彼は私を気にかけてくれていた。それに返すように私も彼を気にかけていた。貸し借りを作りたくなかったから。彼だってそういう人間だった。だから多分私の気付かないうちに彼は私に借りを作っていて、それを返そうとしているだけで。そうでなかったら彼が私にこんな風に気を遣う必要が無いんだもの。でも私には覚えの無い貸しを返してくる彼に、返され過ぎた私が今度は借りを返さなきゃいけない気がして。だって私が何時何を貸したんだか判らないんだもの。ぐるぐると不毛ないたちごっこが続いてしまっていた。
「ユーリ」
「何だよ」
「私、ユーリに何かした?」
二人で買い出しに行ったとき、限界に来ていた私は素直に訊ねてみた。ユーリは不思議そうに私を見下ろす。カプワ・トリムの潮風に遊ばれる彼の長い黒髪は、綺麗というより邪魔くさそうだった。
「どういうことだよ」
「何で私、ユーリに気を回して貰ってるのかなって」
「は?」
「私、ユーリに何かしたからかなって。でもさ、考えても判らないし、貸し借りを気にしてたらキリが無いから。だから聞いてみたら早いかなって」
ユーリは一度大きく目を見開いた。それから、何時もの眼差しに戻ると、私をじっと見たまま固まっていた。
「……訳判んねえんだけど」
やっと彼が溢した声音は、珍しいことに弱々しかった。お互い足を止めて、当然のように見つめ合っていた。確かに、私の言葉は判りづらかった。緊張していたからだろうか。私は改めて尋ねることにした。
「あの、私ね、ユーリに優しくされる意味が判らないの」
「オレ、どう優しくしたっけ」
やたら低くて暗い声が、私を芯から冷やしていく。
「えっと、戦闘で私が怪我するとユーリが一番にアイテム使ってくれるし、エステルの治癒術よりもレイヴンさんの矢よりも早くさ……。夜、眠れなくて宿屋抜け出した時、一緒に木の下で寝てくれたし……。あと私がクリームシチュー好きだって言ってから週に一回はシチュー作ってくれてるし……えっと……えっと」
口ごもったまま、私をじっと見つめるユーリ。否定や肯定はおろか、反応らしいものもくれやしない。
やらかした。
本能的に私は悟った。
「あ、あぁ、私が勘違いしてるだけか。そうだよね。ユーリ、口は悪いけどみんなに優しいんだったね。私が自意識過剰だったんだよね……」
こういうことでしょ、とユーリを見上げる。
ユーリは静かに目を閉じた。それから、ゆっくり開き……ぎっと鋭い眼差しで私を睨み付けた。
「ちょっと来い」
荒々しくユーリが私の腕を掴んで引っ張った。加減を忘れたようで、とても痛い。私は片手で支える買物袋を落とさないように慌てて力を込めた。袋がぐしゃりと鳴ってしまった。中身は無事だと信じたい。
ユーリに引き摺られるまま路地へ入り込んだ。
背中も壁、目前も壁。狭苦しいそこで、ユーリは私を顧みた。相変わらず目付きがすごい。
逃げ出したくなる私の心を見透かしたように、ユーリは私の背中を壁に押し付けた。逃がさないと言わんばかりに私の顔を覗き込む。彼の片手は私の進行を妨げる柵のごとく壁に当てられている。ユーリの腕越しに路地の外を見た。仲間の誰かが通りがかって見つけてくれたら良いのに、と。
「」
名前を呼ばれて、反射的にユーリを見た。むくれたまま、腹の虫は殊更居所を悪くしたような顔だ。
怒ってる。やっぱりユーリ怒ってる。
こうなったら先手を打つしかない。焼け石に水とはなりませんように――祈りながら私はぎゅっと目を閉じた。
「ご、ごめんなさい!」
叫ぶ私。
何も言わないユーリ。
僅かな沈黙が、只でさえ静かな路地を満たす。
ふわりと風が揺れて、私に何かが触れた。多分ユーリの髪だった。それから――私の右目に、瞼に、別の何かが触れる。優しくて温もりあるその感触。正体を突き止めようと頭を回転させ、すぐに思い当たったものがひとつだけあった。けれど信じられなかった。だって、私の考えが合っているとしたら、それは――。
