私は大きな溜息を吐いた。どっと疲れが込み上げる。
今さっきまでアジトじゅうを回り、メギドたちにチョコレートを配って回っていたところだった。およそ一週間ほどかかっただろうか、それでも根気よく回ったおかげで、入れ代わり立ち代わりやってくるメギドの皆さん全員にチョコレートを渡すことが出来た。
なかなかの重労働だった。ふう、とソファーに腰を下ろす。
話しかけ慣れていないメギドたちにも全員、と決めていたので思った以上に気力を使ったようだった。
女性の中にはその場で「私からも」とチョコレートを渡してくれるメギドもいた。その気持ちが嬉しかった。
ただ今は、疲労の方が勝っているだけで。
誰の目もないからと広間のソファーに身を預けたら、あまりに心地よくて動きづらくなってしまった。ついうとうとし始める。眠ってはいけない、眠っては。せめて自分の部屋に行かなくては……。そうは思っても体が動かない。ずっしり鉛のように空気が押しかかってくるような感覚がした。
――少しだけ。
そう思って、目を閉じた。
……ゆら、ゆら。僅かな揺れを感じる。その揺れが心地よくて、瞼を上げられない。ぴったり寄り添う温もりに安堵して体を預けたまま動きたくない。
二人分の足音がしている。「ありがとうございます」アリトンさんの声がした。足音が止まって、キィ、と戸の開く音が続く。「おう」いつもより控え目な彼の声がする。彼、彼の。そう言えばさっきから自分を包む香りも彼のものだ。どうりで心地が良いわけだ、と納得する。
「ラウムさん……?」
ようやっと私が目を開くと、「おう!」と彼……ラウムさんと視線が合った。ラウムさんに見下ろされていて、肩に回された手、膝下に回された手の感覚に、自分が横抱きにされ運ばれていることを知った。ほんのり顔が熱くなる。
ラウムさんは私をベッドに下ろすと、優しく毛布を掛けてくれた。アリトンさんはいつの間にかいない。
「あれ、アリトンさんは……」
「オマエを部屋に運ぶと決めたは良いんだけどよ、両手が塞がって戸が開けらんねぇと気付いたんだ。そしたら手伝ってくれたんだコラ」
「ああ、そうだったんですね……」
ぽんぽんと私の肩を叩きながら、ラウムさんは言う。
「珍しいじゃねえかコラ。あんなところで居眠りなんてよ? また無茶したんじゃねえだろうなコラ!?」
「む、無茶というか、メギドの皆さんにチョコレートを配っただけですよ……」
「オレらにか! そういや貰ったな……って、何人メギドいると思ってんだ! 無茶じゃねえかコラ!」
「だって、皆さんに配らないと意味が無いじゃないですか……。皆さんに助けてもらっているから……」
「だとしてもよぉ……! ったく、頑固か! 義理堅い奴だな!」
私の頭をわしわしっと撫でるラウムさんの手が心地いい。決して乱暴じゃない、あたたかみに溢れた手つき。労ってくれているのだと言うのが分かる。
でも実は私はちょっとだけ嘘を吐いていた。この私の部屋のテーブルに置いてある、特別な包みのチョコレート。いわゆる本命チョコレート。これをまだ渡せずにいた……。
折角の良い機会だ。またとないチャンスだ。今渡さなくては。
「ソファーで寝るのが気持ちいいのは分かるけどよ、風邪でも引いたら大変だろコラァ」
「ご、ごめんなさい。えっと、あの……」
「あん? どうした?」
もぞもぞとベッドから起き上がって、私は、テーブルの上をそっと指さした。
「実はあそこに……まだ一つ、渡しそびれているチョコレートが残って……あっ」
立ち上がろうとしてふらついて、ラウムさんにとっさに受け止められる。
「大丈夫かコラ!?」
「だ、大丈夫です……ありがとうございます」
「ちょっと顔が赤いじゃねぇか、熱でもあんのかコラ!」
離れようとした時に、ラウムさんの右手が私の額に触れてきた。熱を確認するためのものらしい。そんなことをされたら、私、ますます赤くなってしまいかねないのに……。
「ちょっと熱いな、まだ休んだ方が良いぞコラ」
「だ、だだ、大丈夫です……!」
案の定私は赤くなってしまった。体がぽっかぽかだ。恥ずかしさと照れくささと嬉しさで心は大忙しだ。慌てて離れて、テーブルに向かう。ピンクの包装紙、真っ赤なリボン。改めて手に取ると緊張してくる。ラウムさんは優しいからきっとたくさんチョコレートを貰ってるんだろうなあ……なんて少し落ち込みながら、振り返った。
「ら、ラウムさん」
「ん?」
「これ、二個目になっちゃいますけれど、受け取ってください……!」
両手でチョコレートを差し出した。ラウムさんは……ぽかんとしている。
言葉にしなくちゃ伝わらない。そう思って、勇気を振り絞る。
「ラウムさんにももうチョコレートお配りしたんですけれど、何て言うか、ラウムさんは私にとって特別だから、やっぱりあれだけじゃ駄目だと思って……用意してたんです。私の特別な気持ちを込めたチョコレート。だ、大好きでしゅ……」
――最後のさいごで噛んでしまった。舌が回りきらなかった。恥ずかしい――!!
