《時間はあるか?》
必要最低限の短文メール。仙道が部屋を訪れる前にへ送ってきたもの。
バンやアミたちは「にメールをしても返事が無い」と言っていたのに送って数分で返信が来た、と後にからかわれるほどのスピードでは反応していた。
《大丈夫ですよ》
《じゃあ今すぐ出て来い。部屋の前にいるから》
少女は文字通り慌てて部屋を出てきた。やややつれ、頬がこけている。それでもいつも通り身だしなみを整え、おかしくはないか確認しているを見て、仙道は胸を痛めていた。
――本当にどうしてもっと早く来てやれなかったのか、と。唇を噛み締めたくなるのを堪えて、彼は、が好いて止まない『魔術師』として振る舞ってみせた。
「散歩でも行こうぜ」
「は、はいっ」
ふらつきながらも、は精一杯笑みを浮かべた。仙道に心配をかけまいとして。こんなボロボロの姿を見せてしまって尚、ひとえには仙道への想いで奮い立ったのだ。ふわりと仙道の前を過ぎながら、はヤマブキへ呼びかける。
「ヤマブキさん、わたくし少し出てきますわ!」
「えっ? は、はい。お気を付けてお嬢様!」
「はい、行ってきます!」
塞ぎ込んでいたはずのの溌剌とした声と駆け足に、ヤマブキがひっそりと安堵していたのを仙道は知っている。
苦手だったはずの執事に「心配するなよ」と目配せして、仙道は張り切ると共に屋敷を出た。
「転んで怪我でもされたら困るし、落ち着いて来たら良かったのによ」
仙道はそう言って笑った。まだ身だしなみを気にするを温かな眼差しで見つめている。
は困ったように「何処までドジ扱いなんですか」と呟き、ようやく呼吸を整えた。改めて仙道に向き直ると、不思議そうに尋ねる。
「して、私が呼び出された理由は?」
「何となくだよ。まあ、適当に歩こうじゃないか」
「は、はい」
今度は先に歩き出す仙道の後ろを、言われるがままにはついて行った。
はめいっぱい、空気を吸い込んだ。久々に歩く外は、何となく頭の芯をしゃっきりとさせるような気がする。快晴に相応しい青空と穏やかな日差しは、散歩に抜群の天候であった。
自分を呼び出した仙道の真意は全く掴めない。が、何となくは思っていた。
――私、仙道くんに気を遣われてるのかな。
しかし、その割には何時も通り人を小馬鹿にするような調子だ。本当に気紛れなのかも知れない。
は深く考えることを止めた。
歩きながら会話する訳でもなく、ふたりはただただ歩く。唯一あったアクションというか変化といえば、「従者じゃないんだから、後ろじゃなく隣を歩けば良いだろ」と言われ、が仙道の隣を歩くようになっただけだ。もちろん他の通行人の邪魔になるようならすぐ後ろに行くし、結局従者のような状態ではあった。
「少し休むか」
「はい? あ、はい!」
「年上なんだろ、もう少ししゃっきりしたらどうなんだ?」
「すいません、久々に歩いたら……っていうか仙道くんに誘われたことがまだびっくりで」
「そうかい」
彼の横顔に滲む微笑みに、の心臓は高鳴る。道の脇にあったベンチに仙道が座るのを見て、は隣に腰を下ろした。
過ぎゆく人の喧噪に、紛れる感覚。賑やかな街中にいながら、の心は不思議と和らいでいた。静かな部屋にいるより、ずっと楽だった。
「久々に、ゆったりしてる気がします」
「こんなに騒がしいのにかい?」
「家にいると、色々考えてしまうので。……正直、呼び出してもらって助かりました」
「本当に珍しい奴だな、アンタは」
馬鹿にするような調子のこもった仙道の言葉さえ、には心地よかった。何時も通り。それが幸せだった。ぽっかり抜け落ちたものを、少しずつ癒やしてくれる気がした。
親の残した事業たちを、ひとりで抱えることになった。ヤマブキがそばで支えてくれようとも、まだ十六にもならない少女が向き合うには全てが大きすぎる。彼女は子供と言うには賢過ぎて、大人と言うにはあまりに無垢であった。
ゆっくりレックスの死を悼む暇さえ、周囲は与えてくれない。それどころか、レックスと共に両親を死んだ者として扱う人々が多かった。がどれだけ『ワールドセイバー』という存在を訴えても、子供のたわ言だと、聞いてくれない。ヤマブキですら否定はせずとも困惑していた。
『遺産はどうなる? 事業はどうなる? あんな子供に何ができる? しかも女だろ、てきとうなのに嫁入りさせて引っ込ませとけよ』『さっさとあの御曹司に嫁いだらいい。空になったの事業をかっさらうチャンスなんだから』
『あーあ。遂にも終わりかな。吸収されてみんなリストラかな。そこらの会社となんも変わらないや。来るんじゃ無かったな、こんなとこ』『落ち込むのも仕方ないですが、あなたはの一人娘なんですよ。しっかりしてください。亡くなった親御さんのためにも前を向いて』
