傍目には淑やかながらも実際好奇心旺盛な彼女は、警戒心や危機感というものを持ち合わせていなかった。人を疑わないために、一度目を離せば柄悪い連中に食い物にされ兼ねない。だから必然的に俺は彼女を守りながら行動しなければならず、場合によっては彼女を叱ってやらなければならなかった。正直言うと俺はそんなに暇人じゃなかった。特別忙しいわけでも無いんだけれど。
「アルヴィン様、見てください。綺麗な細工物でしょう?」
「どうしたんだ、それ」
「酒場でルドガー様と共にポーカーなるものを楽しんだ際、頂いたものです」
「とんでもないとこに引っ張って行きやがったな、ルドガーめ」
「あ、ルドガー様は悪くないんです」
は慌てて話し始めた。
見知らぬエレンピオス人によって酒場に引き込まれたを、運良く見掛けたルドガーが助け、そのまま何故か相手との賭け事が始まり、はビギナーズラックを発揮し大勝利を飾り、その証としてこの細工物を貰ったらしい。
多分お相手さんは、が――リーゼ・マクシア人が歩いているのが面白くなくて、巻き上げようってとこだったんだろう。もしくは巻き上げるだけでなく……。考えるのは止めておこう、腹立つだけだ。とりあえずルドガーには今度、礼を言っておかないとな。
「あれほど一人で歩くなって言ったろ」
だって判っているはず。つい最近お互いの存在を認識したリーゼ・マクシア人と、エレンピオス人の確執を。お互いまだやっかむとこが沢山あって。事情が事情とはいえ、エレンピオス人の俺とリーゼ・マクシア人のがこうやって仲良く話しているのが珍しい方なのだ。
申し訳なさに眉尻を下げて、それでも俯きはしないでは俺を見た。
「ごめんなさい。私、どうしても買い出しに行きたくて」
「そんなの俺が行くって」
「駄目なのです、それだと意味がないのです」
「何が駄目なんだよ」
「意味がなくなるから駄目なのです」
あれ、何か今回は強情だな。何時もならすぐ謝ってハイ終わりなのに。どうやらあまり知られたくない事情があるらしい。何度訊ねても「駄目なのです」の一点張り。「意味がなくなる」って何だよ。訳が判んねえよ。こっちがどれだけ心配したと思ってるんだ、GHSに掛けてもうんともすんともしないし、ようやく出たと思ったら何故かルドガーが出るし。その時の驚きったらなかった。何事もなかったから良かったけど、それでも。
一年前に比べて感情を素直に出せるようになってしまった俺は、あからさまに苛立っていた。
「……心配して損した」
思った以上に低い声が出る。ぴくりとが肩を震わせるのが見えた。けれど一度滑らせた口は、止まらなかった。
「俺が構いすぎだったんだな、悪かった。もう何も聞かないし口も出さない。勝手にしてくれ。好きにしろよ」
「あの、私――」
「お前も子供じゃないんだしな。少なくともエリーゼやレイアに比べたら大人だもんな。自分でしっかり自分の身を守ってけるもんな。お節介で悪かったよ」
の瞳からは今にも涙が溢れそうだ。何か言おうとするを遮ってまで捲し立てた俺の胸に突き刺さる光景だった。
唇を引き結び、彼女は俯いた。胸の前で握り締めた両手がかたかたと震えている。怯えからだろうか、悲しみだろうか。何にしろ、しくじった俺には原因なんて関係なかった。
「ごめんなさい……」
深く頭を下げて、は踵を返していった。なるべく早く俺から離れようとしているのが細い背中から伝わってきた。小さな足音を立て、向こうへ向こうへと駆けていく。
やらかしちまった、ああ。俺も色々あったんだよ。仕事が行き詰まって悩んでたのは確かだし、そんな時にがいなくなったりして。肝が冷えて。あれ、つまり八つ当たりしちまったのかな。けれどせめて、連絡のひとつぐらい入れてくれれば俺だって。お互い様だよな。お互い様。、何処へ行くつもりなんだろう。ただ走っていっただけに思えた。何せエレンピオスに来て日も浅い、つまりには土地勘がない。迷うに違いない。それだけならまだしも、また変な奴らに絡まれでもしたら。
……駄目だ。あんな危なっかしい奴、放っておける訳がない!
