ベッドから起きあがると、すぐそばに、椅子にもたれたまま眠る瀬人の姿があった。腕を組み、足を組み、ただ寝ているだけなのに様になる。
久しぶりに体調を崩したせいで、彼には面倒をかけてしまった。後で謝らないと。
瀬人を起こさないように細心の注意を払いながら、ベッドから抜け出す。
窓から、青白い光が射している。きっと綺麗な月が出ているんだろうと思って、わたしはそっとベランダに出た。
想像どおりの丸い月が、深い藍色の夜空に浮かんでいる。
「……きれい」
小さい頃、あの月を掴もうとして必死に手を伸ばしたことがある。でも父と母の冷たい視線に、わたしは泣きたくなって手を下ろした。
両親は私に、病弱であること以外を求めなかった。体の弱い娘を必死に育てる自分たちの姿が好きなだけだった。
いつしかそれにも飽きて、わたしを入院させたきり、顔を見せることもなくなったけれど。
今なら誰も怒らない。
わたしを気持ち悪いものみたいに見る両親の視線もない。
そっと、空に手を伸ばしてみる。月は遠い。少し身を乗り出してみても、やっぱり駄目だ。
もう少し、もう少し。
わたしは、馬鹿だった。届かないはずの月に、手を伸ばし続けた。
ぐらりと体が傾いた。
あ、と情けない声が漏れる。
不思議と悲鳴にはならなかった。
――落ちた。
そう覚悟したわたしの体は、何故か強い力で引き戻される。
腰に回されている腕、背中ごしに伝わる温もり。わたしは恐る恐る振り返った。
大層不機嫌そうに顔をしかめた瀬人とばっちり視線があった。何時の間に起きたんだろう。
「……死ぬかと思ったぞ」
「ごめんなさい」
低い低い呟きに、静かに返した。
「月を掴もうとか、考えてたの」
「そんな馬鹿なことで死なれては困る」
「本当にごめんなさい」
瀬人は怒っている訳ではないようだ。向き直ってわたしが謝ると、心底安心したように息を吐く。
何だか笑えた。
「あなたの肝を冷やすなんて、わたし、凄いわね」
「誉められたことでないぞ」
文句がありそうな瀬人の体に、ゆるく凭れた。ん、と緊張したような小さな呻きを彼が漏らす。そういえばわたしから彼にくっついたのは病院以来かもしれない。
「体に障るだろう。中へ戻れ」
「くっついてれば平気」
「良いから戻れ」
軽々と瀬人に抱き上げられて、わたしはベッドまで戻されてしまった。せっかくの月が、少しばかり名残惜しい。
「滅多にあんな月、見れないのに」
「ふぅん、月など同じだろう」
「ロマンがないわね」
「黙れ。早く寝ろ病人が」
荒々しい口調とは真逆のやさしい眼差しにとらえられ、わたしは大人しく体を横たえた。
いまだに慣れない柔らかすぎるマットレスの感覚に、ひっそりと息を吐く。
「……せっかく瀬人がいるのに、寝るのは勿体ない気がする」
自然と零れたわたしの呟きを、瀬人がどう受け取ったかは知らない。
「、オレは何時でもお前のそばにいてやる。何も気にすることなど無い」
あまりにもあっさりベッドに入り込みながら生真面目に言われたものだから、ついうっかり噴き出してしまった。
わたしたち、馬鹿で良かった。
思っていたよりも強くて白い月明かりは、うっすらと部屋を照らし続けていた。
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