今日は冷える、と天気予報が先週からしきりに注意していたから、マフラーと手袋をしてきたのに、びっくりするぐらいの晴天だった。風もいつもよりずっと優しくて、肌を切るようなあの冷たさはない。雪が降るなんて予報もあったのが嘘のようだ。
 何度もCCMで時間を確認しながら、キタジマ模型店の前で仙道は嘆息する。

「まあ、三月だしねぇ……」

 早いところでは桜も咲く時期だ。予報はあくまで予報。それを鵜呑みにした自分の愚かさを少年はひっそり悔いた。
 行き交う人たちの、一足早い春の装いを眺めていると、改めて自分が場違いに感じられる。しかし数秒後、仙道よりもっと場違いかつ真冬の雰囲気を背負った少女が駆け寄ってきた。
 ふわふわの耳当てとダッフルコート、マフラーと手袋……と、完全な寒さ対策をしたである。顔が赤いのは恐らく、急いで走ってきたから……ではなく、着込みすぎて熱いからだと思われた。耳当てを外し、鞄にしまったは深々とお辞儀する。

「お待たせしました、仙道くん!」
「そんなに待っちゃいないよ」

 本当は30分前に来ていたことは内緒にして、仙道は涼しく返す。
 頭をあげたはホッとしたように笑うと、きょろきょろと辺りを見渡した。

「皆様、すごい薄着ですわ……。天気予報を信じて防寒対策してきたのは間違いだったみたいです……」
「まぁ、あんたはちょっと気合い入りすぎだな」
「……でも、寒いよりは良いですもんね!」

 前向きな彼女の言葉に、苦笑する仙道。自分に言い聞かせるようにうんうんと頷くの頭をぽんと一撫でして、仙道は歩き出した。

「さ、行こうぜ」
「はい!」

 屈託ない笑みを浮かべて隣を歩くを思って、仙道は普段より少し遅めに歩く。
 ――3月14日。今日はのための日だ。
 そう少年が意気込む理由はひとつ。ホワイトデーだからである。先月の今日、とびきりのプレゼントを頂戴したからには、やはりそれ相応のお返しというものを贈らなくてはならないだろう。いついかなる時も仙道中心に生活しているのために――彼女が自覚しているかはともかくいつも色々と頂いている身としての、最低限の礼儀だ。
 最初、仙道が“ホワイトデーは一緒に出掛けよう”と言ったとき、は「そんなおそれ多い!」と首を降った。バレンタインのプレゼントに関しては完全に自分がそうしたくて押し付けたものであり、それに対してお返しをもらうなど、とてもできない。真っ赤な顔でそう弁明して、仙道の申し出を彼女は必死に断った。
 しかしそれでは面目ない、と仙道も譲らなかった。これでも自分達は付き合っているのである。にはまだ良い意味で衝撃的で受け止めきれていないようだが、彼は違う。

「俺とあんたの仲なんだ、そんな遠慮だとか謙遜だとか要らねぇだろ」
「ま、まるで、だって、そんな恋仲のような姿を知っている方に見られたら仙道くんにご迷惑が……」
「いや、その恋仲って奴なんじゃないのか。俺たちは」
「うわああ……! そう真正面から仰らないで……! まだ実感が無くてドキドキが止まらなくなりますの……!」
「……ホワイトデーに一緒に出掛けるって言うまで、何度でも言ってやるよ」
「わかりました、わかりました! 私なんかで良かったら、ぜひご一緒させてください!」

 最初に断ったときよりもずっと顔を真っ赤にさせて、そうは答えたのだった。
 ……仙道は、あまりに奥手な彼女の相手をするにあたり、時にはこういった強引な手段も厭わなくなった。
 表情に出さないだけで実のところ、仙道の方がよほど恥ずかしい思いをしてきているのだ。今までのの猛烈かつ無自覚なアプローチの数々を思い出せば、体が熱くなる。その印が表に出る前に全部もう一度胸の奥に沈めてから、仙道はの横顔を見下ろした。
 最初あれだけ断っていたのに、何だかんだで幸せそうな顔である。本当にどうして無駄な遠慮などして手を焼かせるのか。……手が焼けるのは、今に始まったことではないが。

「あんたは、何度言っても聞かないねぇ……」
「え?」

 目を真ん丸にしてが見上げてくる。
 呆気に取られたの手を握りながら、仙道は言った。

「その自信の無さだよ。殊更自分のことに関しちゃ、世間知らずだダメだ何だと思い込みすぎてる。LBXの腕前がダメだからって全部ダメって訳じゃないだろ?」
「でも私、本当に色々疎いですし……あと、初恋は実らないって聞いていましたから……。やっぱり夢のようですの」
「俺の隣に立つんだろ。もっと自信持ちな、