追い掛けようと踏み出した時、俺のGHSに着信が入った。まさかと慌てて取り出し確認したモニターにあったのはルドガーの名前。まあ、な筈がないよな。内心残念に思いながらも、の行方を案じながらも、すぐに出た。こうなったら手伝って貰うのもアリだろう。
『もしもし、アルヴィン? は一緒か?』
「さっきまでな」
『ん? そうか。あのさ、が一人でわざわざ買い物に出た理由知ってる?』
「今じゃないと駄目か、それ」
『は内緒にしたがってたけど、理由知らないままだとが怒られるんじゃないかなって思って』
歩みは止めないまま、ルドガーの話に俺は耳を傾けた。忙しなく視線を彼方此方にやっての姿を探してみるがなかなか見当たらない。
「つまりわざわざドヴォールなんかほっつき歩いてお前に救助された理由? まあ気になるけど」
気になるどころかそれが原因で喧嘩になっちまったんだけど。
ああ、と受話器の向こうでルドガーが頷くのが聞こえた。
『最近疲れ気味なアルヴィンに、少しでも疲れが取れるようにってお菓子を作ってあげようとしてたんだ』
思わず足が止まった。「は?」声が出た。そんな俺にルドガーは、疲れた時には甘いものって言うし、とかなんとか話し始めてきたがそんなの頭に入らない。
菓子とか。そんなの、そこらで買えるし。というかそれを俺に知られたくなかったのは何でだ。「こっそり作ってびっくりさせようとしたかったらしい」成る程な、一人前にサプライズなんか演出しようとしてたのか。俺のために。
「……ルドガー、手伝ってくんね」
『うん? 良いけど、何を?』
「と喧嘩した。ていうか俺が一方的に言っちまって、いなくなった」
『わ、判った!』
電話の切れる瞬間、『アルヴィンのばかー!』と子供の声がした。ルドガーの傍にいるエルのものだろう。まったくその通りだったから、聞こえないふりをしておいた。
は程なくして見つかった。
発見したのは俺でなければルドガーでもない。ルドガーの飼い猫ルルと、自慢げに笑うエルだった。
陰った表情のまま、はエルに手を引かれて歩いてくる。泣いたんだろう、目が赤い。
申し訳なさそうには頭を下げた。
「お手数、お掛けしました」
「は悪くないもん!」
俺が何か言おうとする前にエルが叫んだ。
「アルヴィンをいたわろうとしたの乙女ごころ、ふみにじるから!」
様子から察した。多分は、俺のことをルドガーとエルに相談したんだろう。そして二人に「疲れたときには甘いもの」と提案を受けた。で、街中で運悪く悪いやつに引っ掛かってどたばたしてそれどころじゃなくなって今に至る。別に俺は乙女心を踏みにじったつもりはない。……形的にはそうなってしまったかも知れないが。
まだ気の収まらないらしいエルを制したのは、庇われた張本人のだった。
「エル様、私がいけないんです。だからアルヴィン様を怒らないで下さい」
「でも……」
「大丈夫です。ありがとう、エル様」
頭を撫でられ、エルが大人しくなる。それを見て幾らか表情の和らぐ。意を決したように彼女は俺に向き直った。
「ごめんなさい、アルヴィン様。私、何とかアルヴィン様を癒す方法が無いか考えて。それで、アルヴィン様に内緒で色々準備していたんです」
「ルドガーから聞いたよ」
「そ、そうだったんですか」
が何故か頬を赤らめる。
「すみません、私、何だか恥ずかしくって」
「俺を労うのが俺に知られたら恥ずかしいって何だよ」
「ええと、その……恥ずかしいものは恥ずかしいんです」
詳しくは聞かないことにする。それより先にすることがあるからだ。
大人しくなったとはいえ一向に俺を咎めるような視線を向けるのを忘れないエルを一瞥し、それから俺はに頭を下げた。
「悪かった。色々言い過ぎてさ」
「いえ、私がいけないんです! ごめんなさい、労うどころか疲れさせてしまって」
「心配して疲れたのは事実だけど、気持ちは嬉しいから」
いじらしくって可愛いもんだと本当に思っている。本当にだ。
はにかむの横で「おたがいさまだね」とエルが呟いた。相変わらずおませなエルをルドガーは苦笑いで見つめていた。
よし、謝ることは謝った。エルの機嫌も取った。次は言いたいこと、だ。
「」
「はい」
じっと目を見つめて、一呼吸。
俺はの肩を掴んだ。
「気持ちは本当に嬉しい、すごく嬉しい。だけど場所選べ、せめてトリグラフとかにしてくれ。ここ危ないから。どうしてもって買い物は一緒に行けば良いだろ、幾らでも付き合う。だから心配させるな。疲れよりも何よりもそれ以上に、お前に何かあったら一番ダメージ食らうんだからな俺は!」
もっと言いたいことはあったが纏まらないのでそれで切った。必死だった。は面食らっていた。ルドガーたちも。しかしはすぐに復活し、あわあわと口を開く。
「ですが、いつも守ってもらってばかりでは」
「良いんだよ。人間誰でも得手不得手がある、それに俺は嫌じゃないから」
「あれやこれやいつも教えてもらってばかりなのも……」
「仕方ないだろ、エレンピオスには確かにややこしいもんが多いから。幾らでも教える。それも悪くないし」
「でも、ですけど」
キリがない。
「俺は頼られたい派だから、気にするなってこと。には十二分に癒されてんだ」
は顔を真っ赤にして固まった。「かほごだよね、アルヴィンって」エルの呟きは申し訳なさそうなルドガーに免じて黙殺する。
「だからあれこれそんなに気ぃ回さなくて良いの」
「は、はい」
「そうだな、俺が疲れてるなーって思ったら、いっぺん抱き着きでもしてくれればぐはっ!」
言い切る前にエルが俺の脇腹に小さな拳を入れてきた。セクハラだと言われた。結構な痛みに涙が滲む。しかしはそんな俺たちを見て、ようやっと深く笑ってみせた。
「判りました。今度はまず抱き締めさせて頂きます」
「、のせたらチョーシのっちゃう!」
「大丈夫です、乗っちゃって貰っても」
追撃せんとするエルを制して、は続ける。
「私はアルヴィン様が大好きですから」
あっさりと言われた。の発言に、何故か俺より先にルドガーが赤くなっている。何でだよ。内心突っ込みながらも俺はに集中した。きらっきらの人を疑わない純粋な眼差しが、真っ直ぐに俺を捉えている。
俺がを気にかけてしまうのも、過保護になるのも、やたらめったら心配になるのも。こうして好意を向けられて嬉しいのも、体が熱くなるのも。全てがもう“好きだから”としか言い様がなかった。遠ざけて久しい愛情というものを、が引っ張り出してしまったんだ。
「俺に先に言わせて欲しかったな、そういうの」
言葉とは反対に緩みきっているであろう俺の顔を、は嬉しそうに見上げてくる。
脇にいるルドガーたちはすっかり蚊帳の外。悪いなあとは思いつつ、俺は暫く、屈託ない乙女の笑顔を眺めていた。
企画「末娘は気取り屋」さまに提出
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