涙がじんわり滲む。顔はきっと真っ赤になっている。
ラウムさんは私の差し出したチョコレートをじっと見つめて動かない。心なしか震えている気がする。
「こ、こりゃあつまり……本命チョコってやつか……コラァ」
「は、はい」
「…………やべぇ」
ラウムさんが急に目頭を押さえた。ぐっと俯いてしまって、私はおろおろする。「ら、ラウムさん……?」そっと尋ねると、ラウムさんは急に顔を上げた。ちょっと涙ぐんでいる。
「有難く受け取るぞコラァ!!!」
「は、はいっ!」
何かの賞状の授与のように、私が両手で差し出したチョコレートを、両手で受け取るラウムさん。ラウムさんは受け取ったチョコレートを掲げながら、ああ、とか、おお、とか不思議な声を上げていた。
「な、なにかおかしいところでもあったでしょうか……」
心配になって声を掛けると、ラウムさんはぶんぶんと首を振って答える。
「なんっにもおかしくねぇ! ピッカピカの最高のチョコレートだコラァ!」
また私の顔は熱くなってしまう。
両手で頬を押さえる私に、ラウムさんは満面の笑みを浮かべてみせる。
「嬉しくてたまんねぇぞコラ! 一か月後なんて言わねぇで今すぐにあらゆる礼がしてぇ……!」
「よ、良かったです、喜んでもらえて……」
「でもよ、本当に良いのかコラァ……。……」
急にラウムさんの語気がしぼんでいった。はい? と尋ね返すと、ラウムさんはぼそぼそと語り始めた。
「こんなオレによぉ……だ、大好きだとか……本命だとか……本当に大丈夫なのかってんだコラァ……」
「え……?」
「自慢じゃねえが、オレはこんなんだからよ! しかもメギドだぞ!? 良いのか本当にコラ! !」
「え、えっと……」
何故か急に自信をなくしているラウムさんに、私は、頷いた。
「ラウムさんは素敵です。優しいです。頼もしいです。格好いいです。まだお若いのに考えもしっかりしていて、ただ年を取ってきた私なんかよりずっと立派です。仲間思いで、強くて、挫けなくて、本当に素敵です」
すると、ラウムさんの顔がみるみるうちに真っ赤になっていった。私ばかり赤いのは恥ずかしかったから、何だかお揃いみたいで嬉しくなる。
ラウムさんは言った。
「オレぁそんな立派なもんじゃねえぞコラ! まだまだ未熟で勉強不足の努力不足だ!」
「そんなことありません。いっつもいっつもいっぱい頑張ってて、すごいです」
「ソロモンたちに比べたら全然大したことねぇぞコラ!」
「ソロモンさんたちも立派ですごいです。けれど、ラウムさんも立派ですごいです。少なくとも私にはそう思えます」
「こんな親不孝者で……」
「ラウムさんのご両親は、自慢の息子だって話しておられましたよね」
「こんな……こんな……」
それでもラウムさんはどうしてか自分を卑下する。そのたびに私は、そんなことはないと否定する。
だって、こんな私に特別な感情をくれたラウムさんだもの……。
ラウムさんは耳まで赤くなっていた。
「、オマエ、あんまりそう人を褒めるもんじゃねーぞコラ!」
「どうしてですか?」
「そんなに言われると、アレだ、その……!」
ラウムさんはカッと目を見開いて私を見た。その目力に私は一瞬肩を強張らせる。
「……したく、なっちまうだろ……」
「は、はい?」
「だからだな、その……!」
「ええと……」
ラウムさんのとぎれとぎれの言葉の意味を掴みあぐねて、私は首を傾げる。
しばらく口をぱくぱくさせていたラウムさんは、何か決心したように、こう発した。
「ぎゅうって、したくなっちまうだろーがコラァ!!」
……思いもよらない言葉に私はくらりとした。ラウムさんの言葉のセレクトの可愛さに、こちらの胸がぎゅうっと締め付けられる。
ラウムさんは恥ずかしそうに口元を手で覆っている。自分がとんでもないことを言ってしまったかとでも表わすように。実際ある意味とんでもないことだったけれど、私は、正直に言って嬉しかった。
本命のチョコレートを渡してこんな反応をしてもらえるということは、つまり、ラウムさんも私と同じ気持ちだということに等しいから。チョコレートを喜んでくれた時点でほぼ確定していたかな……?
