は見た目通りの運動音痴だった。本人いわく「ルールを意識しすぎると体が動かず、動きを意識しすぎるとルールがついてこなくなって、混乱してしまう」そうだった。意味が判らなかった。部活がない日なんかに研磨と三人でボール遊びするぶんには、問題なくトスだってレシーブだって出来る。けれど授業なんかで勝敗のつくスポーツをするとなると、駄目らしかった。
「ちゃん、昔から虚弱体質っぽいとこあったんだよな。小学校卒業する頃にはだいぶ良くなってたらしいけど」
研磨と一緒にの家で夕飯をご馳走になったとき、おじさんから聞いた。
「東京の空気はアッチと違うから再発とかしないかなって不安だったけど、大丈夫そうで良かったよ」
仏様みたいな和やかなおじさんの言葉に、はにこにこしながら頷く。
「うん、それに今は、研磨君と黒尾君と適度な運動して体を鍛えてるからね!」
「大した運動じゃない気がするけど……」
研磨の呟きに「だよな」と便乗して、それから話は逸れていった。
そんななか、ひとりで考えていた。ひっそりとの様子をうかがいながら。
虚弱体質か。
確かに見た目がなんか幸薄そうだし、虚弱といえば虚弱に見える。
けれど大して深く考えることは無かった。
少なくとも今のは虚弱体質なんかじゃない。元気に走り回って、下手くそなりに運動も楽しんでいる。
「にしてもお前食べるの遅いな」
「黒尾君こそおかわり早くない!?」
こんな風に騒いでいる。
だから心配なことは、運動音痴だってぐらいで、他は何ともないと思っていた。
――何ともないはずだった。
中学三年の2月。節分やバレンタインというイベント事が過ぎた後だった。何より三年は入試だ就職だって慌ただしくて堪らない。
東京でも雪がちらつくぐらいには寒さが厳しくて、日が落ちるのもあっという間だった。
「雪積もったりしねーかな」
「それヤダ……ただでさえ寒いのに」
俺と研磨は、柄にもなく「4月に宮城に行ってしまうお友達にバレンタインのお返しをどうするか」で話し合っていた。テキトーなもので済ますとか返さないとかじゃ駄目だということは話し合うまでも無かったが、それ以上の進展がなかった。
まず異性へのプレゼントを俺たちの独断や偏見でセレクトしても失敗する確率の方が高いんじゃないか。
と言うわけで本人に聞きに行こうと、俺たちはの家に向かっていた。
「電話とかメールで聞けば早いのに……」
「手編みグッズくれるような奴だぞ。こっちも丁寧に返さないと祟りがあるかもしれないだろ、あいつ市松人形っぽいし」
「市松って……絶対本人が気にしてる……。ていうか色々失礼……」
「判ってるよ、冗談だ冗談」
下らない会話を、不意に響いたメロディが遮った。「クロの携帯じゃない……?」研磨の指摘通りだった。俺の携帯に着信。その主は――。
「んちだ」
「家電……? おじさんか、おばさん?」
「かな。……はい、黒尾です」
横で寒さに震える研磨を待たせながら、俺は電話に出た。
案の定、相手はのおばさんだった。
『ごめんなさいね、黒尾くん。今お家かしら』
ただ、様子がおかしい。
何時ものんびりした口調で、相手にゆっくり聞かせるような話し方をするおばさんが、何かに焦っているような早口だった。
「いえ、外です。ちょうど今おばさんちに向かってたんですけど」
『もしかして、ちゃんに会いに来てくれようとしてた?』
「はい。……何かあったんですか?」
嫌な感じがする。
俺が尋ねると、おばさんはすぐに事情を教えてくれた。
『実はね、昨日からちゃん、塞ぎ込んでてね。さっきいきなり、泣きながら家を飛び出してったの。学校で何かあったのかしらって……黒尾くんならわかるかしらって』
頭の中が真っ白だった。
昨日のに何があったのか。
判らない。
最近は俺も俺でやることが多いし、休日に集まるどころか、学校で話す回数も前より減ってる。だってそれは同じだ。同じ三年だし。
判らない。
全く話さない訳じゃない。クラスメートだから顔も合わせる。この間だって、追い込みを掛けているの勉強に付き合ったりした。
あれ? “この間”って何時だ?
