小さな呻きが聞こえる。のものだ。うう、とか、ああ、とか、呻きと呼ばれるものを思い付く限りひたすら一つずつ絞り出しているようだ。
 そんな少女の声がふと止む。呻く言葉が尽きたのか、その代わりに、はぽつりと溢した。

「仙道くん……助けてくださいませんか……」

 何時もならば皮肉を言いつつもの願いを無下にはしない彼でも、今回ばかりはどうにもならなかった。

「助けてやりたいのは山々なんだがねぇ。俺も動けないんだよ」
「どうしましょう、私が軽はずみなことをしたばっかりに仙道くんまで……」
「いや別に、そんな大したことじゃあないさ」

 自分たちを取り巻く状況に、仙道は嘆息する。

「犬猫に集られたぐらいで騒ぐほど、俺はビビりじゃあないんでね」

 ――そう、二人は大量の犬と猫に囲まれていた。というか、犬や猫たちにのし掛かられ倒され、埋もれていると言った方が近い状態だ。
 どうしてこんな事になったのか。遡ること数日前、とあるのメールが発端だった。

『今度の土日、グレースヒルズでワンニャン広場というイベントがありますの。その名の通り犬や猫と触れ合えるイベントなのですけど、良かったら一緒に行きませんか?』

 特に予定もなかったし、からの誘いを断る気もない。ついでに言えば、少しばかりイベントに興味が沸いた。だから仙道は了承のメールを送った。喜び舞い上がるからすぐに待ち合わせ場所と日時が告げられ、今日、約束通りに合流した。
 そして例のイベントへやって来た。ショッピングモールの一部が会場らしい。流石グレースヒルズと言うべきか、一部のスペースとはいえイベント会場は十二分に広く、まさしく“ワンニャン広場”たる光景が広がっていた。
 の持ってきた入場無料券でいざそのスペースへ入り込んだ途端、広場の犬猫たちが一斉に此方に反応した。
 ひっそり驚く仙道を他所に、はほわほわの笑顔を浮かべている。

「わぁ~、人懐っこいワンちゃんですわね~」

 数匹の犬が、尻尾を振りながらに駆け寄ってきた。が屈んで犬たちを迎えると、今度は猫たちもやって来た。

「あらあら、猫ちゃんも一緒に来ましたわー! 流石ワンニャン広場、犬も猫も仲良しですわね~」

 呑気なに、屈託のない瞳で大型犬がじゃれつく。立派な体格のその犬を、は細い体で必死に受け止めている。まるで海外のホームドラマのワンシーンだ。

「わわっ、おっきいですわー!」
「本当に令嬢に見えるよ、今のあんた」
「えっ、今まで嘘の令嬢に見えてましたの……!?」
「いや、そうじゃなくて……なっ!?」

 に視線を合わせるように屈んだ仙道の背中へ、衝撃が走る。彼の背に、白く長い毛の猫が飛び乗っていた。中途半端な姿勢のまま固まる仙道を他所に、猫は居心地良さそうな顔で腰を落ち着けている。
 それを見て、犬を必死に押さえながらが笑った。

「仙道くんの上で、猫ちゃんたら置物みたいになってますわ」
「猫の癖に俺の上に乗るとは……。良い度胸だねぇ」

 の周りにはまだまだ犬と猫が集まってくる。このままだと会場じゅうの犬と猫が集結しそうな勢いだ。
 仙道は何とか背中の猫を下ろすと、改めてを見た。

「随分と人気じゃないか」

 明らかに動物たちがを目指していることが判る人気ぶりだ。他の客たちと戯れていたはずの犬猫も次々との元へ近付いてくる。何がどうしてに引き寄せられているのか、仙道には判らない。動物に好かれそうなタイプだとは思っていたが、限度と言うものがある。
 も異常な集まり方をする動物たちに困ってきたらしい。

