識が途切れそうだ。
――今日はシャックスさんに、きのこ料理作る約束したのに。
せめて採ったきのこを彼女に届けたかった、とは悔やんだ。
「ー!! 死なないでー!!」
痛みのあまりに幻聴が聞こえる。シャックスの声だ。シャックスさん、と口を動かしたが声にならず、はますます悔しくなった。たくさんのきのこがつまった籠が無事であることを祈っているうちに、その意識は闇に落ちていった。
が目を覚ますと、そこは天国でも地獄でもなかった。アジトの部屋だった。ぽかんとして天井を見つめていると、ひょこっとユフィールが視界に顔を出してくる。
「目が覚めたんですね、良かったです~」
「え、えっと……私……」
「皆さんに知らせてきますから、そのままでいてくださいね。しばらくは安静にしてもらわなくちゃいけません」
戸惑うを置いてユフィールは部屋を出て行ってしまった。追いかけるにも体はまだ痛いし酷く疲れていたから、言われた通り大人しくベッドの上にいるしかない。がしばらく一人で悶々としていると、ものすごい勢いの足音が部屋に近づいてくるのが聞こえた。バンッとこれまた勢いよくドアが開かれて、のベッドまで足音の主は駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
首を動かすのも辛いの視界に、フォカロルの顔が飛び込んできた。ただ、いつものむすっとした顔でも、怒った顔でもない。困ったような悩んでいるような、見たことのない表情を浮かべ、フォカロルはを見下ろしている。
は大いに戸惑った。
「あ、あの、フォカロルさん……きのこは……」
戸惑いのあまり飛び出したのは、意識を失う直前に気にしたきのこの籠だった。シャックスの大好きなきのこが無事に確保できたかどうか。それを確かめようと口にした。
当然フォカロルは目を丸めた。丸めた目がすぐに吊り上がり、を叱る。
「きのこ!? お前、よりによって第一声がきのこだと!? それよりも自分の体の心配を知ろ!」
「えっ、ご、ごめんなさい」
が謝ると、はっとしたようにフォカロルは俯いた。
「くそっ、叱りに来たつもりじゃないというのに……何できのこなんだ……」
「シャックスさんにきのこ料理作る約束してたから、つい……」
「そうか……怒鳴ってしまって悪かった。きのこは虫出しの最中で全部無事だ」
フォカロルがそう告げると、は「よかったぁ」と顔を綻ばせた。その笑みにフォカロルは複雑そうに顔を歪める。包帯だらけのが自分の体よりもきのこを気にかけたこともショックだが、彼はそれ以上に責任を感じているものがあった。
彼女に剣を渡したことである。
自分が下手に武器を与えてしまったから幻獣に立ち向かおうとして大怪我を負ったのではないか。自分で自分の身を守る術を探し急いていた彼女には、より一層丁寧に武器を持つことについて説いて聞かせるべきだったのではないか。
森でを一番に見つけたのはシャックスだった。シャックスが騒ぎ、と幻獣の間に割って入ったことで大事は免れた。それからすぐに合流したフォカロルが幻獣を仕留め、バルバトスが気絶したに回復を施した。その間もは、きのこ、とうわ言を繰り返していた。それを見てから今の今までフォカロルは悩み続けている。
に武器を与えたのは間違いだったのか。
「、どうして剣を抜いた?」
「……背中を向けて食べられるよりは、生き残れる可能性があったから」
フォカロルの質問に、ぽつりぽつりとは答えた。
「まだまだ習いたてで、よりにもよって幻獣相手じゃ歯が立たないのわかってても、死ぬよりは、身を守れる確率に賭けたかったです。騒いでいれば、そんなに離れていないはずのフォカロルさんたちが来てくれるって思った」
「勝算のある方を選んだわけか」
「そうです。この世界にいる限り、どこにでも幻獣の影はあって、私の力が追い付いてないのもわかる。今度はもっと大きな声や音を出して危険を知らせます。……でも今まであの森で幻獣に会ったことはなかったから、正直、今もすごくびっくりしてます」
フォカロルの脳裏に、不幸を呼ぶメギドの姿がちらついた。しかし口にはしない。そのメギドをが同性の友人として好意的に思っているからだ。
黙るフォカロルに、は微笑んだ。
「フォカロルさん。これからも剣、教えてくださいね。教わりたいって言ったからには、しっかり使えるようになりたいです。こんな風にもうならないように」
痛みを堪えながらの歪な笑みに、フォカロルは精一杯の誠意を込めた笑みで答える。
「ああ。これからはもっと厳しく、武器を持つことの心得を改めて説きながら指導する」
「あまりしんどいと家事が回らなくなるので……なんとか、教官」
「家事も筋力トレーニングの一環として考えて、メニューを組もう」
「よろしくお願いします」
が一生懸命伸ばしてきた右手を、しっかり握りしめてフォカロルが頷く。
……そこに、ユフィールが戻ってきた。
「まあ~。フォカロルさん、まださんはボロボロですよ、休ませてあげてください」
「す、少し話していただけだ。だが、すまなかった……。確かにそうだな」
「お話は元気になってからいくらでもできますからね」
さあさあ、とユフィールに背を押され、フォカロルはそのまま退室させられてしまう。扉を閉め、もう、と呟いたユフィールは、くるりとを振り返った。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいて、まるで神様のようだとは思った。
女神はその笑みを讃えたまま呟いた。
「フォカロルさん、ずうっとこの辺をそわそわ歩いてたんですよ。さんのことがよっぽど心配だったんですね」
瞬きする。ふふ、と意味ありげに笑うユフィール。の中で一気に尋ねたいことが溢れてきたが、体中の痛みに阻害されて諦めるしかなかった。
調子が戻ったら、シャックスとバルバトス、そしてフォカロルに改めて謝ろうと心に決め、少女は眠ることに決めた。
Top