※夢主幼少期設定
幼いの姿は兎にそっくりだった。長い耳と長い尾を揺らしながら走る。服の下に隠された羽がわさわさと擦れて正直落ち着かない。叶うことなら服の背中部分を開けておきたいのだが、両親から「せめて羽はしまっておきなさい」と言われて仕方なくしまっている。同じ年頃の子たちは、小さいのことを幸いにも受け入れてくれていた。
この小さな村で偏見なく過ごせることが特別幸福だとは気づかないまま、は、今日もこっそり野原に出る。
動物と一緒になって走り回る様はまさに小さな獣だった。兎と追いかけっこをし、鳥のさえずりに合わせてハミングし、鹿の子供を親鹿と共に見守る。怪我をしたうり坊を薬草で手当てして、気の穏やかな猪の家族と穴倉で寝転がったりもした。
「あまり村の外に出てはいけないよ。危ないからね」
「おとうさん、おかあさん、そんなことないよ。みんなとてもやさしいもの」
ただ、あまりに両親にしつこく言い含められるので、野遊びにヴィータの友達を誘うことはなかった。
の白い羽ははばたくにはか弱く、長い耳はぴんとたてるにはやや重く、ふわふわの尾は容赦なく草地の上を引きずられて土色に汚れた。
同世代の子と遊ぶより、野遊びの方が彼女は好んでいた。
街の中で犬や猫と日向ぼっこすることもあったが、あの青々と茂る草の絨毯がいっぱいに広がっている様は、少女の心を惹きつけて止まなかった。
ある日、大きな嵐が起きた。何もかも吹き飛ばしてしまいそうな強いつよい風。家にたたきつけられる雨はまるで金槌で目いっぱい殴った時のように大きな音を立てて、の身を震わせた。かろうじて雨風しのげる場所のある自分がこれだけ恐ろしいなら、野山の子たちはどれだけ恐怖に襲われていることだろう。
たった一晩で嵐が村を蹂躙した。田畑はひっくり返ったようにぐちゃぐちゃで、屋根が崩れてしまった家もあった。
修繕を手伝うにはまだ足りない彼女は、家で大人しくしているようにという両親の忠告を無視して街の外へ出る。
いつも「ともだち」と会う場所も、ぬかるみ、大きな水たまりが沢山あった。びしょびしょになりながらもは周囲を探して回る。
その時、少し離れた場所に大人の姿を見つけた。より光を返す、白というより銀に近い短髪。たなびくマントは、深い青と緑の合わさったような色。空の青とも、草の緑とも、少し違う。の知らない青と緑を混ぜたマントだった。そして後ろ姿でもわかったのは、長い柄の武器を持っている事。
は、そっと大人から離れようと決めた。そろり、そろりと足音を忍ばせる。しかしぐずぐずになった草原はぴちゃりぴちゃりと小さな足音を消せずに響かせてしまった。風に紛れて聞こえないことを願っただったが、その願いは呆気なく砕ける。
銀髪の大人――男性は、の方を振り返った。
鋭い男の視線に、は何も悪いことをしていないのに怯えてしまう。心臓がばくばく跳ねて、でも足はぴくりと動かなくなってしまって。
硬直するに、男はずんずんと近づいてきた。
「オマエは……ヴィータか?」
「あ、う……」
「ヴィータなのかと聞いている」
あまりの威圧感に、は声も無く頷くのみ。そういえば、と少女は思い出した。自分の外見がいかにヴィータらしくないかを。きっと彼は不審に思っている。不安は増し、彼の握る長斧の鈍いきらめきから目を逸らせなくなった。
「ヴィータの子供が一人でこんなところまで出歩くな。危険だとオマエの親は教えなかったのか?」
「お、おそわった、けど、でも」
「何だ? 何か理由があるのか?」
相変わらず男は恐ろしかったが、の話を聞こうとしていた。怯えるもそれを察して、少しずつ話す。
村で遊ぶよりも、野原の動物と一緒にいることが楽しいこと。昨日の酷い嵐で動物たちがどうなっているか気になって出てきたこと。それらを、何度もつっかえながら訴えた。
の話を聞いて、男は少し考え込み、「なるほどな」納得したように呟いた。
「その見かけは先祖返りの一種か何かか……。まあ普通のヴィータと変わらんようだな」
「せんぞ……?」
「気にするな。オマエの言っていた友達とやらだが、心配しなくとも無事だ」
「えっ!?」
男は驚くを意に介するふうもなく淡々と語る。
