※少しですが動物の死骸の描写があります
8月も半ばを過ぎた。
降り注ぐなんて生易しい表現からかけ離れた太陽の光と熱。鉄板の上で焼かれているのではないかと錯覚するような暑さだ。電光掲示板に流れる天気予報はもちろん快晴、気温は33℃。真夏日、というものだった。
暑さに参って虚ろな目をしている通行人たちに紛れて、目的もなくただ歩いた。何故か屋敷にいたくなかった。それだけだった。
「こんにちは、ジンくん」
俯きがちに歩く僕の耳に、透き通った女性の声が届いた。初めて聞く声ではなかった。誰だったか。足を止め、記憶を掘り起こしながら顔を上げる。
淡い青色のワンピースに身を包んだ女性が、目の前に立っていた。ふわりと微笑むその顔には、まだあどけない少女の影が滲んでいて、酷く懐かしいものを見たときのように僕の胸は切なく痛んだ。
「さん」
返すように僕が名前を呼ぶと、彼女……さんは笑みを深くした。
さんに誘われ、近くの喫茶店へ入ることになった。冷房の効いた店内で疎らに座る人たちをぼんやり眺めていると、さんに呼ばれた。「座りましょう、ジンくん」心持ち急ぎ足で彼女に続き、席につく。向かい合うかたちになって、自然と僕は彼女を見つめた。さんも暑かったのだろう、じんわりと肌が汗ばんでいる。心臓がどきどきして、先までとは違う種類の熱が生まれた。あまり見ていてはいけないような気がして、そっと視線を逸らした。
「ジンくんも、汗かいてますわね」
僕の思考を見透かしたかのような言葉にどきりとした。さんを見ると、やはり笑っていた。
「ジンくん、暑いのは苦手ですか?」
「得意な人はあまりいないと思います」
「そうですわね。わたくしも苦手ですわ」
会話が弾まない。しかし僕が会話の不得手な人種であることを、彼女はよく知ってくれている。沈黙も苦にならないタイプのようで、終始穏やかだった。
ぽつりぽつりと、蛇口から溢れる雫のように端的な会話をしつつ、存分に僕らは涼んだ。
注文したドリンクを飲み干してしばらくしてから、「そろそろ出ましょうか」とさんが提案した。
僕も頷く。
「自分の分は自分で出しますから」
「ここは年上におごらせてくださいな」
「いえ。出させてください」
会計を終わらせ、僕らは再び熱射の下へと晒された。
陽炎で揺らぐ視界。
路地裏から飛び出した猫が、僕とさんの前を素早く過ぎて行く。白い猫だった。首輪もついていたような気がする。
「放し飼いの猫でしょうか」
さんも猫に視線を向けていた。瞬く間に姿を消した猫のことを名残惜しむみたいに、しんみりとした声だ。
「……危ない」
「ですわね。暑さでへばったり、事故に遭わなければ良いのですけど」
「僕もそう思います」
轢かれた動物の死骸を、誰しも一度は目にしたことがあるだろう。決して気分の良いものではない。
知らない誰かが、これ以上潰されないようにと、死骸を道の脇に寄せようとしていたのを見たこともあった。今日のように暑くてあつくてたまらない日だった。死骸は見た目以上に傷んで脆くなっていた。その人は作業に随分と手こずっていた。結局しばらくしてから何処かの役所の人が来て、それを片付けていった。
暑いなか、僕はその一部始終を眺めていた。だらだらと滴る汗よりも、周囲の無遠慮な視線よりも、ビニール袋に押し込められた死骸が気にかかって不快だった。
……何がどうして不快だったのだろう?
そして僕は、不快なものをどうしてずっと眺めていたのだろう?
