バレンタインに贈り物を貰ったからその返礼をするだけ。そのための日なだけ。
 フォカロルは何度も己にそう言い聞かせ、アジトを歩いていた。
 は先月、ソロモンと仲間たち全員にお菓子を配っていた。フォカロルも勿論貰った。「いつもお世話になっている感謝のしるしです」と垂れた耳ごとぺこりと頭を下げては微笑んだ。フォカロルは努めて冷静に品を受け取った。甘さ控えめのクッキー。丁寧に味わって食べた。
 ラウムとのやり取りを見て、が甘いものを好んでいるのは知っている。だからこの一か月、どんな甘味を送れば喜んでくれるかを考えに考え抜いた。兵士の訓練メニューならいくつでも案が浮かぶのに、たった一つの菓子を決めるのは容易ではなかった。出来れば変わったものを贈りたい。しかし口に合わないものだといけない。どんなに的外れでも彼女は喜んで受け取るだろう、だがしかし、外すわけにはいかない。
 ……街を練り歩き、様々な店を回って、彼は遂に決めた。
 ふわふわのマシュマロ。真っ白で柔らかなこの菓子は、のイメージとぴったり合致した。
 慣れない可愛らしいラッピングの箱を持って、フォカロルは静かにを探す。出来れば他の奴らに見つかりたくない、というのが本音だった。示し合わせたようにしんとしたアジトの様子に安堵したのは言うまでもない。

、いるか?」

 人気が無いため、思い切って呼びかけながら歩く。
 何度目かの呼びかけに、「はぁい」と遠くから声が上がった。早足で声のしたほうへと向かう。
 ひょっこりとがキッチンから顔を出していた。エプロンで慌てて手を拭い、彼女はぱちくりと瞬きをしてフォカロルを見つめている。

「あれ。フォカロルさん? 今日はみんな用事で出払ってると思ってました」
「なに、少し早く切り上げてきただけだ」
「そうでしたか。えっと、お昼は?」
「済ませてきた」
「わかりました」

 ちょうどキッチンでの仕事も終わったのか、エプロンを外したが改めてフォカロルの前に現れる。

「どうしたんですか? 私を探していたみたいですけど……」
「ああ。その、ちょっとな」

 ここでもたついてはいつ渡せるかわからない。咄嗟に答えられなかったフォカロルは内心焦った。しかしは静かに何も言わず、じっと彼を見上げて次の句を待っている。フォカロルが何かを伝えたいのだと気づいているらしい。
 の無垢な眼差しを受けて、フォカロルは改めて呼吸を整える。何も焦ることは無いのだと言い聞かせ、意を決して、箱を差し出した。

「先月のバレンタインの返礼だ」
「え……。あ、お気遣いありがとうございます、です。良いんですか?」
「良いもなにも、返礼だと言っている。受け取ってもらわなくては話にならん」

 の目の前にずいっと箱を突き出す。それを見て、戸惑うも、遠慮がちにそっと両手で箱を受け取る。が受け取ったのを見て、まず一安心するフォカロル。ラッピングをいろんな角度から眺めて目を輝かせるに、彼は箱を開けるように促した。

「箱は逃げん。装飾もだ。とりあえず中身を確認しようとは思わんのか?」
「あ、開けてみて良いの?」
「お前へのプレゼントだぞ、お前が開けなくてどうする?」
「それもそうですね……」

 はせっかくの美しいラッピングを痛めぬよう、細心の注意を払って箱を開きにかかる。ぱらぱらと外れるリボンや包装紙を丁寧に扱い、ようやっと中身を開くに至った。その慎重さがまた彼女らしくて、フォカロルは緩みそうになる頬を必死に引き締めて様子を見守っていた。
 箱の中につまったふわふわのマシュマロを、は不思議そうにひとつ摘み上げる。

「ふわふわでやわやわだ……。フォカロルさん、これは……?」
「マシュマロという菓子だ。口に合えばいいが……」
「きっと大丈夫です。早速いただきますね」

 フォカロルの不安を他所に、微笑みながらはマシュマロを頬張った。……マシュマロを口に入れた途端、大きく瞬き。もぐもぐと口を動かしていくと、また驚いたように瞬く。そして微笑みは、次第に深くなっていき、こくりと小さく喉を鳴らして咀嚼し終えた頃には蕩けんばかりの表情になっていた。

「すごい不思議なお菓子……。ふにふにの中に、チョコレートのソースがいました! ふにふにでとろとろです!」

 珍しく興奮した様子の。確認するまでもなさそうな反応だが、念のためにフォカロルは尋ねた。

「美味かったか?」
「はい、とても! ありがとうございます、フォカロルさん!」

 ああ、良かった。気に入ってもらえて――……。
 安心したフォカロルがそのまま立ち去ろうとしたとき、が「フォカロルさん」と呼び止める。
 どうした、とフォカロルが今一度彼女の方を見ると、

「フォカロルさんも食べてみて」

 興奮さめやらぬが、満面の笑みでつまんだマシュマロを差し出していた。
 フォカロルの目の前に。
 今にも鼻先に押し付けられそうな勢いだった。繊細な指にやんわりとつままれ僅かにへこむマシュマロを凝視しながら、フォカロルは考える。
 ――これは、まさか。
 硬直する彼に、は浮かれたまま告げる。