昨日のは、どんなだった?
俺より先に帰ったことぐらいしか判らない。何となく表情が暗かったのも、たまにあることだからと気にしなかった。万年元気な奴なんてなかなかいないだろ。卒業や引越しが近づいて気分が沈んでいただけで、また何時ものように自分で浮き上がってくるだろうと思って、そっとしておいた。
――いや、放っておいたんだ。
今までにもあったことだ。
誰にでもあることだ。
けれど、昨日のそれは、間違っていたんだろうか?
思い返せば思い返すほど、教室を出ていったの顔が鮮明になっていく。
限界まで涙を堪えて潤んだ目――。
ちょっとでも俺は“面倒だ”とか思ったんじゃないか。
「すいません……、全く判りません。けど、探すの手伝います」
ひとまず俺はの行方を探すのが先決だと思った。あいつは馬鹿だから、ひとりにしておくのは不安だ。
「もしかしたらが帰るかもしれませんから、入れ違いにならないよう、おばさんは家で待っててあげて下さい」
『……そうね、判ったわ、本当にありがとう……!』
電話を切って、隣の研磨を見た。
何があったのか、大体判っているらしい。
「……、いなくなったの?」
「ああ。ついさっき飛び出してったらしい」
「じゃあ……すぐ見つかりそう」
心配していない訳ではないだろうけれど、そう言って笑う研磨は妙に頼もしかった。
はすぐに見つかった。
公園でひとりで泣いていた。なんかの漫画とかドラマみたいなテンプレ通りのシチュエーション。ベンチに座って、俯いていて、でもすぐにだと判った。
「」
呼んだらすぐに顔を上げた。目が真っ赤で、明らかに泣いてました、という顔だった。「黒尾、君……?」辛うじて聞き取れるぐらいの声だ。泣きすぎたせいか呼吸も荒い。
「研磨、君も……」
「いきなり泣いて家出てったって、おばさん心配してたぜ」
「っ、ごめっ」
「……何か、あったの?」
珍しく研磨が直球で尋ねた。はますます涙ぐんで、それでも必死に口を開いて話し始めた。
「昨日っ、ちえちゃん、とっ、ケンカ、なったのっ」
「……応援してた友達……?」
「うんっ、それでっ、でもっ、千絵ちゃっ、わた、しもっ、すきなのっ、しって……!」
相変わらず呼吸が荒くて、言葉は途切れとぎれだ。……いや、どんどん酷くなってきている気がする。
研磨も気付いたらしくて、僅かに眉を顰めた。
「、大丈夫?」
「おこってっ、ひぅっ、でもっ……!」
はひどく震えていた。それを通り越して、痙攣しているように見えた。
何だか怖くなった。
「、落ち着け」
「まえからっ、ひっえ、ちえひゃっ……!」
「落ち着けって!」
の肩を掴んだ。そうしたらは、びくっと大袈裟なぐらいに体を跳ねさせて、ぼろぼろ涙を溢し続けていた。言葉はもう、呂律が回ってなかった。ただ泣いてる訳じゃない、何か他に違う異変が起きている気がした。
俺も焦って、どうしたらいいか判らなくなってきた。とにかくを落ち着かせなくちゃならないと思った。
このままだとがおかしくなると思ったんだ。
「無理して喋んな、まず落ち着け、ちゃんと息吸って吐け!」
「うえっ、うっ、いっ……」
「!」
思わずを揺さぶりかけた俺の腕を、研磨が素早く押さえて止めた。
「おばさん家、連れてこう。……おばさん、看護師だし」
研磨の声も震えていた。必死だった。
俺も我に返って、頷いた。
「だな、俺が背負ってく」
「いける……?」
「研磨には無理だろ。あとおばさんに連絡頼む」
「わかった」
研磨に手伝ってもらい、何とかを背負った。
力が入らない体がこんなに重たいとは。全体重を預けられるのは、なかなか厳しい。ひぃひぃと引きつるような拙くて速い呼吸が聞こえる。背中越しにが苦しんでいるのが全部伝わってくる。
「、ゆっくり息しろ、そんな慌てて呼吸したら誰でも辛いからな」
「っ、うんっ」
「そうだ、ゆっくりな」
