臆病で、内気で、自分に自信がなくて、どうしようもない子だった。人の目を恐れるように外套のフードを深く被り、体をちぢこめて歩く姿は罪人のようだった。言葉を放つのにも他人の数倍の時間と気力を要して、彼女は、たいそう生きるのが辛そうだった。
痛々しくて、情けなくて、見ていられない。
「あなた、まるで“自分はこの世界にいてはいけない”とでも思ってるみたいね」
「わた、し、は……」
どうやら図星だったらしかった。泣きそうなくらいに切ない声で、彼女が私を見る。ああもう、そんなつもりじゃないのに。
フードの影から覗く潤んだ瞳をこれ以上怯えさせまいと、私はなるべく穏やかな調子で話した。
「誰にだって、勿論私にだって、後ろめたいことはある。何があったにせよ、あなたがそんなに自分を追い詰めることは無いと思うの。せっかく一度きりの人生、もう少し楽しむべきよ」
誤解がないように言っておく。私は彼女をどうとも思っていなかった。旅の仲間というだけだった。わざわざ話し掛けたのは、彼女の自虐ぶりがたまに私の胸を抉るから。それが嫌で、避けたくて、止めたくて、私なりに諭してみたのだ。当たり障りのない言葉で。
彼女は大層陰気くさい子だ。この大陸特有のぐずついた気候が、それに拍車をかけているよう。曇りが続くせいで、日差しが懐かしい。彼女と曇り空は親戚かなにかのようにそっくりだった。
それにしても、反応がない。いっこうに彼女から何の言葉も返ってこないものだから、こんなんじゃあ効かないかしらと私が目を伏せた。その時だった。
「ジュディス」
はっきりとした声だった。反射的に顔をあげる。彼女が私を見ていた。潤んだ瞳は変わらない。けれど、確かに私を見据えていた。フードの影から覗くその眼差しは、雲間から差す日の光に似ていて、何故だか私は目をそらせなかった。
「ええとね……、ジュディス」
フードを外し、ぎこちないながらも微笑む。あんなに外したがらなかったのに。フードに添えられたまま僅かに震える指先が、彼女の緊張を物語る。それだけ彼女にとってフードという壁は重要で、すがるもので、けれど、それを自ら取り払ったなんて。
「ありがとう、ね」
改めて言っておく。私は彼女のことを、どうとも思っていなかった。
――この時までは。
その日を境に、彼女は少しずつ変わっていった。フードを被る回数が減り、人と話す回数が増え、表情を露にするようになった。喜ばしい変化だった。くだらない冗談でも楽しそうに笑って、仲間の些細な痛みに人一倍辛そうに涙して。豊かすぎる感受性に私は感心した。まるで、彼女という人間が生まれ変わっていったかのようだった。
初めて彼女が自らフードをとったあの日から、私の眼差しは彼女を追うようになっていた。穏やかな彼女の微笑みを見守りながら、時折彼女と交流を重ねながら、私は誇らしさを感じていた。皆は知らないだろうけれど、彼女という花が開いたのは、あの時の私の言葉があったからなのよ。私が見つけたのよ、本当のあの子を。彼女と言葉を交わすたび、彼女の微笑を受けるたび、私は奮えた。優越感にも似た、けれどそれだけではない、甘くて愚かしい感情が私の胸を満たしていった。
「あいつ、変わったよな」
「そうね」
「何て言うか……綺麗になったよな」
ある日ぼんやりと呟いたユーリに、私は笑いを堪えることが出来なかった。ユーリが素直に異性を褒めるなんて、珍しくて可笑しかった。
話題に挙がっている当人はというと、私達から離れた場所で、カロルとパティに挟まれながら楽しそうに笑っている。またおとぎ話でもしてあげているのかしら。
私も素直に返す。
「そうね。綺麗だわ」
ユーリは神妙な面持ちで私を見る。何か言いたげなふうだったけれど、問いかけたところで答えてくれるようにも思えなかった。
無言のままユーリは、小さく笑った。些か自嘲めいた笑みだった。それから、ゆっくりと彼女たちのほうへ歩み寄っていく。カロルとパティと、あの子の声に歓迎されながら、彼は輪の中へと交じっていった。