「嬉しいですけど、他のお客さんに申し訳ないですわ」
「あんたが気にすることでもないんじゃないの?」
「気になるものはなりますわ」

 なんとか犬と猫を優しく退かした少女は、彼等から距離を取ろうと歩き始めた。少しばかり早足で。
 それを見た仙道は嫌な予感がした。
 そして、予感を裏付けるように、大型犬たちが駆け出した。
 勿論犬たちが目指しているのは……
 追いかけっこで遊んでくれるのだと勘違いしたらしい犬たちが、次々と目掛けて走っていく。

、止まれ!」
「えっ!?」

 仙道が咄嗟に出した声が、状況を更に悪化させる。
 ぴたりと止まったの周囲を、無数の毛玉が瞬く間に取り囲んでいった。まふまふのふわふわでモコモコの、大中小様々なサイズと種類の犬と猫による押しくらまんじゅうだ。
 その圧力に耐えきれず、じわじわとは体勢を崩していく。膝まで埋まり、下半身が埋まり、遂に倒れ込んでしまう。
 仙道は慌ててに駆け寄った。彼女の救出をするつもりだった。
 しかし、仙道も犬猫集団の波に呑まれ、あっという間も無く動けなくなってしまった。
 ――そうして今に至るのである。
 倒れたまま、犬や猫たちの温もりや触り心地を楽しむ。こうしているうちに動物たちもそのうち飽きるであろうと、半ば諦めの気持ちで仙道は考えた。
 命に関わるような問題でもなかったし、少年は静かに動物たちに身を委ねる。

「こんなに動物に好かれる人間がいるとはね」
「わたくしもびっくりですわ。でも仙道くんもかなり好かれてるご様子……」
「俺はただの巻き添えだよ」
「も、申し訳ないですわ……」
「別に悪いことしちゃいないだろ、あんたは。というか、こんな事態だってのにスルーしてるスタッフの方こそどうなんだ」
「そう言えばそうですわね、うぷっ……。また口のなかに毛が……」

 スタッフも前代未聞の事態に混乱しているのかもしれない。しかし、代わる代わる頬擦りしてきたり舐めてきたり色々忙しない動物たちの襲撃に、一番困り果てているのは間違いなくだ。
 このままだと毛玉に埋もれて死ぬかもしれない。

「わっ!? ちょっ、猫ちゃん!」

 不意にが叫んだ。何が起きたのだろうか。
 現状以上にとんでもないことなど、仙道には予測がつかない。犬と猫の山で殆ど姿は見えないが、慌てふためく少女の声はしっかりと彼に届いていた。

「そ、そこは潜り込んじゃダメです! ダメー!!」

 ――仙道は無言で跳ね起きた。
 押し寄せていた犬猫集団は必然的に散り散りになる。驚いた動物たちがぱたぱた走り去るのを横目に、仙道はすぐさまの救助に取り掛かった。
 動物を押し退け、追い払い、押し退け、追い払い……それでも尚押し寄せんとする動物へガンを飛ばし、仙道はようやくを救い出した。
 毛まみれになり、髪もぼさぼさ。令嬢は疲労困憊していた。

「ひ、ひぇぇ……」

 ぐったりと横たわるのスカートから、一匹の猫が飛び出していく。それを確認した仙道は、を抱き起こした。

「おい、。生きてるな?」
「は、はい、お陰様で……なんとか~……」

 目でも回したのか、返事にも覇気がない。

「あぁ、仙道くん……服が毛まみれに……。折角のヘアーも乱れてらっしゃいますわ」
「あんたほとじゃないよ」

 自分のことより他人の心配をするらしさに苦笑しつつ、仙道は彼女を支えながら立たせた。服の汚れをはたいてやり、髪も手ぐしで幾らか整えてやると、は大分しゃんとしてきた。

「有難うございます、仙道くん」

 頬を染めてが笑う。「お返しですわ」と彼女は仙道の服についた汚れや毛をはたき始めた。次いで仙道の髪に手を伸ばし、自分もそうしてもらったように、彼の髪を整えた。
 ――そこまでしてから、不意には真っ赤になった。