(暑さでおかしくなっていたのかもしれない)
多分、今日のように。
「ジンくん」
不安げに揺れる声がした。
我に返ってさんの方を向くと、彼女は心配そうに僕を見つめていた。
「何だか表情が暗いです。具合が悪いのでしたら、屋敷までお送りしますわ」
「大丈夫です。……今日は、屋敷にこもっているのが嫌で」
最近のおじい様の様子がおかしい気がして、屋敷にいてもどうにも落ち着かなかった。以前より会話は機械のような無機質さを増し、LBXの腕を幾ら磨いても、言葉をかけて頂くことがない。
少しずつおじい様は変わってきている。
僕は一体どうしたらいいのだろう?
その悩みをさんに打ち明けることも出来ず、言葉を濁すことしか出来なかった。
さんは「そういう日もありますわよね」と顔を綻ばせて、深くは追及しないでくれた。
「わたくしも、屋敷にこもっているのが嫌でしたの」
「仙道君の追っかけはしなくて良いんですか?」
「あら……。ジンくん、わたくしが仙道くんのファンだとご存知でしたのね」
「ちょっとした噂になってますよ。“箱の中の魔術師”が女をつれ回してるとか、付きまとってる女がいるとか」
「まあ、それは困りましたわ……。仙道くんのご迷惑になっていそう……」
柳眉を下げる彼女の呟き。
それはきっと杞憂だと思う。仙道君の性格からして、迷惑なもの・不要なものはすぐに切り捨てているはずだ。そうしないということはつまり、彼は現状を……さんの好意を受け入れているに等しい。
彼女に心底想われている仙道君に、僕は確かな羨望を抱いた。そして今、そんな彼女と共に時間を過ごしているのが僕であるということが喜ばしかった。
一般的に考えれば些細なことかもしれないが、それは僕にとって、大きなおおきな幸せだ。
この暑さにさえ感謝したくなるほどに。
「そうですわ。わたくし、ジンくんのLBXバトルを拝見したいんですの」
「僕の……?」
「はい!」
急な提案に戸惑う僕を他所に、さんはニコニコと続ける。
「バンくんたちも“秒殺の皇帝”である貴方の腕前を絶賛してましたわ! わたくしも今一度、じっくりジンくんのバトルが見たいのです」
LBXバトルをしたら、少しは気分が晴れるかもしれない。何よりこんなに期待に満ちた目をされると、やらない訳にはいかなかった。
僕は静かに頷いた。
さんは「やった!」と嬉しそうに笑みを深める。
「ゲームセンターに行けば誰かお相手してくださるはずですわ。早速行きましょう」
言いながら、さんは僕の手を引いた。急な接触に、思わず心臓が跳ねる。太陽とは別のものが、僕の体を熱くした。
もしかしたらさんは、気を遣ってくれたのだろうか。この僕の胸中を漂う靄の存在を察して、提案してくれたのかもしれない。だから、気分転換も兼ねて、共通の趣味を話題に出してくれたんじゃないだろうか?
――なんて、自惚れすぎか。
陽炎の揺らめくアスファルトの道を、僕らはただ駆ける。
日差しは相変わらず厳しかったが、僕の心は少しずつ彼女の行為によって解されていった。
ゲームセンターで僕のバトルを見守っている時も、そのあと二人でコンビニに寄ってアイスを買って食べた時も、終始さんは笑っていた。
夕暮れ時になり「そろそろ帰らなくちゃですわね」と呟いた時もそうだ。
「今日は有難うございました、ジンくん。とっても楽しかったですわ」
「僕こそ。お陰様で少し、気分が楽になりました」
「まあ、それは何よりですわ!」
本当に彼女はよく笑う。
「じゃあ、また。バイバイです、ジンくん」
「はい、また。機会があれば」
少しネガティブな僕の返答に、さんは声をあげて笑い、こう言った。
「無理矢理にでも機会は作りますわよ! お友達ですもの」
強引なその言葉にさえ、胸は高鳴る。
陽炎と夕焼けの中、歩き去る彼女の背中を、僕は呆然と見つめていた。
さんがくれた優しい言葉と、幸せな時間を忘れないように。
彼女の姿が見えなくなると、僕も屋敷へ帰るために歩きだした。
いつか、また。さんと会う機会があったなら、今日より真っ直ぐ向き合えることを祈った。
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