彼女の凛とした横顔に表情というものが浮かぶことはほとんどない。は少なくとも見たことがなかった。
 追放メギドのひとり、ウヴァル。敵を倒した際に微笑を浮かべるとか浮かべないとか、幻獣を狩る者として旅をしていたとか、本人以外のところから少しずつ話を聞いてはいる。けれども、直接話しかけたことは今までない。
 このままではいけない、とは思った。ソロモンと共にハルマゲドンを止めるために戦ってくれている彼女にも、一方的な恩を感じていた。その恩を彼女にも伝えたい。身勝手な行為だとしても、は自分を受け入れてくれたソロモンとその仲間たちに何とか報いたかった。

「ウヴァルさん、良かったら私の部屋で一緒にお茶しませんか」
「……わかった」

 ようやく少しずつ自然になってきたの声かけに、ウヴァルはこくりと頷いた。は台詞を噛まずに言えたことと了承を得たことに胸を撫で下ろすと、早速彼女を自室に案内した。
 部屋の中央にはテーブルがひとつあったが椅子が無い。椅子を探して視線を巡らせていたウヴァルをはベッドへ腰かけるように促し、ウヴァルは疑問を抱くことなく従う。紅茶と焼き菓子を乗せたテーブルをベッドの方へ少し動かして、もウヴァルの隣へ座った。

「すみません…私の部屋、椅子置いてないんです」
「不便ではないのか?」
「ベッドに座ればいいかなって思って、そのまま来ちゃいました」
「そうか……」

 茶会は滞りなく進む。ウヴァルが静かに菓子を食べ、紅茶を啜るのを、は何度もちらちらと横目に見てはほっとしていた。寡黙なウヴァルと口下手なの間に会話が起こることはなかったが、その沈黙もひとりでなければ心地よかった。

「紅茶のおかわり、どうですか?」
「いや、大丈夫だ」

 ウヴァルはすっくと立ち上がる。もう行くのだろう、とは少しばかり寂しくなった。戦い詰めの彼女が少しでも休めたのならば良いのだが。つい俯いたに、ウヴァルの静かな声が降り注ぐ。

「気遣い、感謝する」

 はっと顔を上げては花開くように笑った。
 ウヴァルが微笑を浮かべて自分を見ていることに気付いたからだった。
 それから幾度となくは、ウヴァルをお茶に誘うようになった。幻獣狩りに出かけている彼女と鉢合わせることは少なかったが、疲労した素振りも見せず快く応じてくれるウヴァルに、は一方的に友情めいたものを募らせていくのだった。


 ――友情、めいたもの。少なくとも私は、そのつもりだったような。


 美しいひと。薄い影を作るぐらい長い睫毛に縁取られた碧眼。緩やかに流れる薄い紅水晶の髪。装飾を控えた青色の戦闘衣は彼女のスタイルを引き立てるようにほとんどぴったりとしたものになっている。
 美しいうつくしい――ウヴァルさんは、私の右手を取り、その甲にゆっくり唇を触れさせた。あるときは騎士のように片膝をついて跪き、あるときは寝床で微睡む私を起こしがてら、ウヴァルさんは、私の手の甲へ口づける。
 以前のお茶会で、私が読んだ本の話をした影響なのだと、思う。女王へ忠誠を誓う騎士が跪き、彼女の手の甲へキスをする……そんなシーンがあった。女々しい私はその行為にときめいて、ウヴァルさんとくつろいでいるときに熱く語った。ウヴァルさんから話を切り出すことはほとんどない。口下手な私以上に寡黙な彼女は、私の話をいつも辛抱強く聞いてくれる。けれど、その本の話をしたとき、ウヴァルさんは言ったのだ。

「君は、その行為に憧れているんだな」
「え? ええと……そうなるんでしょうか」
「そうか」

 紅茶のカップを置いたウヴァルさんは、おもむろに私の手を取った。止める間もなく彼女の唇が私の指先に触れ、「いや、違ったか」と呟いたばかりの口を今度は手の甲へ寄せる。淡く色づいたウヴァルさんの唇が触れた場所だけが火を灯したように熱くなった気がして、何より彼女の行動が意外過ぎて、動けずにいた。
 ――ウヴァルさんはこの“儀式”を私に会うたびに行うようになった。
 人目を避けるように私のところへやってきて、「」と私を呼んで、優しく手を取ってくれる。いつものように唇が触れ、私はこっそりと体を強張らせてその瞬間をやり過ごす。ふたりきりの秘密の儀式。