何時もより彼女が、嬉しそうに笑っている気がする。何時かの微笑みより、私に見せたものより、綺麗な笑顔。
私は複雑な思いで、それを見守っていた。何かが食い違っていく。それだけを感じ取りながら。
私は何時でも彼女を見ていた。でも彼女は違った。私だけではない多数を見つめていた。私に与えられた切っ掛けを糧に、彼女は世界を拡げていった。何もなかった彼女の中に、沢山のものを取り込みながら。彼女の視界を遮っていたフードはとうに無い。空の光がありのまま彼女に注がれ、輝く。
慈愛に満ちた彼女の接触を拒むものなんて無かった。彼女は瞬く間に成長していく。光が彼女を育む。他者との交わりが、彼女の好奇心が、ゆるやかにその背を後押しする。私はただただ、それを見つめていた。
そうして遂に彼女は、自身にとって“特別”なものを見つけたようだった。
「ユーリ……」
「ん? どうした」
「あのね、ユーリ。私――」
聞くつもりなんて無かったの。全部、気付かないフリをしてたくらいなんだから。
知るつもりなんて無かったの。ただ、花を愛でているつもりだったんだから。
嫌な偶然。
いやなタイミング。
ああ。私は、私は。
聞きたくない彼女の優しい声が響く。甘い綿菓子みたいな、ふわふわで溶けてしまいそうな言葉が、私にまで聞こえてしまう。
「ユーリが、好きだよ」
ユーリの手が彼女を捉えて抱き込むのを見てしまう前に、私は素早く踵を返した。がむしゃらに走った。今まで生きてきたなかで一番の勢い。おかげで気持ち悪い。吐きそうだった。急にその足を止めたせいで、ますます辛い。
私の、なのに。触らないで欲しかった。手放して欲しかった。私の大事なあの子なのに。私が見つけたのに。
涙を流すような汐らしい女でもない私は、ただただ空を見上げていた。乱れた息は一向に整わず、湿った空気がどろどろと喉の奥に流れ込んでくる。
本当はずっと判っていたの。だって私はずっと彼女を見ていたんだもの。判るに決まってるじゃない。私の言葉なんて大したものじゃあなかった。彼女を変えたのは、彼女自身。私なんて、私なんて。それを私は、彼女を求めてしまったあの瞬間から、都合のいいように歪曲して。私が歪んでいたの。勝手な幻想だったの。勝手に心を奪われていたの。だってあんまり綺麗だったから、欲しくなっちゃったの。私だけの彼女になって欲しかった。
思い込みだけは激しいのに、でも、何もしなかったから、あっさり手折られてしまったのよね。
『ジュディス』
曇り空の下、名前を呼ばれたあの日を思い返した。あの時は確かに、お互いの世界にお互いだけが在った。ほんの一時だったけれど。
「やだわ、私ったら。柄にもなく落ち込んで」
胸の中を満たしていた愛おしい情。丁寧に丁寧に育んだ大切な情愛。けれどそれは、彼女に告げることも叶わず腐っていく。形を失い、膿のように溢れて、私の身体中を埋め尽くしていく。重たくて、痛い。
私は必死に自分に言い聞かせた。情けない、どうしようもない。たくさん自覚しながらも、そうするしかなかった。
大丈夫よ。ユーリなら大丈夫。あの子を大事にしてくれる。私の次に、きっと。だってユーリもあの子を愛しているんだもの。ユーリは強い。ユーリは優しい。きっとあの子も幸せになるわ。だって、愛されているんだもの、ね。あの子だって今までみたいに、私の言葉を聞いてくれるわ。一緒にお話して、笑って、楽しんでくれる。優しいもの。私たち友達だものね。
――でも、やっぱり。
私は、あの子の『大切な友達のひとり』じゃなくて、『大切なたったひとり』になりたかった。
「……やだわ、本当に」
空は快晴。
眩しい日差しを、私はただただ睨み付ける。
あんなに嫌いだった曇り空が、今はどうしようもなくいとおしかった。
企画「罪なこと」さまに提出
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