「な、なんでっ?」
私が目を開くと、ふて腐れたユーリとばっちり目があった。彼はうっすら頬を桜色にして、私を見たまま唇を引き結んでいる。
「何でユーリ、私に今っ、今っ、きっ、キスしたのっ……!?」
悪びれた様子もなくユーリは言う。
「鈍いお前が悪ぃんだろ、ばか」
「はぁ? だって……!」
「好きな奴に優しくすることの何が悪いんだ? オレは人間出来てねえから、どうでも良い奴に親身に接したりしねーよ」
ユーリの声音は、拗ねた子供の調子に似ていた。ぽろぽろユーリが喋るたび、私まで赤くなっていくのが判る。
「貸し借りって何だよ。ふざけんなよ。オレだって傷付くんだよ。好きな奴を特別扱いしちまう事が悪いか? ただでさえオレらは危ない橋渡ってんだ、いつ何が起きるか判らねえし、でも理解して抑えようとして、けどお前が危なっかしくて気になってつい、オレは、」
「だからって何で、こんな」
「好きだからついうっかり手が出ました、はい、すみませんでした!」
ユーリは自棄になっているらしかった。その理由であり原因である私は、困った。
貸し借りであって欲しいと思っていた自分に気付いてしまった。私は折角押さえ込んでいたものが、ユーリの言葉で引きずり出されてくるのを感じていた。
――思い込みながらも、私はそう振る舞えていなかったじゃないか。
ユーリの優しさがいつも嬉しかった。まだ仲間内に溶け込めずにいた私を初めて買い出しに誘ってくれた時、ユーリは気さくに話を振って私を和ませてくれた。ユーリの料理はいつも美味しかった。私が私自身でも気付かなかった好物に気付いたのはユーリだった。お返しにお菓子を作れば、ユーリは子供より嬉しそうに笑って頬張った。
その時の私は貸し借りなんて打算的なことじゃなく、ただユーリに喜んで欲しいと願っていたじゃないか。
「ご、ごめんね……ユーリ」
なのに全部、何故か押さえ込んでいた。ユーリのことを好きな人はたくさんいるからって。貸し借りであったなら、貸せば返してくれるから。感情は伴わなくても一緒にいられるんじゃないかなって――。
きっと私は、そんなつもりだったんだ。
「私、何でかユーリのこと好きじゃいけないって思ってて」
「何だよそれ」
「でも、何かね、もう……気づいてしまったらね」
虫が良い奴なんて思われませんように。祈りながら私は続けた。
「私、ユーリが好きっていう気持ちを、我慢できそうにないの……」
呆気にとられたユーリは私を見て目をぱちくりさせていた。けどすぐに、いつもの調子に戻る。さっきまでの不機嫌さは嘘のように、うっすら笑ってみせた。
「何だよ、我慢って」
「我慢してたの! 何でか判んないけど。好きなの自覚したら理由ぶっ飛んじゃったよ!」
「そーかよ」
ユーリは私の頭をぽんと撫でた。
「腕、痛かったよな。ごめん」
「私こそごめん。バカで」
「馬鹿な子ほど可愛いんだよ」
……すっかり何時ものユーリだ。ただひとつ違うのは、私に対する壁のようなものが無くなった気がすること。壁を隔てていたのは、私だけだったのかもしれないけれど。
急にさっきのキスを思い出してしまった。ユーリはどうして、わざわざ傷跡のある右目を選んでしたのだろう……。赤くなりながらも、私は何故か嬉しさを感じていた。自分でも不思議である。
「そうだ、」
「なに?」
路地を出掛けて、ユーリは私を振り返った。
「船まで、手繋いでこうぜ」
差し出された手を、私は笑顔で握って答える。
その時、笑い返してくれたユーリの表情は、今まで見たことのないぐらいに深くて優しかった。
これって両想いで良いんだよね?
尋ねようとした瞬間、ユーリの手が優しく私の手を握り直してきたせいで、私はタイミングを見失い、口ごもったのだった。
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