心無い言葉の方がどうして重く響いてくるのか。最後のオペレーションの後に訪れた会社の喧騒を思い出し、は俯いた。視界が霞んで、じわりじわりと滲む涙が揺らぐ。きゅっと膝の上で握りしめた手は、力が強すぎて白くなっている。
それを仙道が見つめていることは、もちろん気づいていない。
仙道は素知らぬ顔で口を開いた。
「家は落ち着いたのか?」
「それなりには」
「ちゃんと休んでるか?」
「一応。ちょっとふらつきそうですけど」
「呼び出して悪かったな」
「いいえ。嬉しかったです、大好きな仙道くん直々に呼び出しだなんて。勿体無いくらい」
「そうか……」
答えはすれども顔は上げない。上げられない。俯いたままのに、仙道は言った。
「……ひとつだけ」
「え?」
「ひとつだけ、ワガママを聞いてやるよ。気紛れで呼び出した代わりにな」
思わずが顔を上げる。赤くなった瞳で仙道を見つめる。とっくに泣き出しそうなことはバレているはずだ。しかし仙道は何も言わない。仕方のない奴だね、と言いたげな笑みを浮かべて。彼も内心思うこと、悩むことに溢れているはずなのに、を一番に想ってくれている。
それがにはありがたかった。こんなにも愛しい人が、こんなにも寄り添ってくれている。込み上げてくる感情のままに、少女は口を開いた。
「だったら……ワガママ言います」
「ああ」
「私、思いっきり愚痴ります。けれど、馬鹿にしたり嫌ったりしないでくださいね」
仙道が頷くと、はまた俯いた。涙ぐんた瞳を隠したかった。あまり心配をかけ通しになるのも嫌だ。これでも年上なのだから。薄っぺらくて小さい意地を張っているだけだと見通されても張りたいものは仕方ない。
「レックスさんが死んでしまって悲しんでる人がいる。こうしている間にも、両親を亡くしてしまった人がいるでしょう。それより酷い目に遭う人もいるでしょう。周りの人は聞いてくれないんですけどね、私の両親は攫われたらしいんです、だから、きっと、マシな方なんでしょうけれど」
小さな呟きに、仙道は何も言わずに耳を傾ける。
「けれど、私は“世の中には私より辛い人がいるんだからめげちゃいけない”とか、“何時までも落ち込んでないで頑張れ”とか、そんなこと言えないぐらいショックで怖くて辛くて苦しいんです」
それは、いつでも笑っているの、傷付き過ぎた内面の吐露だった。まっさらに生きている世間知らずのお嬢様ではない、ただのひとりの少女の心情だった。
「辛さに軽い重いと比重を求められては、イヤです。おかしいじゃないですか。他人の痛みを手にとって見れるわけでも無いのに、誰々よりマシとか。酷いじゃないですか。馬鹿みたい。そんな話してたら、みんながみんなに余所の辛さ押し付けて、誰も泣いちゃいけないし苦しんじゃいけないってことになってしまいますよね。弱音吐きたくても吐けないです。吐きすぎが周りにも自分にも良くないのは判りますけど、理解できても心臓や頭はついてけないです」
周りに当たり、自分の傷を何とかしようとも思った。しかし元来のお人好しな性分が邪魔をして。苦しみが苦しみを呼んで、の中で悪循環を引き起こしている。
仙道は思った。彼女は悲鳴の上げ方をよく知らないのだ、と。
少女の声は、更に震え、掠れていく。
「ちゃんと頑張って立ち直るから、また頑張るから。その前にちゃんと悲しませて欲しいの。前向きになる前に、ちゃんと泣かせて欲しいの。大好きな両親のこと、優しいレックスさんのこと、馬鹿みたいに泣いて、へこんで、でもちゃんといつか乗り越えて、頑張るから。次の段階に進むために、一度休ませて欲しいの……」
は、遂に泣いてしまった。ぱたり、ぱたり。大きな涙の粒が彼女の頬を伝い、落ちていく。
「何で……私を置いてくの……。お父さん、お母さん……」
行き交う人々の視線も気にする余裕もなく、は泣いていた。
仙道も視線を気にすることは無かった。ただただ静かに、が泣き止むまで隣に座っていた。
「……誰も、嫌いになりゃしないさ」
ただただ、静かに。
――ふたりが邸まで戻った頃には、すっかり日も傾いていた。
「今日はすみませんでした。けど、本当に助かりました。ありがとう」
「礼を言われるようなことをした覚えはないね。俺の呼び出しに、そっちが応じただけだろう?」
「ふふ、そうですわね」
相変わらずな仙道の言葉には笑う。出掛ける前とは別人のような朗らかさだ。自身が泣きながら話したとおり、悲しむ時間をようやく手にしたことで、彼女は次の段階に進んだのだろう。
「良かったらヤマブキさんに言って送ってもら……」
「いいや平気さ。どこぞのお嬢様と違って、方向音痴じゃあないからねぇ」
「私だって、最近はまともになりました!」
そうかよ、と仙道は笑った。もからかわれながら気分を害した様子は全くない。当然のように笑顔のままであった。
