雪のように真っ白なの毛並みを、フォカロルはじいっと見つめていた。剣を振るたびにふわふわと耳や尾が揺れて、今は服の中にしまわれている羽も外に出ていれば同じように揺れるのだろうと想像した。ひゅん、ひゅん、との振るう剣が風を切る音だけがする。フォカロルに教わった通りには剣を振り続けていた。
初めて剣を握った日から比べれば、ぐんと上達している。しかしそれでも腕前はいまだ一般人の域を出ず、実戦に臨むには心許ない。
「……ふう……」
フォカロルに指示された回数ぶんの素振りを終えたが、剣を鞘にしまう。それを見てフォカロルもはっと我に返った。指導中に雑念に囚われるなど。己の気の緩みに眉を顰めつつ、フォカロルは口を開いた。
「よし、今日はもうこのぐらいで良いだろう。続きはまた明日だ」
「ありがとうございました」
「だから、礼は一人前になってから言え。毎度言われても分からんのか」
頭を下げていたにいつものように口うるさく言う。本当だったらもっと柔らかい表現を選ぶべきなのだろうが、あいにくフォカロルはそういったことに明るくない。今までこうしてきたのだ、いきなり変えろという方が難しい。
幸いにもはそんな事情を知っているので、気分を害することは無かった。微笑を浮かべて、彼女は「わかってます」と答える。
「それでも、毎回、お世話になっているのは事実だから。『ありがとう』と『ごめんなさい』をしっかり言えるようにと親が教えてくれたのを……随分前のことだけど、覚えているから。だから、お礼は言わせてください」
「……親、か」
を救い出したとき、既に彼女に家族と言うものはいなかった。『獣と人の間に生まれた異形』として見世物にされ、搾取され、監禁されているうちに本当の意味で彼女を知る者は死んでいってしまったようだった。
フォカロルは、の親がどんな人物か想像することしか出来ない。明らかに普通とは異なる見た目、一般のヴィータに比べて緩やかに成長することを、どう受け止めていたのか。一般的な教養を身につけさせる程度には情があったようだが、果たしてその情は最期まで貫かれたのか。
追放メギドの多くが過去について語らない。フォカロルも進んで語ろうと思いはしない。それと同じようにも、積極的に過去を語ることはなかった。周囲もあえて聞こうとしない。勿論フォカロルも。どんなに気になっても、彼女の心を傷つける可能性がある以上、言及する訳にはいかなかった。だから。
「私が普通の子供じゃなくても、両親は、私を普通の子みたいに育ててくれました。両親が死んでしまって、どうでもよくなってしまって捕まって……でも、ソロモンさんたちに助けてもらえて、寂しがらずに両親のことを思い出せるようになったの、とても嬉しいです」
ごくごく自然に彼女が両親のことをこうして語るのは、フォカロルにとって意外でしかなかった。
「……それは、良かったな」
「はい。だから、お礼はいくら言っても足りないです。命を救われたどころか、新しい居場所ももらった。こうして戦う方法まで教わってる。すごく、ありがたいことです」
「おまえの口癖は『ありがとう』なんじゃないか、というぐらいに礼を言うことが多いな」
「そ、そんなにかな……。言えないよりは、良いですよね?」
「ああ」
先の自身の発言と少し矛盾してしまうことを知りつつ、フォカロルは即答した。がほっとしたように顔を綻ばせたので、矛盾したまま素知らぬ顔で続ける。
「、おまえの両親の話だが……そういうことは、他の奴にも話しているのか?」
「え? ……そうですね、流れでそういう話になったら触れますけど……こんなふうに話すのはあまりないかも」
「そうか。聞いても平気な程度には信頼されているようで何よりだ」
フォカロルの言葉に、は少し頬を赤らめながら「当然です!」と声を張る。
「みんなに助けてもらって良くしてもらってて、信頼しないわけないです。フォカロルさんにだってこうやって修行させてもらってますし、すごく嬉しくて……。アジトでの生活は、新しく家族が出来たみたいに幸せですよ」
感謝の気持ちを口にすればするほど、その幸せは、のなかで確かさを増していく。幸せ、喜び、尊さ。何度も積み重なり、混ざり合い、より一層強いものへと変わっていく。自分には二度と訪れないと思っていた日常。言葉を交わし、笑いあい、時には喧嘩もしながら繰り返される日々は、にとって家族という表現はぴたりと相応しかった。
家族、という言葉にフォカロルは一瞬狼狽えた。フォカロルにとって、家族というものは、知人や恩人とは異なる深く密接な繋がりを指していた。特にが口にする場合は。彼女と自分が家族。胸の中に沸き上がる感情が明確な熱を持って体中に巡る。幸い、周囲の冷気によってすぐに冷やされ、目に見える変化はなかった。
口ごもるフォカロルを、は不思議そうに見つめていた。屈託ない眼差しにフォカロルも落ち着きを取り戻す。彼女は自分だけを特別に家族扱いしたわけではない。アジトの皆をそう思っているのだ、何を勝手に焦ったりすることがあるのか……と。
それでも彼の思考は都合のいいように回ってしまう。普段自分や他者を律するあまり、一度轍を外れると戻るのが難しかった。
「、おまえは……」
「はい?」
「新しい『家族』を、どう思う?」
今ならきっとは、この期待を叶えてくれるのではないか。そんな浅はかな思いを抱く自分にフォカロルは一瞬嫌気が差した。剣の指導を理由に都合の良いことをしようとしていることが愚かしいと考えた。それでも一度抱いた期待は捨て置きがたい甘さを纏っていた。
そしては、彼の問いに答えた。
「大好きです」
葛藤するフォカロルの心の靄を、の満面の笑みが吹き飛ばす。
彼女の気分を害してはいない。それだけでフォカロルは大きく安堵した。ただ自分が勝手に期待や落胆で混乱していただけだ、そして、知らず知らずのうちに彼女がそれらを包み込んでくれる形になった。フォカロルは少々狡い形になってしまったものの、彼女の想いを聞けて大きく満足していた。
フォカロルたちを家族のように大切にしていること。
その『家族』を大好きだと即答できるほど慈しんでいること。
決して自分だけに向けられた感情ではないと理解している。だが、いまこの二人きりの間だけは、その言葉の恩恵を受けられるのは自分だけであると自惚れさせてほしいと彼は思った。
降り始めた雪が触れる。ゆっくり溶けて冷たい水に変わる。肌を刺すような寒さが続いていたが、今ばかりはこの冷たさが有難い。
「……このまま風邪を引かれても困る。アジトに戻るぞ」
「はい」
誤魔化しきれない頬の熱を悟られるより先に、フォカロルはに背を向けて歩き出す。
大人しいは素直に彼の背を追いかける。いつもより彼と長く話せた、とひっそり子供のように喜びながら。
雪は深々と降っていた。
(Title by 夜風にまたがるニルバーナ)
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