音駒との練習試合の時のことだった。
は、今までに見たことのないような笑顔を浮かべながら、音駒の主将と話していた。何時もよりふわふわの、屈託ないというのがぴったりな満面の笑み。
普段から明るい方なんだろうとは思っていたけれど、それとは全く毛色が違っていた。
バレー部のマネージャーになってからずっと見たがっていた“ネコ対カラス・ゴミ捨て場の決戦”が見れた喜びもあるだろう。
けど、そうではないものもあることが、嫌でも知れた。
「――菅原君」
ハッとして顔を上げると、きょとんとしたが隣にいた。何でだっけ。どうしてだっけ。内心慌てながら状況を整理する。
俺たち以外誰もいない図書室。
大きい机の上に広げられたノートと数学の教科書。
並んで座ってる俺と。
そこまで振り返ってようやく俺は、に勉強を教えている途中だったことを思い出した。
きょとん顔から困り顔に変わったが、呆ける俺の顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫?」
「ああ、うん、大丈夫だよ。ごめん」
「いやいや! 菅原君が謝ることないよ! 疲れてるとこに、私がお願いしてるのがいけないから」
「大丈夫だって。俺だって嫌だったら断ってるし」
のしょんぼり顔に、俺は少しばかり慌てながら返した。それでも申し訳なさそうな彼女に、俺は別の話題を振ることにした。
「でもさ、何でひとりで図書室に? 図書委員だったっけ?」
「ううん、違うよ。図書室当番の子がだるがってたから代わりに私が来ただけ」
「何だそれ……。普通頼むにしても同じ委員会の奴に頼むべ……。まずサボるなって話だよな」
「まあそうなんだけど、私、図書室好きだから全然苦じゃないし。また代わってもいいくらいだよ」
微笑みながら答えるの様子からして、本当にそう思ってやっているらしかった。お人好しと言うか何と言うか。損するタイプな気がする。つられて俺も笑って「そっか」と返す。
ふとは壁掛け時計を見上げた。昼休みもあと15分あるかなってとこの時間。それを確かめると彼女は、教科書とノートを閉じ、重ねて揃えた。最後に筆箱を乗せて一息つき、俺を見る。
「菅原君、ちょっとだけお話しませんか」
「うん、良いよ」
やった、と無邪気に彼女は笑んで手を組んだ。「何を話したらいいかな」たまに指を動かして手を組み直したりしながら、が宙を見る。
それから彼女は、先日の音駒との練習試合や、普段の部活のことなど話し始めた。あの時の速攻が凄かったとか、惜しかっただとか。ちょっと興奮気味な彼女に適度な相槌を打ちながら、たまに口も挟んでみたり。
でもほとんど、彼女の横顔をぼんやりと眺めた時間の方が多かった。長い睫毛だなあ。瞬きの度に上へ下へと揺れて。が少し俯いた。長い長い髪の毛が、動きに合わせてそっと溢れていく。耳の上辺りに輝く花色のヘアピンで髪を留めてあるから、彼女の横顔を髪が隠してしまうことは無い。
そのヘアピンが、どうにも気になった。きらきらと輝く、によく似合ったそれ。
自然と気持ちが口を突いて出ていく。
「そのヘアピン、綺麗だな」
「えっ? あ、うん! 私も気に入ってるんだ。自分じゃこういうの選べなくって……」
「へぇ、じゃあプレゼントか」
心底嬉しそうなが、満面の笑みで頷いた。
綺麗なきれいなその笑顔に見惚れるのも束の間、
「中学の時に、黒尾君がくれたの」
その言葉に、胸の奥の芯みたいな場所が、すうっと冷えていくのを感じた。
“黒尾君”。音駒の主将。中学時代だけ東京で過ごしたは、たまたまそいつと同じ学校、同級生として過ごしたらしい。家も近くて仲良しな“友達”だったのだと言う。
の笑顔と声音に満ちる深い情に、俺は内心こう吐き捨てた。
(友達にそんな顔、しやしないだろ)
清水といる時と全然違うじゃないか。俺たちとの時とも違う。笑い方が何て言うか、いや、それだけじゃなくて、沢山。
何よりがいくら友達だって言ったって、本当にあっちはそう思ってるのか怪しい。
実は音駒との練習試合の時、と話してた黒尾と“たまたま”目が合ってしまった。俺がを見ていたことに黒尾は気付いた。俺の顔を……表情を見て、一瞬だけ目を丸めたのを覚えている。けれどそれより深く印象に残っているのは――その後、全てを察したように、黒尾が笑ってみせたことだった。
その時に俺は判った。
少なくともあいつは、彼女を友達とは思っていない。
俺と同じだ。
(あいつもを――)
胸の中に黒くて重たい液体が満ちていくような、どうしようもない不快感。あの黒尾の笑みがぶり返して、吐き気すら覚える。思い返せば思い返すほど強くなっていって、たまらない。思い返したくなんかないのに。が他の奴と楽しそうなとこなんて。
堪えきれなくなった重みに、思わず眉を寄せてしまう。あからさまに表情に出てしまった。
当然、隣にいるは驚いた。
「菅原君? どうしたの?」
「あ……何でもないよ」
笑って繕うと、疑うことを知らない彼女は「ならいいんだけど」と胸を撫で下ろした。俺の具合が悪いとでも思ったんだろうか。
笑顔を作るのは得意な方だ。俺は笑ったまま、の顔を見つめた。
「は黒尾が好きなんだな」
「え、えぇっ!?」
「だって、何かそんな感じがひしひしとするよ」
は真っ赤になって俯いた。組んだ手を忙しなく何度も組み直しながら、もじもじとしている。
恥ずかしさを堪えながら彼女は必死に口を開いた。
「黒尾君のこと、好きだけど……その、多分お友達としてだし」
「多分なんだ?」
「えっと、えっと……あの、それに黒尾君はきっと私のこと妹みたいなもんだと思ってるから! からかい方が子供っぽいし、電話とかでもからかってくるし、でも、黒尾君は悪い人じゃないし……あの、えっと、その……そういうことなの」
必死なあまりに、自身、何を弁解しようとしてるか判らなくなってきてるのが傍目にも判った。でも十分だった。
どういう意味であってもがあいつを“好き”と言っただけで、十分な衝撃だった。
(嘘でも聞きたくなかった)
否定を期待して話を振ったのに。今こうして話しているのは、すぐそばの俺なのに。の目は俺を見るんじゃなくて、しみじみと、じっくりと、あの男に想いを馳せるように細められた。俺なんていないみたいに。
俺よりちょっと先に会っただけで、今は一緒にいられない男のことで、の中はいっぱいになっていたんだ。
きっと、あいつの思惑通りだろう。
「……あ、そろそろ昼休み終わっちゃうね」
の声に、俺は壁掛け時計を見た。本当だ、あと5分ぐらいで鐘がなる。ろくすっぽ話も出来なかった。ただ一緒にいただけだった。折角の機会を棒にふったような気がして、何だか悔しい。
二人で慌ただしく図書室を出た。
「付き合ってくれてありがとね、菅原君」
「いや、俺も丁度いい暇つぶしになったし」
「本当にありがとう」
最後にもう一度深く笑ってから、は小走りで職員室のほうへ向かって行った。図書室の鍵を返しに行ったんだろう。
遠ざかる後ろ姿を見つめて、俺は何だか悔しくなった。
時間が足りない。
もっと欲しい。
彼女といられる時間が――。
それはこの先いくら足掻いても得られないであろうことを何となしに悟っていて、結局何も出来ずに立ち尽くすしかない俺は、本当にどうしようもない奴だった。
(Title by quasiart)
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