全くデュエルをしない生徒がいると、たまたま耳にした。
 詳しく聞いてみれば、その生徒は酷いあがり症で、対人関係が不得手らしい。
 それでもこのデュエルアカデミアに在籍しているからには、デュエルへ確かな情熱を持っているのだろう。
 実技以外は他の生徒の追随を許さない優秀ぶりと噂のその生徒が、自分の性格を乗り越えてデュエルに挑んだら……面白いことになるんじゃないか。
 そんな好奇心から、俺は彼女――に話しかけた。
 見るからに気の弱そうな子だった。
 初めて会った時は、声の掛け方が悪かったのか動揺させてしまったようだった。俺があんなに派手に転んだ女子を見るのは、後にも先にもだけだと思う。というか彼女だけで……あの一回きりでいい。

(白かったな……いや、何を考えてるんだ俺は)

 顔が熱くなって、慌てて平静を装った。
 隣で花だけを見つめる彼女は、そんな俺の動揺には気付かない。
 は、たとえ俺が話しかけても赤い顔でつっかえながら何とか一言絞り出すのがやっとだ。
 まあ、俺が近寄っただけで後退りしたり泣き出したりしていた頃に比べたら、かなりの進歩なんだが。

「もう、終わりかなぁ……」

 不意にが呟いた。
 彼女は、寂しそうな顔で花に触れていた。茎を支えるように添えられた白い指に、何故かどきりとする。
 彼女に“話し相手になりたい”と言った日から、2週間が経った。この花が咲く時期も、もうすぐ終わる。

「かもしれないが……来年、また咲くだろう」
「そう、ですね」

 の優しい声が、俺の鼓膜を揺らす。彼女の横顔には笑みが滲んでいる。またもや俺は心臓が跳ねるのを感じた。
 その柔らかい笑みを湛えたまま、はこちらを見た。

「ありがとう、亮先輩」
「えっ?」
「少しだけ……寂しいのが、なくなりました……」

 恥ずかしそうに顔を赤くしてはいるが、俺から視線を逸らさない。まっすぐ俺を見つめ、俺に対して彼女はそう言って頭を下げた。
 初めて、しっかり顔を合わせることができた。
 何だかやたら嬉しい。俺はにやけそうになる口元を慌てて手で隠した。

「せ、先輩……?」
「なっ、何でもない。大丈夫だっ」

 初めて経験するこの感情は、しばしば俺を挙動不審にさせる。
 そのたびには、自分が何かしてしまったのかと不安そうな顔をする。
 は悪くない。を見て、勝手に感情をざわつかせる俺が悪いのだ。
 心配そうな彼女に「何でもないんだ」と言い聞かせて、俺たちは寮へ帰った。
 そして、この気持ちの正体が判らずに悩み抜いた挙句、俺は…あまり気が進まなかったが、吹雪に相談した。
 馬鹿みたいに笑った後に吹雪が返した答えは、一言。

『――それは恋だよ』

 君が惚れたからにはきっと可愛い子なんだろうね一目で良いから会ってみたいな、という吹雪の呟きをスルーし、俺はまたしばらく悩んだ。
 会って間もない彼女に、俺は恋しているのか。
 吹雪いわく、彼女が顔を赤くするのも“脈あり”らしい。
 彼女が泣けば辛くて息さえ詰まり、彼女が笑えば嬉しさのあまり俺まで頬が緩む。
 これが、恋なのか。

……」
「はい?」

 翌日、いつものようにハルジオンが咲く校舎の外れでと落ち合った。
 一晩悩んだ挙句、なかなかすっきりする結論には至らなかった。
 俺はを見つめた。俯きがちで、彼女の表情はよく判らない。だが気にせずに、話してみる。

「俺は、君に恋をしているようだ」

 が明らかに硬直し、俺を見た。大きな瞳には涙が滲み、顔は瞬く間に赤くなる。その表情が可愛くて胸が不思議な痛みを生んだが、堪えた。

といると、何だかやたら切ない」
「せ、先輩……」
「心臓が痛いくらいだが、不思議と心地良い。もっと、一緒にいられたらと思う」

 立ち尽くしたまま、は目を丸めている。震える彼女の手から、カバンが滑り落ちた。
 俺はに歩み寄った。固まったままの彼女の代わりにカバンを拾う。

といる時間は、凄く幸せだ。多分、君の話し相手になりたかったのも……今思えば“一目惚れ”だったんだろうな」

 真っ赤になりながらも、は俺から視線を逸らさない。涙も必死に堪えているようだ。
 俺がカバンを渡すと慌てて受け取り、それからようやく口を開いた。

「う、そ、ですか」
「嘘じゃない」
「でも、そんな、うそ」
「本当だ」

 の声は、可哀想なぐらいに震えていた。
 カバンを抱えるの指先は白くなっていた。ついに逸らされた視線は忙しなく泳いでいる。
 ひたすら俺を避けるように。

「俺のことが怖いのか?」
「ちがっ……、ます」
「じゃあ、俺が嫌いなのか?」
「それも、ちがっ……」

 苛立ちよりも、彼女の視界から外された悲しみのほうが勝る。
 ようやく、見てくれるようになったのに。折角の進歩を、俺は自らふいにした。

「違うなら、ちゃんと俺を見てくれ」

 彼女は俯いたまま首を振って答える。

「だめ、です」
「何が駄目なんだ」
「だめ……なんです」
「駄目だけじゃ判らない」

 とにかく彼女が逃げ出してしまわないように優しい声を心掛けた。
 が黙り込んでしまっても、静かに答えを待つ。こうやって黙るとき、彼女は話すための心構えをしている。俺は判っていた。
 そんな俺の考えどおり、はしばらくしてから口を開いた。