 大体全部詳しかったり出来たりする人間の方が少ないんだ、と仙道が更に添えれば、はなんとも言えないはにかんだ表情を見せた。もう、こんなやりとりを幾度となく交わしている。それでも飽きないのは惚れた弱味というものだろうか。今のうちにこれだけ彼女の面倒くささや頑固に慣れておけば、月日が経っても何とかなりそうな気がする。
 ……いや、それより今は目の前の問題だ。将来への展望が広がり掛けて、慌てて仙道は我に返る。
 実のところ、ホワイトデーにを誘うことだけは決めていたが、肝心の“お返し”が決まっていない。女子が喜ぶプレゼント。そんなこと、LBX一筋の仙道には判らなかった。女子と言ってもはかなり変わった……特殊なタイプである。全く予測がつかない。

(下手に使えねぇモンより実用的なモンの方が良いだろうな……。もういっそ、本人に聞いた方が早いか?)

 ふらふらと街を歩いているだけで、は楽しそうだった。
 そう言えば、少し冷えてきた気がする。空も太陽を遮るように雲が広がり、やや暗い。
 ――着込んできたのは正解だったかもな。
 空を見上げていた仙道の手が、僅かに後ろへ引っ張られた。反射的に彼は足を止める。

「どうした?」
「あ、ご、ごめんなさい!」

 何かに気を取られたらしいが、ハッとして仙道へ向き直った。彼女が歩き出しかけたのを、仙道は「良いって」と制した。
 が見ていたのは、雑貨屋だった。一目で女性向けショップと判る、愛くるしさ満載の内装である。
 仙道のみで入るのは厳しいが、に付き添う形でなら耐えることが出来そうだ。

「入ってみるかい?」
「い、良いんですか?」
「今日はあんたのために使うって決めてるんでね」

 真っ赤な頬を緩ませて、は声にならない様子で頷いた。
 店内に並ぶ商品もやはり可愛らしいものばかりだ。ウインドウから見えていた縫いぐるみからバッグだけでなく、アクセサリーからLBX用のデコレーションシールなど、様々な“女の子向け”の品が揃っている。縫いぐるみがバッグになっていたり、小さい縫いぐるみかと思えばCCM用ストラップだったり、仙道からすると使いにくそうなことこの上ない物たちひとつひとつに、は目を輝かせていた。

「こ、これ可愛いと思いませんか?」
「俺に聞かれてもねぇ……。まあ、似合わなくはないと思うぜ? ふわふわしたあんたらしいよ」
「ふ、ふわふわ……。褒め言葉だと思っておきます……」

 はしゃぐ恋人に意見を求められても、仙道のシビアさは鈍らない。
 キュートな雑貨の数々に、彼の目は早くも疲労していた。外から眺めるのと、中に入って取り囲まれるのではこうも感覚が違うものか。しかし、ここはのため、と仙道は無言で耐える。次から次へと、様々な雑貨を手に取るの後ろを、静かに従者のようについて行く。
 はヘアアクセサリーコーナーで立ち止まった。流し見で済ませていた今までとは違う反応だ。目ぼしいものが見つかったのかもしれない。

「良い髪留め、無いかな……」

 恋人の呟きを――それはもう驚くほど小さくて、普通なら気付きもしないような声量のものだ――、仙道は聞き逃さなかった。
 ――ここでが気に入るものがあれば、それを買ってやろう。
 瞬時に彼は決めた。

「ゆっくり見て回りな。あんまりこういう店に寄ったことも無いんだろ?」
「はい……! じゃあ、お言葉に甘えて」

 嬉しそうには髪飾りを眺めていく。仙道もプレゼントの目処がついて、安堵していた。ただ見守っているのも暇なので、彼女に合いそうなものを、自分も探してみることにした。
 だが早速問題にぶつかった。の好みが判らないのである。

(フリルか? リボンか? そんなの、この辺ほとんどに溢れてるじゃねぇか……!)

 みるみるうちに顰めっ面になっていく仙道に、はすぐ気が付いた。こういう時だけは敏感なのだ。

「仙道くん……。大丈夫ですか?」
「ん? ああ……。じゃなきゃいないさ」
「なら良いんですけれど……ほら」

 は仙道の眉間に人差し指で触れながら、苦笑した。

「ここに、いつもより凄いシワが寄ってらっしゃるから」

 予想外の恋人の行動に呆気に取られる仙道。一瞬遅れて、カッと体が熱くなる。顔が赤くなるのを隠す余裕も暇もなかった。意外そうには瞬きすると、今度は小さな笑い声をあげ始めた。

「仙道くんがそんなに赤くなるの……珍しいですね。良いものを見せていただいちゃいました」
「良いから、さっさと好きなモン選べ」
「ごめんなさい」

 謝罪も笑い混じりだ。たまに、こうやって立場が一気に逆転することがある。常に自分がリードしていくつもりが、ふとした時にのペースに乗せられていることに気付く。女性には敵わないものなのだろうか。今までに経験のないその恥ずかしさは、流せるほど柔なものではない。嫌ではないのだが、こんなことすら楽しく思える自分を知ってからというもの、どうにもむず痒いのだ。