それと、どうでもいい人を「ぎゅうってしたい」なんてラウムさんは言わないはずだ。ひっそりずっと見つめてきたから分かる。
なにくれと世話を焼いてくれるラウムさん。
私が異質な外見をしていることを何とも思わないラウムさん。
街で男の人に絡まれた時に助けてくれたラウムさん。
優しい、やさしいラウムさん。
……考えるより先に、身体が動いてしまっていた。
両腕をめいっぱいに広げて、ラウムさんに正面から抱き着く。
「うおっ」
ラウムさんは驚いて声を上げていた。たくましくて優しいにおいがする。大好きな香りだ。
「……!?」
「私も、ラウムさんをぎゅうってしたくなったんです」
「い、良いのかコラァ……」
「はい」
おそるおそる、ラウムさんが両手を私の背中へと回してくる。チョコレートを持ちながら、器用に。その腕が少し震えていたけれど、ぎゅっと私を抱き締めると、震えはおさまった。
こうしてくっつくと、改めてラウムさんの大きさ、たくましさが分かる。私なんかすっぽり包まれてしまった。
ラウムさんもラウムさんで、私がすっぽり収まったことに驚いているようだった。
「な、なんだこりゃ……こんなに細っこいのかよ……」
「いや、ですか?」
「嫌じゃねえけどよ、心配になっちまうだろーが……! ちゃんと食ってんのかコラ……」
「食べてますよ。ちゃんと」
「だ、だよな。髪の毛もツヤッツヤだし……何か良いニオイがするし……」
褒められて私は嬉しくなった。思い切ってラウムさんの胸に体を預けて、すり寄る。顔は相変わらず熱かったけれど、嬉しさが勝っていつもよりちょっぴり積極的になっていた。
「ラウムさんも良いニオイですよ。男らしくて頼もしいの」
「あ、汗くせーだけだろコラ」
「そんなことありません」
そんなことあるとしても、やっぱり良いニオイには変わりないから。
私たちはしばらく抱き合ったまま動かなかった。ぽそぽそと言葉を交わしたりしながら、お互いをぎゅうっとしていた。
……ふふ、本当にラウムさんは可愛いなぁ。
ようやっと離れた頃には、私の赤面はすっかりおさまっていた。ラウムさんはというと、まだほんのり顔が赤い。
「あ、ありがとな、コラ! まさか本当にぎゅうっとできるとは思わなかったぜ!」
「いいえ。私こそぎゅうっとしてくれて有難うございました。撫でてもらって気持ち良かったです」
「そ、そっか。も良かったなら良かったぞ、コラ!」
そう言ってラウムさんはずっと手にしていたチョコレートを見てハッとした。
「や、やべぇ……。溶けてねぇだろうな……?」
「た、多分大丈夫だと思いますけれど……」
「と、とりあえずお暇すんぜ、コラ!」
いそいそとラウムさんは扉の方へ向かっていった。
出て行く直前で私をくるりと振り返り、にっこりと笑う。
「大事に食べっからな! オレもその……大好きだぞコラァ!!」
「……はい!」
「そんじゃあな!」
……最後の最後でまた赤くなってしまった。出て行ったラウムさんの背中をずっと思い浮かべながら、私は、抱き締められていた感覚を振り返って、またまた赤くなっていたのだった。
一か月後を待たずしてたくさんの成果を得られてしまった。けれどきっと、一か月後、律義なラウムさんはお返しをと考えているのだろう。
その前にもっと、両想いになれたのだから、それらしいことを出来たらな、と私は思った。
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