「それじゃあ、さよならです。仙道くん」
「ああ、さよなら」
「また遊びましょうね」
「気が向いたらな」
そうして仙道は踵を返した――のだが、くるりとに向き直った。
「そうだ。」
「はい?」
「ちょっと、目、閉じてな」
「は? はい」
言われるがままには素直に目を閉じる。仙道が何をしようとしているのか、全く予想がつかない。
彼が近づくのが気配で判る。
ふわりと風が揺れた。
次に感じたのは、ぬくもり。背中に回されたものが人の手であること、肩口に誰かの顔があること。そしてそれが何なのか、この状況が何なのか。鈍いも流石に気付いた。
ぎゅっとぬくもりがを抱きしめて、それからゆっくりと離れる。
「もう良いぜ、」
合図を受けて瞼を開ければ、初めて見たときと同じように笑っている仙道がいた。は目が合うなり真っ赤になり、惚けてしまう。
仙道は、企みが上手くいったと言わんばかりの満足そうな笑顔のまま、改めて「じゃあな」と踵を返したのだった。
「わ、私……いまなら死んでも後悔しないわ……」
つぶやきは、夕日に紛れて溶けていく。
サターンの警報に似ていて毎日辛かった夕日色が、ようやく美しいものだと思い直せるようになっていた……。
「――あの時死ななかったのは奇跡に近いですわね」
ぽつりとひとり、雑貨店で呟くのは少しばかり怪しい。はっとしては我に返る。
手には「コレですわ」と決めた愛らしいリボンがある。キヨカの髪にきっと映えるだろう。ただでさえ可愛いキヨカが更に可愛さを増すことを想像して、また別の意味で顔を赤くする。
「くぅ~~っ! 仙道兄妹おそるべし……。私のハートを捕らえて離さない……」
「プレゼント決まったのか?」
「はいいぃっ!?」
突然合流した仙道に声を掛けられ、は飛び跳ねた。
「は、はいな。こちらなどいかがかと……」
「良いじゃないか。やっぱりこういうセンスあるな。アンタと来たのは正解だったぜ」
無事にキヨカへのプレゼントを購入した二人は、雑貨屋を出た。
はふと空を見上げる。冬の冷たい空気で澄み切った青空。雪はゆっくりと溶けだしていた。
レックスが死んでからも、両親がいなくなってからも、今日と明日は繰り返し訪れている。日毎に小さな変化を繰り返しながら、絶えず続いている。
「仙道くん……クリスマスはどうしますの?」
「アンタんちに行こうかと思ってたが。誘ってくれるんだろう?」
「……ええ、ええ! 勿論!!」
キヨカは友人たちとクリスマスパーティーをするということで、仙道はその日家を抜ける予定だった。冗談半分にへ返すと、はすっかり喜んで舞い上がっている。こうなっては冗談だったと言いづらい。だが断る理由も無く、と過ごせるならばそれに越したことは無かった。
「とびきりのプレゼント用意してますから」と満面の笑みではしゃぐ。社長業の合間にしっかりそんなことも考えていたとは。仙道はというと……実は何も考えていない。LBX関連のプレゼントにしようとしたら妹から「そんな色気のないもので女の子喜ばせようだなんて」とどこで覚えてきたのかびっくりな言葉で却下された。学生のおこづかいやバイトなどの範疇で、仙道自身も納得しかつが喜ぶものなど思いつきもしなかった。
しかし。
空を見上げて、仙道は思う。
――いつか、少しずつ明日と今日を繰り返していけば分かるか?
こんなにも無邪気にはしゃぐ少女の、こんなにも自分を慕ってくれる少女の、とびきり喜んでくれるような物。
それが、いつか、分かるだろうか。
「とりあえずブルーキャッツでも寄ってくか」
「はい、大賛成です」
キヨカへのプレゼントに想いを込めんと大切に抱える。その横顔を特等席で眺めながら、仙道は思った。
――いつぞや引いたタロットカードの運命通りになったな。
あの日引いた太陽のカード。それはという存在が自分にとっての良き変化、導の“太陽”となる、そういう暗示であった。まさかこんなにいじらしく騒がしくしかし愛らしい光が、隣にあるなんて。
「仙道くん、どうしましたの?」
視線に気づいたが、仙道を見る。誤魔化すように仙道はタロットを切った。
巡り出たカードは『世界』の正位置。
仙道は口元を釣り上げて片目を閉じた。
「いや、俺の占いは良く当たるもんだと思ってな」
「仙道くんのタロット占いは、きっと世界一ステキですもの!」
今日も仙道への愛情を惜しげも無く披露する彼女に占いの意味を教えるのは、もっと後にしよう。
仙道はそう決める。
二人の未来には沢山の約束があった方が、きっと楽しいだろうから。
無垢な姫君の花開く笑みに、魔術師は生涯の想いを誓っていた。
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