「……ん?」

 してやられた仙道が気を取り直した時、目に留まったものがあった。
 他の商品に比べると落ち着いた色合いの、深い赤色のカチューシャだった。結び目に花飾りをあしらったリボンがついており、何となく気にかかった。
 これは結構良いんじゃないか? 思うや否や、仙道はそのカチューシャ片手にの肩を叩く。

「はい?」
「ちょっとじっとしてな」

 真面目な仙道の眼差しに、少し緊張した面持ちでが固まる。その間に仙道はの髪に触れ、早速カチューシャをつけてやってみた。もちろん、は戸惑った。

「仙道くん……?」
「こんな感じか?」

 カチューシャの付け方など全く知らない仙道は首を傾げる。細かく位置を調整しながら、仙道はようやく満足がいったように笑った。コーナーの隅に設置された小型の鏡の方へとを誘導し、

「どうだい?」

 両肩を優しく掴んでくれている仙道の自信たっぷりな笑みを鏡越しに見つめ、は夢心地だった。ふやけた微笑みのまま、幸せのあまり思わず遥か彼方へ飛び去ってしまいそうな意識の端をギリギリ捉えて、は仙道の見つけてくれたカチューシャにようやく視線を移した。
 他の商品より控えめな、しかし可愛らしいそのカチューシャを、は一目で気に入った。

「素敵です、このカチューシャ。私、これに決めました!」
「そりゃ良かった」

 の満面の笑みに、仙道が笑い返す。彼は当然のようにカチューシャを取り上げると、「じゃあちょっと待ってな」とカウンターの方へと歩き出した。
 仙道くん、と呼び止めようと口を開いたを顧みた仙道は、彼女の思考を先読みしてこう告げる。

「ホワイトデーのプレゼントさ。俺に買わせろ」

 彼の涼しげな笑みにノックアウトされたは、大人しく頷いた。
 その顔は、今日一番の赤さに染まっていた。


 ――二人が店を出た頃には、なんと雪がちらつき始めていた。
 少し前までの暖かさはどこへやら。吐く息も真っ白で、通りすぎる人々は、両手を擦り合わせたり、寒さのあまり体を丸めていたりする。

「天気予報、信じて良かったですわ」

 笑うは早速プレゼントして貰ったばかりのカチューシャを身に付けていた。よほど嬉しかったらしく、店を出てからというもの頬が緩みっぱなしだ。繋いだ手をしっかり握りしめ、彼にぴったり寄り添っている。
 寒さも紛れて丁度良かったので、仙道は彼女がしたいようにさせていた。

「だねぇ。すっかり冷え込んでやがる。……あんたのお陰で凍えずに済みそうだ」
「私もです。心も体も、とてもあたたかくって、幸せ」

 大袈裟なに、仙道は苦笑する。

「ちょっと物を買ってやっただけで舞い上がりすぎだろ、
「舞い上がるに決まってるじゃありませんか。大好きな仙道くんとデートして、こんな素敵なお返しまで頂いて……、何度目か判らないですけれど、惚れ直してしまいました」
「そうかい、そりゃ良かった」
「日毎に魅力を増す仙道くんのこと、私、絶対に離しませんわ。覚悟していてくださいね」

 さらりととんでもないことを告げられてしまった。が、仙道は呆気に取られることもなく、寧ろ心底楽しそうに笑いながらの手を強く握り直して答える。

「こっちこそ、今更“離せ”だなんて言われても聞かないぜ」

 感極まったが、人目も憚らずに仙道へと抱きついてきた。何か言おうとして唸っているが、一向に形にならない。感情を言葉に出来ない代わりに、態度で示してくれたようだ。
 ――恥ずかしい奴だねぇ。
 嘆息しながら、仙道はを抱き留める。
 真新しいカチューシャと、艶やかな彼女の髪。ふわりと漂う花のような香り。じんわり伝わってくる温もり。柔らかな感触。
 から伝わる感覚の全てが、彼の胸を熱くさせる。
 当初は不安だったホワイトデーのお返しも、こんなに喜んでもらうことが出来た。

「私、来年もとびっきりの本命チョコレートを用意致しますわ」

 耳元でがそう言ったのを聞いて、仙道もまた来年のお返しについての計画を早くも練り始めていた。次も髪飾り、というのでは芸がないだろう。
 最悪、妹にでもアイディアを貰うことにして、仙道は「期待してるよ」と返しておいた。
 ――来年もまた、こうやってのんびり過ごせたら良いな。
 確証も無く未来の約束を結べる、無垢で真っ直ぐな恋人の思考に、柄にもなくこっそりと便乗しながら。

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