「おくち、あけてください。美味しいものは一緒に食べるともっと美味しいの」

 鈴が転がるような声音は、フォカロルを大いに混乱させた。
 一度受け取った方が良いのではないか。いや、気遣いを無下にしないためには大人しく口を開けるべきか。しかし、そんな恥ずかしい真似、うっかり誰かに見られていようものなら今後、どうおちょくられることか。
 今一度アジトには恐らく自分とだけであることを確かめ、フォカロルは、意を決した。
 乞われるがままに口を開く。
 喜ぶが、そっとその中にマシュマロを入れる。僅かに彼女の指が唇に触れて、フォカロルはひっそり息を呑んだ。……もう赤くなる顔をどうすることもできず、無言でマシュマロを噛んだ。ふにふにでとろとろ、というの表現は、幼稚であったが適切だった。ふにりと噛み千切ったマシュマロの中からソースがとろりと溢れてくる。ただ、が食べたものと違い、フォカロルが食べたものは苺味のソースだった。

「……美味い」
「でしょう?」
「ただ、俺のは苺味だった。どうやら様々な味があるらしい」
「それは楽しみ……!」

 はしゃぐは、フォカロルの赤面について特に疑問を抱いている様子もない。鈍感な奴で助かった、とフォカロルは何とか顔の赤みが冷めるまで落ち着くことができた。しかし、唇に感じたの指の感覚を思い出すと、また体が燃えるように熱くなる。考えないようにすればするほど、どうしたことか頭はその時を意識してしまう。
 また赤くなったら今度こそ指摘されるかもしれない。
 どうして自分ばかりこんなに慌てふためいているのか。フォカロルは何だか悔しくなってきた。

、お前は自分が実は恥ずかしいことをしている自覚は無いのか」
「え?」
「その、相手の口に食べ物を入れるというのは、積極的に行うものだと思うか?」
「私、サーヤちゃんやジズちゃんと食べさせあいっこします」
「同性同士だろう、それは!」

 フォカロルはつい声を荒げた。

「異性に対して、そう無防備で無警戒な行為は配慮をだな……! 俺は構わん、構わんが! 他の奴らはどう勘違いするかわからんだろう!」
「そ、そうなの? いけなかった……?」
「……くっ、まだわからんと言うなら……!」

 戸惑いながらもいまいち要領を得ないに、フォカロルは妙な苛立ちを覚えた。
 こいつは誰にでもこんな風にするのか? それを疑問も持たずに? 誰にでも当然のようにだと? そんな……そんなこと、どうしてか判らんが許せん――!
 サキュバスやジズが、によく抱き着いているのを思い出し、フォカロルは動いた。
 の持っているものを奪い、近くの棚に置く。驚いた彼女が無防備になったところを、そのまま抱きすくめた。
 小柄で細いはすんなりとフォカロルの腕の中に収まった。垂れ耳がふわりと揺れる。フォカロルは一度腕に力をこめ、ぎゅっと抱き締め、彼女がこの行為を忘れないようにと願った。それからすぐ解放してやると、ぶっきらぼうないつもの口調――しかし頬も耳も赤くして――で、言い放つ。

「どうだ、同性と行うのと異性と行うのは違うだろう?」
「え、えっと……」
「違うと動揺しているのは俺だけなのか? そんなことあってたまるか、お前だって……」

 真っ白な分、の赤面はよく分かった。それを見て、フォカロルは少し安堵する。

「……お前だって、やっぱりわかっているじゃないか。違うんだ、と」

 は口ごもり、真っ赤になった顔を隠すように両手を当てていた。「ふぉ、フォカロルさん……」ただどうするでもなく、困ったように彼の名前を呟き、そして徐々に視線を落としていく。フォカロルを見つめていられなくなったようだ。
 フォカロルは少しだけさっぱりした。自分だけでなく彼女にも平等に恥ずかしがって欲しかったから。少しでも彼女が恥ずかしがるということは、少なくとも自分が異性として意識される範囲にあるという意味だから。

「今後もうっかり無警戒な行為に及ぶようなら、一度胸に手を当てて考えてみるんだな。今の感覚を思い出すように」
「……あ、熱くて、ぎゅうっとされて、頭が大混乱です……」
「そうだろう。俺もお前にバレンタインのお返しをして、頭が大混乱だ。そのせいでこんな訳のわからんことをしてしまっている。すまなかったな」

 今度こそ立ち去ろうとしたフォカロルの耳に、のか細い呟きが届いた。

「……ドキドキして苦しいのに、なんで嬉しいんだろう……」

 そのあまりにも儚く弱々しい声と言葉に、フォカロルは、声にならない叫びをあげかけた。彼の強い理性が無ければ、とっくにどうにかなってしまっていただろう。
 溢れる感情を堪えて頭を抱えうずくまるフォカロルと、その傍で真っ赤になったままうろうろしているが仲間たちに見つかるまで、さほど時間はかからなかったのだった……。


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