「……亮先輩は、すごすぎるから」
「俺が?」

 こくこくと、子供のようにが頷く。

「わたし、なんか……亮先輩には……っ」
「俺は、凄くなんかない」
「すごいんですっ!」

 急にが叫んだ。
 それでもあまり大きい声では無かったが、静かな空間では充分すぎるほどに響き渡る。

「強くて、格好良くて、みんなの憧れでっ、先輩は……!」

 の声は、どんどん涙まじりの泣き声に変わっていく。

「こんな、わたしに……話しかけてくれた……や、優しいひとで! わたしには、もう……それだけで、っ」

 どうやら俺は、またを泣かせてしまったようだ。
 は嗚咽を堪えながら、苦しそうに息を漏らしながら話していた。

「わたしは……、もうっ……」

 片手でカバンを抱えたまま、空いた手の甲で目尻を擦っている。の目が、このままでは腫れてしまう。
 無意識のうちに、俺はの手を掴んだ。
 泣きながら、が俺を見上げてくる。滲んだ涙が乱反射を起こして、の瞳を宝石のように輝かせていた。
 思わず、息を呑む。

、正直に答えて欲しい」

 俺の声は、緊張で強ばっていた。
 俺を怖いのか。嫌いなのか。そう聞いても彼女は「違う」と言った。だったらまだ、希望はあるんじゃないか?
 ……遂に俺は、意を決した。

「俺のことが、好きか?」

 ひときわ強く、の瞳が揺れた。
 ぽろぽろ零れる涙が、彼女の顔を濡らしていく。
 それでも視線は、逸らさない。
 今度は答えてくれるまでどのくらい時間が掛かるだろうかという俺の思考を、思っていた以上に早くの声が遮った。

「……だいすき、です……」

 体が、燃えそうだった。

「りょ、亮先輩のことっ……ずっと、ずっと……憧れで、大好きで、一緒にいて、嬉しくって……わたしっ……!」

 たまらず、を引き寄せた。すっぽりと俺の腕の中に収まった彼女は、嗚咽まじりの泣き声を上げる。俺に縋るように服を掴んできて、俺はもう息が止まりそうなぐらいにいっぱいいっぱいだった。

「せんっ、せんぱいぃ……っ、ひっく、わたっ、わたしっ……、ずっと」
「大丈夫、か?」
「うぁぁあ……、せんぱっ、だいすき……だいすきです……っ! ごめんなさいぃ……!」
「あ、謝るな、大丈夫だから」

 背中をさすってやりながら、が泣き止んでくれるように俺は祈った。
 「だいすき」と「ごめんなさい」を交互に繰り返す華奢な体は、とても暖かかった。よく判らないが良いにおいがして、細いのに何だか柔らかい。
 俺の心臓はドクンドクンと大きな鼓動を繰り返す。にも聞こえそうなぐらいだった。

「ひっく、うぅっ……」
、少しは落ち着いたか?」
「うっ、っ、ごめんなさい……」
「だから、謝らなくて良いと言ったろ」

 いささか嗚咽も収まってきたらしいを見つめ、俺は話す。
 もようやく、謝るのを止めてくれた。

「その、は……俺のことが好きなんだよな?」
「っ……はい……」
「俺は……そのことが凄く嬉しい。だからお前が謝ったり、泣いたりする必要は無いんだ」

 改めてそう言うと、何故かの目からは大粒の涙が零れ始めた。せっかく泣き止もうとしていたのに、俺はまた間違えてしまったんだろうか。

……」
「こっ、これは、違うんですっ!」

 謝り掛けた俺を遮るように、は訴えた。

「う、嬉しくて、出てきた涙なんです……! 先輩と、こんな……わたし、すごく、嬉しすぎて……!!」

 胸が締め付けられるようだ、とは、こういうことを言うのだろう。
 息が詰まり、体がまた熱くなり、腕の中のを見つめたまま動けなくなった。
 なんて…可愛いんだろう。
 俺は改めてを抱き締めた。が少し苦しそうに呻く。だが、気持ちは抑えられなかった。

「大好きだ、……!」

 抱き締めた彼女の体が一気に熱を持つ。
 それでももう、怯えたり、逃げたりするような素振りは無い。

「わたしも、亮先輩、が……大好き、です」

 おずおずと俺の背中に回されたの手が、きゅっと俺の服を掴む。
 ――もう俺は、どうにかなってしまいそうだ!
 日が傾き、が「帰らなきゃ」と俺の背中を叩くまで、俺は馬鹿のように彼女の温もりを堪能した。

「大好きだ」
「わ、判りました、からっ」

 こんなに誰かを好きになるなんて、きっともう無いだろう。
 俺は、何があっても彼女を守らなければいけない。
 のためなら俺は……この命ごと差し出して、彼女の盾になる。

 たとえこの身が、朽ちても。

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