「、その調子」
急ごう。
腕に力が入らないようで、は俺に掴まることができなかった。落とさないように支えて、出来る限りの全速力での家に向かった。
幸い、公園からなら走れば5分足らずで着く距離だ。の飛び出していった先が近場で良かった。
「お邪魔します!」
「しますっ!」
「いらっしゃい!」
家にようやく着いた。玄関で待っていてくれたおばさんがすぐに迎えてくれた。
ひとまず居間のソファーにをおろす。少しは落ち着いたか? さっきより悪くはなってないみたいだ。
「見つけた時は、ただ泣いてたんですけど、話聞こうとしたら泣きじゃくって、そのうち具合悪くなってきて」
「呼吸、うまくできてないみたいで……何か体も力が入らないらしくて……」
上手く説明できてるか判らなかったが、俺たちの話を聞きながら、おばさんはの状態を看ていた。何処か強く痛む場所は無いかとか、色々と確認している。
そして幾らかすると、緊迫していた表情をフッと和らげた。
「うん、過呼吸ね。心配ないわ」
心配ない。
その一言で今までの緊張の糸が、音を立てて切れる。
どっと体の力が抜けた。
「過呼吸て……」
「呼吸もすっかり落ち着いてきてるし、体のしびれが抜けるまではもう少し掛かるだろうけど……大丈夫よ」
「よかった……」
なんだあれ。過呼吸てあんなにヤバイのか。笑いすぎて過呼吸になるとか言ってる奴いるけど、笑いすぎるたびにコレやってんのか。「死ぬことはないから」っておばさんは言うけど、コッチは本当に死ぬかと思った! 研磨なんか脱力し過ぎてへたりこんでる。俺も膝ついたけど。
緊迫感から解放された瞬間、安心感に満ちて言葉が出なかった。ふわあっと何かが抜けてった。まさに脱力だ。でも。
ああ、良かった。本当に。
「しばらく動けないなら、ベッドに寝かした方いいっすよね。俺、運びますよ」
「ありがとう! 黒尾君、力持ちねえ」
「実はだいぶ見栄張ってます」
さて運ぶか、と腰をあげて、を見た。ぼんやりした顔で俺を見つめ返している。泣き張らした目で。
「ごめん、ね。黒尾君……」
すっかり呼吸は落ち着いていた。
は両手をついて体を起こそうとしたが、まだ動きが危なっかしい。当たり障りないように手を貸して支えた。
「本当に、介護みたいで、ごめん……」
「随分と若い婆さんだな。お姫様抱っこしてやろうか」
「うう……つっこむ気力が……」
「あれって支えるの至難だよ、クロ」
会話できるほどに回復したを背負って、部屋まで運んだ。
何だか以前より物が少なくなった気がする。もう荷造りを始めているんだろうか。
ベッドにおろして、何か言いたげなに、まずは横になるよう勧めた。大人しく横になったのを確認してから、俺たちもテキトーに座った。
「で。話の続き」
「うん、その……千絵ちゃんとケンカになっちゃってね」
また泣きそうな顔になっていたが、は堪えながら続けた。
「私が、千絵ちゃんと同じで滝君が好きだったのを、千絵ちゃん、前々から気づいてたらしくって。昨日、お昼一緒に食べてたときに、滝君と調子どうって聞いたら、千絵ちゃんを怒らせちゃって……」
「それで?」
「昨日はそれきり口聞いてくれなくて、今日は休みだから、せめて謝りたくて電話したんだけど……駄目だったの。“私に関わらないで”なんて……やっぱり怒られちゃった」
何となく、その友人が怒りたくなった理由も予想がつかないわけじゃあなかった。
が、そこは俺たちが踏み込んで勝手に決める場所じゃない。
「じゃあメールしろ、メール。拒否られてたらそこまでだけどよ。あんなに仲良しだったんだから何とかなる」
「わ、判った」
「今じゃなくていい。まだ動けないんだろ。文まとめるとき、絶対内容を口で言いながら打ちそうだし」
「さすがに、そこまでバカじゃないよ。……うん、後でひとりでがんばる。ダメなら学校で真っ向勝負する」