「どうしたよ……」

 呆れたような仙道の問いかけに、は赤くなった頬を両手で隠しながら答える。

「わわっ、わたくし、仙道くんに抱き起こして頂いたり、勢いでたくさん触ってしまいましたわ……!!」
「気にしなくて良いだろ、そんなの」
「き、気にしないわけがありませんわよ! ああぁぁ、こんなつもりでは……」

 踞るに、どうしたの? と再び犬猫が集い始めた。
 このままが会場にいては、他の客が楽しめなさそうだ。自身、かなり疲れているようにも見える。

「十分堪能したし、出るか……」
「はい……」

 ようやく駆け付けたスタッフの尽力により、無事に仙道とは会場を脱出したのだった。
 その後二人は、ショッピングモールを巡り、飲食を楽しみ、吹っ掛けられたLBXバトルに勝利し、充実な時間を過ごした。

「ふあー! 濃厚な一日でしたわ!」
「犬と猫が濃すぎたな……」

 二人がモールを出た頃には、もう午後5時を過ぎていた。楽しい時間とは字の如く、あっという間なものである。

「わたくし、マタタビか何かに似たにおいがするのかしら」
「それだったら犬は来ないだろ。でも何かこう、動物を引き寄せるモンはあるかもな」
「うーん、謎ですわー……」

 そんな二人の前に、一台の乗用車がぴたりと止まった。磨きあげられた黒く輝く車体。すっかり見慣れた、の屋敷の車であった。

「お迎えに参りました」

 勿論運転するのは執事のヤマブキである。車から降りてきた彼は、恭しく頭を垂れた。

「仙道君、本日は暇をもて余したお嬢様の付き添いをして頂き誠に有難うございました」
「……あんた本当にの執事かよ」
「一応確か……そのはずです」
「自信持てよ。真顔で言うなよ。冗談に聞こえないんだよ」
「はは、失礼致しました」

 子供をからかうような、大人特有の妙な余裕綽々とした態度だ。
 は苦笑しているだけだが、仙道は明らかに苛立っている。しかしそんな少年少女の反応すら、この執事にとっては想定内のことなのだ。

「冗談はこのぐらいにして……仙道君、お疲れでしょうからご自宅までお送り致しますよ。さあ、お乗りください」
「助かるよ、今日は本当に疲れたからね」

 仙道がそう返しながらと共に車に乗り込む。
 そうでしょう、とヤマブキは運転席へ戻りながら笑った。

「何せお嬢様は昔から動物を引き寄せる妙な体質でございますから、ワンニャン広場で相当もみくちゃにされたであろうことが安易に予測できます」
「知ってたなら先に教えろよ!」
「はっはっは、申し訳ございません。黙っていた方が楽しい思い出になるかと思いまして」
「こんのエセ執事……!!」

 仙道が尚もヤマブキに食って掛かろうとするも「運転に集中させてください」と一蹴されてしまう。
 やり場のない感情に震えながら、仙道は歯を食い縛った。

「……
「は、はい」
「今度お前ん家に行ったら、この執事を思い切り伸してやるからな。LBXバトルで」
「……はいっ!」

 仙道の言葉に、は微笑みながら頷く。
 然り気無く交わされたそのやりとりは“また一緒に遊ぶ”という約束に等しかった。仙道にそんなつもりは無かったかもしれないが、はそう前向きに受け取ることにした。

「その時は美味しいお菓子も用意して待ってますわ。クッキーが良いかしら……」
「お前が作るモンに外れは無ぇから何でも良いよ」

 毛玉に押し潰されたりなんだり、それが全て執事の策略に思えたり、大変な一日だった……。
 しかし今日と言う日が、忘れられない思い出のひとつとして二人の心に刻まれたこともまた、事実なのであった。

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