私の翼は何のためにあるのだろうか。
 羽をいじっているときにふと思った。神経が通っていて動くには動く。けれど、飛べるのかは試したことが無かった。ひとりで試したらきっと怪我をしてしまう。昔はこんなことを考える余裕すらなかった。毎晩自分の毛づくろいをしながら、出かけるたびに空を仰ぎ見ながら、私は考えた。
 私の翼で空を飛ぶことはできるのだろうか。
 あの鳥のように、風に乗って飛べるのだろうか。

「空を飛べるか試したい?」
「はい」

 剣の稽古の休憩中、私はフォカロルさんに相談した。彼のメギド体は美しい鳥の姿をしている。相談した理由はそんな単純なものだった。久しく沸いた好奇心を抑えようともしない私を叱ることもなく、フォカロルさんはふむと顎に手を当て考え込んだ。

「その大きさでは大した高さを維持できるとは思えないが……メギドほどではなくともお前の体は特殊らしいしな」
「難しいでしょうか」
「やってみなくちゃ分からん」

 フォカロルさんはそう言って、私の羽を見た。「動かしてみろ」と言われて、鳥が羽ばたくようなイメージで動かしてみる。尾や耳の動きぶりと何ら遜色ないと思う。けれどそれでいいのか悪いのか。しばらく私はぱたぱたと羽を動かし、フォカロルさんはそれを観察していた。難しい顔で、でも、何か一生懸命考えてくれているのが伝わってくる。
 私はなんだか嬉しくなって、もっと懸命に羽を動かした。

「俺よりも、普段から飛んでいるヤツに聞くという考えは無かったのか?」
「あ……」
「いや、落ち込むな。お前は俺なら答えられると信じて訊いたんだろう、こちらも真剣に答えるまでだ! 諦めるな!! あと羽はもう休めていい!」

 羽から力を抜いた。ついでに尾も力が抜けた。ヒトというより動物みたいな気分になってくる。悩むくらいならいっそ全てもいでしまえば。ヒトではなく獣になれたならば。こんな幼稚でどうしようもない願望も沸くことはなく、フォカロルさんを煩わせることもなかったのに。どうして私はこんななんだろう。

「アンドラスさんに手術の相談をします……」
「早まるな馬鹿者が!! 一時の落胆に判断を任せるんじゃない。とにかく落ち着け」

 がっしりと両肩を掴まれる。真っすぐ目を見つめられて、フォカロルさんは、私の相談を迷惑だとか面倒だと思わずに真剣に向かい合ってくれている。改めて頼もしさを覚えながら、その眼差しから逃げずに頷く。
 ちらりとフォカロルさんは近くの丘を見上げた。この丘を登ると反対側は傾斜がきつく、小さな崖のようになっている。気が付かないと落っこちてしまうのだ。数メートルとはいえ、何も知らないと怪我をしてしまうだろう。私も丘を見つめ、そして思いついた。

「フォカロルさん。私、こっち側から思いきり走って飛んでみます。下の方でちゃんと飛べるか見ていてくれませんか?」
「お前……」
「そ、そんな呆れた顔しないでください。フォカロルさんがそっち見てるから思いついちゃったんですよ」
「まあ、お前が自発的に何かしたいというなら止めはしないが……」

 もし失敗してもちょっと体を打つだけだし、きっと大丈夫。珍しく勢いづいた私に、珍しく押されるフォカロルさん。私が意気揚々と丘を登り始めると、フォカロルさんも丘の下に向かった。剣の稽古はすっかり頭から抜けていた。

「フォカロルさん、良いですかー?」
「いつでも来い」

 彼の返事を確かめてから、私は少し丘を下る。このぐらいかな、というところで踵を返し、助走をつけて丘の先を目指して駆けだす。視界いっぱいに空が広がり、ここだと決めたポイントで強く大地を蹴って飛び出した。一生懸命に翼を動かす。ふわっと風に乗った。体が宙に浮いた。少し風景が進む。
 ――私、飛んでる?
 そう思ったのも束の間、ぐんっと大地に引っ張られていく。急降下、急落下、どう呼ぶのが適切だろうか、と考えているうちに私は地面とごっつんとぶつかる……はずだった。
 フォカロルさんが滑り込んできて、私を受け止めてくれた。しっかりと抱えられた私は汚れ一つつかずに済んでいた。ふう、と安堵したように彼が息を吐くのを聞いて、

「あ、危ないですよフォカロルさんってば……!」
「まさか俺が黙ってお前が地面に落ちるのを見ていると思ったのか? そんな訳ないだろう、怪我をすると分かって放置する馬鹿じゃない」
「最初から受け止めてくれるつもりだったんですか!?」
「お前は最初から地面にぶつかるつもりだったのか!?」

 そうです、と頷くと、フォカロルさんは一瞬眉を吊り上げた。怒られる、と肩を縮めた私を見て、その眉はすぐに下がったけれど。落ちても大した怪我をせずに済むだろうと思って私はあの丘を選んだし、フォカロルさんには私が飛べるか否かの確認を頼んだだけだったし、まさかこんなにお世話になってしまう羽目になるなんて。今更ながら、厳しくも優しい彼が、他人が怪我するのを黙って見ているような人ではないと思い至る。ほっといていいですから、と一言断っておくべきだった。
 落ち込む私に、フォカロルさんは言う。

「それで、飛べたかどうかの話だが……」

 はっとして私はフォカロルさんを見上げる。私の期待を込めた眼差しに、少し濁しながらも、

「若干の滑空は出来ていた。全く飛べないという訳では無いのかもしれん」

 そう教えてくれた。
 ……嬉しかった。思わず頬が緩む。フォカロルさんは苦笑しつつ立ち上がる。支えながら私も一緒に立った。立つなり、私は飛び跳ねた。

「やった! ちょっとは意味があった!!」
「若干だからな、若干。今後は無闇に飛ぼうだなんだと挑戦するのは控えた方が良い」
「は、はい。それは気を付けます……。でも、嬉しいです!」

 この翼にも僅かなりに意味があるのだと、この姿で生まれたのにも僅かなりに意味があるのだと、そう思える気がしたから。
 協力してくれたフォカロルさんに、ありったけの気持ちを込めてお礼を言う。

「ありがとうございます、フォカロルさん」
「俺は何もしていない」

 そっけない返しだった。けれど、少しだけフォカロルさんの口元には笑みが浮かんでいた。

「飛べようが飛べまいが、せっかくの綺麗な羽だ。大切にしろよ」

 嘘偽りない彼の言葉に、何故か私の顔はかあっと熱くなってしまった。
 此方の熱が冷めるより先に、「剣の鍛錬の続きだ」とフォカロルさんは真剣な顔に戻る。
 赤い顔のまま私は剣を握り直す羽目になる。どうしてフォカロルさんは平気な顔で「綺麗」だなんて言えるんだろう? フォカロルさんは自分が格好いいことをもう少し自覚するべきだ。
 私みたいな免疫のない女は、そんな人に褒められたら、照れて恥ずかしくて仕方ないんだから。

「ぐずぐずするな、剣を取れ!」
「はいっ」

 ……気のせいだろうか。
 私を叱咤するフォカロルさんの視線が少しずれていて、僅かに顔が赤らんでいたように見えた。
 一瞬引っかかったけれど、追求できるはずもない。
 スパルタとしか言いようのない剣術の訓練によって、それどころではなくなってしまったから。
 私は結局、これを『見間違い』として処理することに決めた。

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