「ウヴァルさん、今日も幻獣の退治に行ってたんですか」
「ああ。それが私の存在意義だ」

 彼女の戦いを、一度だけ見たことがある。速く、苛烈で、一瞬。メギドラル時代の記憶が一切ない、しかし幻獣を狩るという衝動だけはウヴァルさんの中に深く根差している。ウヴァルさんは強い。けれど、心配せずにはいられなかった。
 今日も今日とて部屋で紅茶と菓子を用意していた私は、不意に、不安に駆られ、唇を引き結んだ。
 私の手を取ったまま、ウヴァルさんはそれに気付く。

「何故、泣いている?」
「泣いては……いません。泣きそうになってるだけで」
「私には違いがよくわからない」

 ウヴァルさんは片手を私の頬に伸ばした。きゅっと握られた手、頬を撫でる手。どちらも少しぎこちなくて、けれど、痛いくらい想いが詰まっている。ウヴァルさんは僅かに眉尻を下げていた。困っているのだとすぐわかった。

、君が辛いと……私にも良くないらしいんだ」

 え、と思わず聞き返す。ウヴァルさんは珍しく、言葉に詰まったような様子だった。

「心臓が軋むような、不快な痛みというか……胃の辺りがもやもやとするような、言いようのない不調を来す。今もそうだ。君を泣かせてしまうような失態を私は犯したのだろう、と思うと、私は私自身を罰しなくてはならない思いがする」
「う、ウヴァルさんは何も悪いことしてません!」

 離れていく彼女の手を両手で掴んで、私は訴えた。曖昧な言葉ではウヴァルさんを逆に困らせてしまうだけだ。必死に言葉を選んで紡ぐ。

「ウヴァルさんが私の知らないところでたくさん戦っていて、それはウヴァルさんのなかにある大事なことだから止める権利はなくて、でも心配で……何も出来ないことがとても不安になって、勝手に落ち込んでしまっただけなんです」

 つまり、私は。

「ウヴァルさんが大切な人だから、いろいろ考えてしまうんです」

 たいせつ、とウヴァルさんが繰り返した。僅かに目を見開き、私をじっと見つめ返し、沈黙する。
 私の言葉を噛み締めているようなウヴァルさんの面持ち。じっと彼女が、私の言葉の意味を理解してくれるまで黙って待つ。横顔を見つめることが多かったけれど、正面から見てもウヴァルさんはやっぱり美しかった。その瞳がゆっくりと伏せられて、前髪がさらりと揺れる。私に手を掴まれたまま、彼女は口を開いた。

「感謝する」

 微笑み。美しい微笑に、私の体はかあっと熱を持った。温度が伝わる前に手を離そうとしたら、今度は逆にウヴァルさんが私の手を掴む。そして、いつものように私の手の甲に口づけを落とした。
 心臓がどくどくと跳ねる。この高鳴りは、友達に対してのそれなのだろうか? それとも私は、ウヴァルさんに対して、友達ではない、もしくはそれ以上の何かを覚えて、こんなにも動揺してしまっているのだろうか……?
 彼女が私の手を離し、また小さく笑った。

「私はどうやら嬉しいようだ。君のその想いが」
「それは……良かったです」

 俯く私の頬に、ウヴァルさんの手が添えられる。隠し損ねた赤い顔も温度もこれじゃ言い訳のしようがない。添えられた手の動きに合わせて顔を上げれば、ウヴァルさんと再び目が合う。

「想いを伝えるために、確かヴィータはこういう手段をとったはずだ」

 美しい、うつくしい顔が、私へと寄せられる。

「手の甲ではなく、ここへ口づけるのだろう?」

 ――ああ、そうか。彼女はメギドだから。ヴィータの恋愛観とか、そういうものにきっと疎くて。
 あっさりと唇が重なったことへの動揺を消すことに、私は必死になっていた。
 ――きっとウヴァルさんにとっては、友情の、私が教えた行為のあくまで延長線上のもので。
 けれど、唇が離れた時にあまりに美しくウヴァルさんが笑うから、私の悪あがきはすっかり無駄になったのだ。

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