そう言えば、彼女の名前を聞いた覚えが無かった。


 気が付くと彼女は、仲間のひとりになっていた。そして何時の間にかユーリの隣に立っていた。ユーリにその場所を許されていた。かつての僕も、あの親友の隣にいた。しかし僕とは違う意味と理由を持って、彼女はそこにいた。
 接する機会は決して多くは無かった。けれど純朴な彼女は僕によくしてくれたし、僕がユーリの友と知ると尚更だった。面倒見も良くて料理も出来て、ただ少し自分に自信が無い子で、そこをユーリに指摘されて落ち込む姿を見たことがある。
 彼女はラピードとも仲が良かった。僕やユーリ以外にはなかなかなつかないラピードが、彼女には心を開いていた。彼女もラピードを好いてくれているらしく、一緒に散歩をしたりもするそうだ。

「この間なんか、ラピードの奴、あいつの味方してよ。参ったぜ」
「どうせユーリの悪口が過ぎたんだろ? ラピードたちは悪くないよ」
「……その通りだけどな」

 久しぶりに再会した友は、彼女のことやラピードとのやりとり、旅先のことなんかを楽しげに語ってくれた。世界を揺るがす危機は去り、しかし成すべきことは未だ多く在る今。ユーリの語り口はそんな忙しさとは別世界のように穏やかだ。
 話題の彼女とラピードが、下町の子供たちに取り囲まれて遊び相手をする姿を見つつ、僕とユーリは話を弾ませていた。しばらくは無難に相槌を続けていたが、次第に僕は我慢できなくなっていた。

「楽しそうで何よりだよ、ユーリ。けれど……」

 僕は前置きしてから続けた。

「わざわざ帝都まで来たのは、そんな平和ボケした日常語りをするためじゃ無いんだろう?」
「手厳しいな、おい」

 苦笑しながらもユーリは否定しなかった。
 世界の命運を賭けた旅の後、ユーリは、ひとところに留まろうとはせずに世界を見て歩いていた。属するギルドの仕事となればしっかり仲間のもとに戻りはするらしいけれど、他は彼がいつ何処にいるのか僕らは知らない。気ままに世界を巡る風のようなユーリが、急に僕を尋ねてきたのだ。きっと明確な理由があるはず。
 わざと悪い口で問いかけると、ユーリは決心したように口を開いた。

「平和ボケってまた言われるかもしれねぇけど、実はな――ラピードが父親になったんだ」
「そうか、おめでとう!」
「ちなみに仔犬は二匹」
「へぇ、一目見てみたいな、って……それだけじゃないだろう?」

 珍しくユーリが言い渋っている。僕はうっすら予感しながらも、ユーリに問い詰めた。僕がこうすれば、ユーリは絶対に話す。それまで僕が引いたりしないことを、この旧友は身をもって知っているのだから。

「……あのな」

 ユーリは、彼女の方を顧みた。

「オレ、あいつと結婚することにしたんだ」

 時が止まった気がした。
 まるで図ったようなタイミングで風が吹き抜ける。風は埃っぽい下町の空気を巻き上げて、真っ青な空に向かっていった。

「結婚、か」
「ああ。オレには一生縁がないもんだと思ってたんだけどよ」
「そうか……」

 やっぱり。僕は笑った。
 今のユーリの旅に、ラピードのみならず彼女も同行していることを知ってから予感はしていた。
 彼女がユーリの隣にいる意味だって予測はしていたし、“仲間のひとりだ”とは言いながらも、ユーリが彼女を特別に想っていたのには気付いていた。
 何て言ったって、僕らは幼なじみなんだ。似た者同士で、語らずとも判ることは沢山ある。
 まさか惹かれるものまで似ているなんて思わなかったけれど。
 ユーリの視線に気付いて、彼女はラピードを伴ってこちらに歩み寄ってきた。雰囲気を察したように、僕の方を見て一礼する。

「ユーリのお嫁さんにさせてもらいます。どうぞ宜しく、フレン」
「フレンはオレの親じゃねーぞ」
「でもユーリの面倒見てくれてたようなもんでしょ?」
「ワンッ」

 ラピードの一鳴きは彼女への同調だった。
 微笑みながらラピードの頭を撫でる、ユーリの妻となるその人。ユーリの笑みにも、初めて見る穏やかさが在った。
 また風が吹いた。
 友としてユーリを祝福したい自分。男としてユーリを羨む自分。僕の中はずっとざわついていた。
 風はまだ吹いている。
 ふたつの自分のうち、僕はもちろん前者をとった。ひっそり息を吐いて、ユーリと彼女を見つめ直す。揃って幸せそうな笑顔を浮かべるふたり。鈍感なユーリにも、添い遂げようと思える人が出来たんだ。本当に良かった。
 本当に。

「おめでとう」

 お門違いな嫉妬を抑え込み、吐き出したい感情の全てを飲み下して僕は笑った。
 名前も知らない彼女が恥ずかしそうに――けれど嬉しそうに頷いて、ユーリの手をとる。ユーリは満更でもなさそうな顔で応え、きっちり握り返す。
 やれやれ、と言いたげにラピードが鳴くのが、うっすらと僕の耳を突いた。


 翌日ユーリたちは帝都を発った。再び、風任せの宛てなき旅を始めたのだろう。挨拶もなしに出ていくなんてユーリらしい。用事が済んだらそれで良いと言わんばかりの奔放さは相変わらずの悪癖だ。
 そして遂に彼女の名前を聞くことは叶わぬまま、僕はひとつの区切りをつける。
 馬鹿馬鹿しいと笑ってくれて良い。
 それでも僕は貴女を想えて幸せだったんだ。
 だから、もう。
 声にならぬ声を上げて、知らