――私はどうしてこの人を好きになってしまったんでしょう。
は溜め息をついた。ちらりと隣に視線を向ければ映る、涼しい笑みでCCMを操作する愛しい人の姿。仙道ダイキ。名前を胸中で確かめるだけで、胸が高鳴った。彼の性格や振る舞い、整った顔立ちの何もかもが目映い。の口から、再びの溜め息が漏れる。
――好きになったことを悔いているわけではないのです。こんな私なんかではとても釣り合いのとれない尊い彼に、愚かにも想いを寄せたことを悔いているのです。
が惚けている間にバトルは終わっていた。仙道が全て片付けてくれていたのだ。挑んできた少年たちは尻尾を巻いてさっさと逃げていった。
「ざまぁないね」
――ああ、この心地良い声音と仙道くんらしさに満ちた台詞、たまりません!
仙道の呟きにはまたもときめいてしまう。
「……ステキ、です」
「あん?」
「な、なんでもありません!」
無意識のうちに溢れた感嘆を無かったことにして、は改まった。
「そっ、それで、なんでしたっけ」
「こっちの台詞だ。あんたが変なメール寄越したんだろ」
肩を竦めたのち、仙道はCCMのメール機能を立ち上げる。ほんの少し前にが送ってきた例のメールを開くと、ほら、と彼はその画面を彼女に見せた。
『今なにをしていますか?』
たった一行かと思いきや画面がスクロールしていく。しばらく文字はなく、ひたすら改行が続く画面。10秒と少しほどすると、ようやくそのメールの最後が見えてきた。
『あいして』
は真っ赤になって両手で顔を覆った。
――私の馬鹿。
このメールは確かに仙道へ向けられた内容に違いないが、送るつもりなんて無かった。
一時の気の迷いで途中までメールを打ったものの、いかに自分が恥ずかしいことをしでかしているか気付いたは、このメールを消去したつもりだった。
だが焦りすぎて操作をしくじり、本当に仙道へ向けて送ってしまったのである。
もちろん即座に仙道から『今何処にいる』と呼び出しがかかり、河川敷で落ち合うこととなり、先に到着したがバトルを仕掛けられたところにヒーローよろしく最高のタイミングで仙道が駆けつけたのだ。
「あのガキ共、何でまたわざわざなんざ狙ってきたんだ」
メールについてが答えられないのを見て、仙道は話題を切り替えた。
顔を覆っていた両手を下ろし、はおずおずと答える。まだ頬が赤い。
「わ、私が“とても弱そうだから”だと仰ってました。なんでも戦績をご学友と競っているそうで」
「なるほどねぇ。ところが逆に黒星増やしたってわけか。ざまあない」
「私だけでしたら間違いなく白星だったでしょうね、あの子たちも。まさか、箱の中の魔術師がこんな河川敷に来るとは思ってもいなかったのでしょう! もっと言えば、逆秒殺で有名な私とまさかそんな凄腕プレイヤーが繋がっていると……」
次第にの語り口は熱くなっていき、先程までとは別の熱気で顔を紅潮させていく。どんどん先のバトルを思い返し、仙道のLBX操作技術について初心者なりに蓄えた知識と語彙をフルに活用して語っていた。あの時の武器の振りがどうだ、回避の直後がなんだ、それから……とにかくすっかり浮かれて仙道を褒めちぎる。
何をどうしてもとりあえず赤くなるのがか。そう割り切った仙道は、「もう良い」と興奮する彼女を抑えた。これ以上喋らせていると、此方まで赤くなりかねないという判断だ。
「そんだけ勢いがあるんなら改めて聞くが、さっき見せたメール――」
「あああ、あれは過ちですのうっかりですの! 他意はありませんの誤解ですわ!」
途端に嘆きながら、は再び顔を両手で覆ってしまった。ぶんぶんと首を横に振り、俯いたまま「誤解ですの……」とか細い声で溢す。
ふうん、と仙道は目を細めた。
「過ち……。間違いねぇ。間違ってあんなメールを俺に送ったってことは、別の誰かに送る予定だったってことかい?」
「そうじゃなくってですね、ええっと……」
「じゃあやっぱりアレは俺宛で間違いなかったんだな?」
「そ、それは、その……うっかりでして……それで……」
は俯き、呻き続けた。恥ずかしさと、仙道がすぐそばまで顔を寄せてきているのが気配で判ったからだ。しかも、彼の雰囲気が何だか刺々しくてどうするべきか深く悩んだ。とにかく一度、しっかり目を見て謝るべきかとおそるおそる手を離して少しずつ顔を上げてみる。
――本当に間近に仙道の顔が迫っていた。
「きゃあああっ!!」
「っ、るせぇ!!」
たまらずが叫ぶ。その黄色い悲鳴に仙道が顔を顰める。
は謝ろうとした。しかしそれよりも間近で見た仙道の顔の印象が強く心を支配していて、頭の中を、瞼の裏を、ずっと駆け巡っていた。とても謝るどころではない。――リフレインする仙道の姿に、どんどん意識が遠のいていく。
ふらりと糸の切れた人形のようにくずおれていくどうしようもない少女の体を、仙道はしかめっ面のまま支えたのだった……。
はまるで眠っているかのように穏やかな顔に、僅かな笑みを滲ませたまま気を失っていた。
「本当にどうしようもねぇ馬鹿だな……」
嘆息しながら、仙道はゆっくりと河川敷の草むらに腰を下ろした。しっかりとの体を抱きかかえたまま。
そこまでは良かったが次が問題だ。の頭を直接草の上に置くのは何だかいけない気がした。いつも同じようなリボンと長い髪をふわふわさせているだけに見えるが、女子は女子なりに髪へ気を遣っていると聞いたことがある。思い出してしまうとそれが妙に気にかかった。しかし、自分の膝に彼女の頭を置くのも、ずっと抱きかかえて支えてやるのも無理だ。主に前者は精神、後者は腕力が持たない。
どうしたものか悩んだ挙句、自分の上着を脱いで畳み、それを枕にしてやることにした。枕代わりの上着をの頭の下に敷いてやると、それなりに心地よさそうだった。気絶なのか眠っているのか微妙な笑い顔はこの際流しておいてやろう。
そんなの隣で、仙道は改めてCCMを開いた。
例のメールを見直して、色々と考えてみる。
――確かにから好意を寄せられているのは事実。それに応じているのもまた事実。しかし現には仙道が接近しただけで勝手に幸福に浸って失神するノミの心臓の持ち主だ。いくらメールでとはいえ、『あいして』だなんて言うようなタイプではない。何よりは、仙道がそういったものに不慣れで手間に思う性質だと心得ている。なのにこんな難題を吹っ掛けるというのは、相当の事情があったのではないだろうか? のぼせやすい能天気に見えて、やはり家柄や将来などに対して様々な不安を抱えているのではないだろうか? そこで頼りたくなったのが……自分だったのではないか?
「って、これだと俺はこの馬鹿なじゃじゃ馬娘に頼られたいってことになっちまうじゃねえか……」
頼られたくない、と言えば嘘になる。そうでなければ煩わしい恋愛ごとなどに首を突っ込んだりしていない。よりにもよってこの扱いの難しいお嬢様相手に、無駄な労力を割くものか。
突然のメールに動揺して呼びつけたのも、バトルに加勢したのも、こうして看病めいたことをしているのも、何だかんだで仙道もを思っているからこそだった。
散々悩みに悩んだ挙句、仙道は「誤送信」ということで自身を納得させることにした。機械オンチののことだ、送るつもりも無いのにうっかり宛先を入力し、うっかり日頃口に出来ない想いを最後に打ち込み、うっかり送信してしまったのだろう。恐らく消去するつもりが、送信ボタンを押したのだ。きっとそうだろう。
それ以上考えるのも馬鹿らしくなって、仙道は寝転がった。頭の後ろで組んだ両手を枕代わりに瞳を閉じる。
――隣のバカが起きるまで少し休むか。
その程度のつもりで。
◆◆◆
の意識は、ゆっくりと覚醒していった。眠りとは感覚が違う。だが何故かとてもあたたかく幸せな時間を過ごしたような気がする。何度も瞬きしながら体を起こしたの視線が、先程まで自分の頭のあった場所へ向けられた。
「な、なんとっ……!」
そこにあったのは間違いなく仙道の上着。そして隣には上着を脱いだまま眠る仙道の姿。
はまた幸せのあまり気が遠のきかけたが、寸でのところで踏みとどまった。気を失う暇があったら、なかなかお目にかかれない今の仙道の寝顔たちを記憶に焼き付けなくてはならない。
……まずは周囲を確認した。自分たち以外に誰もいないようだ。珍しい。何度も何度も確認したが、どこかからひょっこり子供が現れたり、大人が散歩をしに来ることもなかった。
それでも人目を忍ぶように、こそこそとは動く。今一度決意を固めて愛しい少年の傍に寄ると、そっと顔を覗き込んだ。
静かな吐息と、リラックスした寝顔。普段の仙道とはまた違った一面。感動に涙を溢しそうになりながら、は寝顔を眺めていた。
――もっと近くで拝見してもいいかしら……。
恋心が、少女の好奇心をくすぐる。
「さ、さっきいっぱい近づかれたお返しですわ」
ささやかな言い訳と共に、顔を近づけた。髪の毛が触れてしまわないように慌てて押さえながら、はじっと仙道の顔を見つめていた。
いくら眺めていても飽きない愛しい人の無防備な姿に、胸は高鳴り続けている。
「すき……」
思わず零れた言葉を、一拍遅れて彼女は自覚した。
相手が眠っているとはいえ、何を口走っているのだろう。反射的に口を押えて、うっかり髪の毛が流れてしまった。ああ、とまた髪の毛を押さえて、は仙道の様子を確認した。
……まだ眠っている。
――私の髪の毛が触れたり、声や物音が聞こえたりはしていないみたい。
相手に聞こえていないとなると、不思議との好奇心は勢いを増した。
「あいしてます……」
あのメールに打ちかけていた言葉を確かに口にした。
は、仙道への気持ちをメールに打ち込んでは送信せずに保存し、心を整理するという習慣がある。あまりしょっちゅう“会いたい”だの“好き”だと叫び過ぎては、彼が嘆息するのを知っていたからだ。そして今回うっかり送信してしまったメールには、本当に言いたい言葉を最後に記してあった。
一度は言ってみたい、真に愛する人へ向けての言葉。
は、何度か“すき”と“あいしてる”と繰り返し呟いていた。
不意にそんな自分の気色悪さに気付くと急に落ち込んだ。がっくりと肩を落とし、両手でスカートを掴んだ。
「私、何してるんだろう……」
まるでその呟きが合図だったかのように、眠っていた筈の仙道の瞼がゆるりと開いた。
が驚き、目を丸める。「仙道く――」彼女の言葉を待たずに、彼は左手を伸ばしてくる。その手は優しくの頭の後ろへ回された。仙道が少し体を起こして、同時にの顔を引き寄せる。
――僅かに唇が触れ合った。そして、離れた。
突然のことには硬直していた。仙道に引き寄せられたままの体勢で、かちこちに固まっている。
完全に体を起こした仙道はというと、片膝をつき、そこで頬杖をついて険しい顔でを見据えていた。不機嫌なのかと思ったが、赤くなった耳を見る限り彼なりに照れているらしい。
「せっ、仙道くん、い、いま……」
前のめりになりつつはようやっと言葉を紡ぐ。
すると仙道は視線を明後日の咆哮へ向けて、低い声でこう答えた。
「キスしたい、みたいなこと言ってたろ」
無論混乱した少女は、必死に思考を巡らせた。
――私、キスしたいなんて言ってたかしら? したくないと言ったらウソだけれども……。
そうして自分が繰り返していた言葉を思い返すうちに、は気付いた。
「わ、私……。ずっと“すき”って呟いていたから……繰り返しているうちに“キス”になってしまったんでしょうか」
「愛してます、もあったろ」
「きっ、聞いてましたの!?」
素っ頓狂な声を上げる少女へ大袈裟なぐらい顔を顰めて「うるさいねぇ」と仙道は愚痴る。
「こんなとこであんたみたいにぐっすり眠る訳ないだろう。だからぼんやりとアンタが言ってたことは聞こえてたってだけだ」
――まあ、少しばかし勘違いが過ぎた部分もあったみたいだけどな。
胸中で仙道がそう続けたことに気付く訳も無いの混乱は続く。
「う、嬉しいのですけれど、幸せなのですけれど、呟いていた言葉に嘘偽りはないのですけれど、てっきり仙道くんはそういう言葉を直に聞いたり、そういう行動を煩わしく思ってらっしゃるんじゃないかとばかり思い込んでいて、わ、わ、私……とんだご迷惑をお掛けしてしまって……!」
混乱のあまり自分の膝をばしばしと叩きながら少女が捲し立てる。いい加減痛くなるんじゃないかと心配になった仙道は、その手を掴んで止めた。
「……」
「は、はい」
「俺は一言も“煩わしい”だなんて言った記憶はないぜ?」
不安そうに瞳を潤ませる可愛らしい恋人の手を掴んだまま、仙道は笑った。
「ただ俺にも得手不得手ってもんがあるのさ。どうにもこういう間柄になると、今までのあんたの声援もなんだかくすぐったくて仕方ないんだよ」
少なくとも嫌われたわけではないと知ったの表情が和らぐ。すると自然と仙道の表情も柔らかくなっていった。涼しい普段の笑みとは少し違う、年相応の雰囲気を纏った小さな笑顔。
「ようは……俺も人並みに照れることがあるってことさ」
言い切るや否やは仙道に飛びついて来てしまった。予想はしていたので難なく受け止めることが出来たが、いつ誰が通りかかるとも知れない場所で大胆なものである。
――俺が言えた義理じゃあないね。
を抱き留めて、仙道は彼女が満足するまでそうさせることに決めた。
浅い眠りの中で、何度もが幸せそうに顔を綻ばせて自分に向けて想いを溢していたのを思い返す。
すき、あいしてます。
子供のようにあどけなくて、しかし、深く強くなった彼女の想いを聞いていて、照れるよりも嬉しさが上回った。うっかり聞き間違いをしてしまったのはこのまま彼女には隠しておこう。話したら今度はこちらが赤面する羽目になる。
「仙道くんっ、いいえ、ダイキくん……」
しばらく嬉しい悲鳴を堪えて変な唸り声をあげていたが、不意に仙道の名を呟く。珍しく下の名前を、だ。
何か変なことでも思いついたのではないかと疑いかけた仙道の頬に、一瞬柔らかなものが押し当てられた。
「大好きです!」
そして、が、今度ははっきりと想いを口にした。
頬にくっついてすぐ離れた温度の正体に気付いた仙道は、流石に冷静さを保っていられなくなった。
今の顔を見られるわけにはいかないと、躍起になってをぎゅっと抱き締める。少し苦しいかもしれないと思ったが、そんな仙道の心配をよそにもより強く抱き着いてくる。仙道の肩口に顔を埋めて、幸せそうに笑い声を漏らしていた。
自身の体の熱が冷めるまで、仙道はそうしてと過ごした。
――案の定、その姿を友人たちに目撃されていたため、後々散々からかわれる羽目になる。しかしふたりは、“この河川敷での出来事以上に恥ずかしいことは無い”と涼しい顔で流して耐えることが出来た。
「今後はメールの扱いには気を付けます……」
「また誤送信されても俺は構わないんだけどねぇ」
「それよりだったら、ちょ、直接言いますわ!」
「キスしたい、って直接ねだるってことかい」
「せせっ、仙道くん!!」
「冗談さ。……半分な」
そう返す恋人の瞳に、もう半分の本気が秘められている。視線を真っ向から受けたはそれ以上何も言えなくなってしまう。
これ以上心臓が高鳴ったら胸が破裂してしまいそう――。
仙道の言動を受けた少女が、初めて心から自身の体を心配した瞬間だった。
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