ふにゃふにゃの笑顔は、もう何時ものだった。
「黒尾君、二回もおんぶしてくれてありがとう。研磨君も、いっぱい声かけて背中さすってくれてありがとう」
小学生の感想文みたいにありのまますぎるだろ。なのに妙に気恥ずかしくて、俺は適当に笑って流した。研磨も何時になく照れ臭そうだった。
「別に……大したことしてない」
「でも二人がいてくれたら安心感すごかったよ。昔、私、気管支が弱くって……今は平気だけど。あの頃の怖いのがあったから、二人が来てくれてすごい助けられた」
「そりゃ良かった」
「あ、あとね……」
が俺を見た。少し言いづらそうに、というか、はにかみながら呟いた。
「不安なときって、めいっぱい人にくっつくと安心できるね。黒尾君におんぶされてるとき、暖かくてね、すごく落ち着いたよ」
こういう顔で、こういう言葉を言われて、恥ずかしくないって奴がいたら俺は尊敬する。
が、俺はポーカーフェイスは得意なので、の言葉を難なく受け止め、返した。
「そうか。俺も柔らかいもの押し付けられてラッキーだったから、重たくてしんどかったのは流しておくわ」
「クロ、おっさんくさい」
「重くてごめん……」
そこからはもう、普段の俺たちだ。ぎゃーきゃーぎゃーと賑やかしい話ばかりで、もう何十年も一緒にいたもの同士みたいに盛り上がる。
あと二月で、一人が欠けるとは思えないぐらいに――。
「なあ、欲しいものとかない?」
「えっ?」
「バレンタインの……お返し」
これが当初の目的だった。うっかり忘れかけてたけど。
は「いらない」と言いかけてたが「何が欲しい?」いつになく積極的に喋る研磨に被せられてしまう。
どうやら降参したらしいは、しばらく唸ったのち、顔を上げた。そして自分の長い髪を摘まんで……。
「この髪を無難に変えたり飾れたりできるアイテムが欲しい……かなあ」
とてつもなく自信なさげに答えた。
……こいつでも使えそうなヘアアクセ、頑張って探そう。
俺と研磨は言葉無く見つめあい、しっかりと頷いた。
「お返し期待しとけよ」
「うん、ありがとう。色々な意味で」
「……ゆっくり休んで」
「ありがとう、研磨君も優しいね」
目的を果たしたのち、俺たちは、おばさんにご飯をご馳走になった。
後日は病院にも行ったらしいが、やっぱりあれはただの過呼吸だったとのことで安心した。小学校時代に散々インフルやら気管支炎やら罹ったお陰で「虚弱だけどしぶとい体質になった」のだとか良く判らないことをは言っていた。
あとは友人と仲直りしていた。メールの後、電話をし、学校で会って直接話し合い、全てが解決したのだという。とりあえず良かった。
だが、俺は確かめておきたいことが1つだけあった。
何時ものように学校で、クラスメートと廊下で談話するに、背後から近づく。
「、ストップ」
「えっ――?」
反射的にが立ち止まり、振り返る。その無警戒状態のを俺は……抱きかかえに行ってみた。
「えええええええっ!?」
おお、前に比べて持ちにくい方法の筈なのに。
が叫んでうるさい。まあ仕方ないか、一生縁の無さそうなお姫様抱っこ絶賛体験中だもんな……。
ちなみに周囲の視線にはワンテンポ遅れて気付いた。
その視線がちくちく痛い気がしたので、をゆっくり下ろす。
ぽかんとしたを見下ろして、俺はにやりと笑ってみせた。
「前より軽くて運びやすいな。今度ドジったら今のやるから気合入れてろよ」
「……」
の返事がない。
直立のまま、何も返ってこない。
どうしたことか。思わず首を傾げる。
すると、黙したを見かねたらしい友人が、代わりのように口を開いた。
「黒尾君。、ショートしちゃってます」
「えっ」
直立不動で真っ赤になったに触ると、文字のごとくショートした機械のように熱かった。
思わず俺は胸中で叫んだ。
お前そんなんで高校生きてけんのか、と――。
Top