は、弟を探してエレンピオスに渡ってきたのだと言う。俺が言うのも何だけど、彼女のような人を疑わないタイプの女性が一人旅なんて危なすぎる。エレンピオスには治安の悪い場所もある。リーゼ・マクシア人である彼女には偏見や風当たりが厳しいこともあるだろう。リーゼ・マクシア人というだけで攻撃的になるエレンピオス人もいるんだ。……俺は違うけれど。エレンピオス人がみんな、俺みたいな暢気者だと勘違いしてるんじゃないかな。大丈夫かな。
悶々と思考を巡らせるルドガーの前には、のんびりとブランコに座るの姿。ゆったり僅かに揺らしながら、彼女はトリグラフの街並を眺めていた。
「リーゼ・マクシアとはまた違った落ち着きですよね」
「そうか?」
「はい。というか正直な話、エレンピオスの方が住みやすい気がします」
の言葉に、ルドガーは目を丸めた。彼女はエレンピオスの世界に馴染めないのではと思っていたからだ。はリーゼ・マクシアでもより自然に近いところで暮らしていたそうだから、この機械的な街に――ルドガーにとっては慣れ親しんだ暖かみ在る場所だが――怯えてさえいるのではないかと心配だった。
予想外の好印象に、ルドガーは笑った。
「自分の住む場所が誉められるのは嬉しいな」
「ふふ、初めて見たときはびっくりしましたけれど、何て言うんでしょう。……そうだ、かっこいいんですよね!」
まるで子供のように目を輝かせ、は話し始めた。立ち上がり、側の手すりまで歩み寄ると、そこから街を見渡し始める。
とことん付き合おうとルドガーも、彼女の隣に並んで立った。
「あの街と街を繋ぐ乗り物とか、離れた場所の人と話す道具とか、機能的な高い建物とか、どう思考を巡らせたら思い付くんでしょう。思い付くだけでなく実現してしまうなんて尚のこと……」
まだ詳しい名称を覚えきれていないのがらしい。
あれやこれやと指で指し示しながら語る彼女の横顔を眺めながら、ルドガーは相槌を打ち続けていた。時折投げ掛けられる質問に答えつつ、逆に問い掛け返してみつつ。
興奮での頬が染まっていくのも、普段の淑やかさとは違った少女らしさが見られるのも、いつもは聞き手ばかりな彼女が話を止められずにいるのも、どれもが珍しくて嬉しい。
付き合いの長いジュードやレイアたちでも、なかなかお目にかかれやしないだろう。の貴重な子供っぽさを、ルドガーは密やかに堪能した。
「あっ、私ったら、随分喋って……」
「良いんだよ。、すごく楽しそうだし」
「は、はい。つい夢中になってしまいました。ルドガー様があんまりにも聞き上手だから」
ふと我に返ったらしいは、恥ずかしそうに俯いてしまった。しかしルドガーに彼女の真っ赤な頬は丸見えで、微笑ましさが増すばかりである。
「何で俯くんだ?」
「だ、だって……私、子供みたいに……お恥ずかしい限りで……」
「大丈夫、可愛いよ」
「え、えっ!?」
笑ってルドガーが言えば、はますます恥ずかしがった。
ルドガーとて恥ずかしくない訳ではなかったが、自分以上に恥じらう彼女を見ていると、何だか赤くなる暇が勿体無く感じた。自分が照れて喋れなくなってしまうより、照れて喋れなくなってしまうを見つめている方がずっと良いと思った。
見逃すには惜しい表情だったから。
「ルドガー様ったら、あまりからかわないでください。アルヴィン様じゃないんですから」
「からかってないんだけど……」
「そういうとこまでアルヴィン様みたいに、もう……。二段構えには掛かりませんから」
どうやらこの手のやり取りに彼女は覚えがあるらしい。ルドガーとしては本心のままの言動だったのだが。
悔しさを覚えつつ、ルドガーは気を取り直して口を開いた。
「なあ」
「何でしょう、ルドガー様」
「……それなんだけれど」
不思議そうに首を傾げる。
ルドガーは改めて、明確な言葉で彼女へ話し始めた。
「ルドガー様って呼ばれるの、何か恥ずかしいんだよな」
「えっ……! ああ、その、ごめんなさい、私の昔っからのクセでして……」
「そうだったのか……。でも、出来れば普通に名前だけ呼んでもらいたくてさ」
「名前だけ、ですか」
柳眉を下げるに、ルドガーは頷く。
「ルドガー、だけで良いんだよ。歳も近いしさ」
後半は適当な理由付けだった。しかし、彼女に様付けで呼ばれるのが妙に恥ずかしいのは事実である。店の人や一線置いた関係からそう呼ばれるのは構わずとも、仲間内、しかも年頃の女子にされると何か違う。何というか、変な気分になる。決してやましい意味では無い。
対して頼まれたの方は、困ったようにルドガーを見返していた。
「やっぱり可笑しいですか?」
「いや、可笑しくはないんだ。ただ、様つけて貰うほど偉くもないし。それにさ、、結婚とかしたら旦那さんにも様つけるのか?」
「け、結婚……!?」
明らかに動揺するを暫く見つめたのち、ルドガーはハッとした。
自分は選択を誤った。そして言葉が足りなかった。
今の言い方と話の流れでは、まるでと自分が結婚した際の呼び方の話のようにも聞こえるではないか。
恐らくにはそう聞こえた。だから、こんなにも慌てているのだ。
真っ赤になりながら。
そんな彼女に対して、「え、ええっと……」ルドガーがどう説明すべきかを思案し始めた時だった。
「――ルドガー」
静かに、鼓膜に触れた呼び声。
思わずルドガーは、を見た。
じっと此方を見上げる潤んだ双眸と目があった。
そして彼は確認するように瞬間を振り返った。
確かに呼ばれた。
彼女に呼ばれた。
ありのままの名前だけで。
何分も経ったかもしれないし、ほんの数秒だったかもしれない。
不意にがぎゅっと目を閉じた。赤い顔をルドガーから逸らし、はあ、と大きな息を吐く。
「ごめんなさい、ルドガー様……。やっぱり私には、慣れなくて難しいです……」
さして特別ではない筈の、ただ名前を呼ぶだけという行為のはずだ。だが普段と少し違う呼び方に、は照れてしまっていた。
「で、でも私……もし結婚して、好いたその方に“様はつけないで”と言われたら……きっとそうします」
「そ、そっか」
かなり遅れてからの質問の返事に、ルドガーはたどたどしく頷く。
自分から頼んでおきながら、呼び捨てされたルドガーの顔は、に負けず劣らずの赤さである。
照れくさかったが、嫌ではない。寧ろ好ましい感覚を味わいながら、ルドガーは、先の判断を訂正することにした。選択は間違っていなかったようだ、と。
逆に言葉足らずで良かったみたいだ。
「無理はしなくていいさ」
俯くには自分の表情が見えていないのを良いことに、ルドガーは必死に平静を装っていたのだった。
(Title by ジャベリン)
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