「動物たちはオマエなんかよりよっぽど自然の恐ろしさを知っている。昨晩程度の嵐でどうこうなりはしない。餓鬼のオマエには恐ろしい夜だったんだろうが……」
「ほ、ほんと? みんな元気?」
男を見上げては確認した。男は静かに頷く。どこに根拠があるのかわからなかったが、男の言葉は妙に説得力がある。
「みんな、なら、よかった……」
がいまいち納得できずにいるのが、その短い呟きで男に伝わったらしい。男は眉を顰め、マントを翻した。
「行くぞ」
「え?」
戸惑うに、男は告げた。
「オマエの友達とやらがいる場所まで行くと言ったんだ。その目で見なけりゃ納得いかんというなら仕方ない」
「あ、あ、ありがとう……おにいさん」
フン、と鼻を鳴らして男は返す。
「礼は要らん。それとお兄さんじゃねえ、俺はウァプラだ」
はウァプラをいつもの遊び場に案内した。いつもならそろそろと顔を出してくれる動物たちの姿はなく、は少し落ち込んだ。落ち込むを見て、ウァプラは舌打ちした。
「動物たちがいつでもオマエの都合に合わせて出てくる訳がねえだろ、自惚れるな」
「うう……」
「……良いか、納得できるように説明してやる」
ウァプラは、森を歩きつつ、の手を引きながら、茂みや木を指さしながら話し始めた。と普段遊んでくれる動物たちの生態や巣の在処、ヴィータと野生動物が友好関係を築くことの難しさと珍しさなどを。ぶっきらぼうながらウァプラの自然や動物に対する説明は丁寧で情がこもっており、は彼がとても自然を愛する人物なのだと実感した。
ウァプラには渋られたが、いつも仲良くしている兎たちの巣の近くで待ちかまえ、本当に動物たちが無事であることを実際に目で確認することもできた。そうしなくとも動物たちの安否を知る方法は幾らでもあると言われたが、教えてもらうには時間が無かった。
ウァプラは、ヴァイガルドの自然を守るために旅を続けており、今日と出会ったのは偶然だった。元より出会うつもりも無ければこうして案内するつもりも無かった子供相手に半日時間を割いたのは奇跡に近い。
「ウァプラさん、いそがしいのにありがとう」
も何となく事情を察していたのか、ウァプラとの散策が終わるとそう言って頭を下げた。
離れた距離で見れば珍しい動物と間違えてしまいそうな見た目の少女に、ウァプラは淡々と語る。
「わかってるならまず我儘を言うな。……まあ、動物たちを愛する気持ちはわからんでもない」
少女は困惑しているようだった。ウァプラは、もう少し噛み砕いて少女に話すことにした。
「その気持ちを忘れるな。自然を、動物を慈しみ尊べ。この世界はヴィータが好き勝手に荒らして良いもんじゃねえんだ」
は目を輝かせ、何度も頷いた。
「絶対に大切にする! ありがとう、ウァプラさん」
「ああ。じゃあな」
ウァプラはの返事を聞くや否や、踵を返して歩き出す。陽は傾きつつあった。ウァプラの銀髪を蜜のような陽色で染めている。は慌てて「む、村にとまりませんか!」そうウァプラを引き留めたが、まるで聞こえていないかのように彼はずんずんと歩いていく。
あっという間にウァプラの姿は見えなくなり、はしばらく彼が歩き去った方向を見つめたまま立ち尽くしていた。
――それは遠い昔のお話。
村は無くなり、廃れてしまった。森には幻獣が現れ、フォトンを求めて闊歩するようになった。
少女は幼い頃の思い出をほとんど忘れてしまっていた。辛い現実に耐えることに精一杯で、取りこぼしてしまった。
そして男は……。
「ウァプラさん、アジトに来るの久しぶりだね。また自然保護活動?」
「文句あるのか?」
「いえ、私、自然は大切にってむかし教わったから……。すごいことだと思います」
ソロモン王が率いるアジトで、かつての少女の面影がそっくり残ったままのを、男はまじまじと見つめる。
「誰におそわったんだっけ……。家族も言ってたけれど……ううん、昔のことだもんなぁ」
答えを告げるのも野暮だ。何よりいちいち相手が忘れた過去を掘り返すような面倒をウァプラは選ばない。彼女に出されたココアを飲みながら、悩むを静かに見守っているだけ。
心なしかその口元は緩んでいるように思えた。
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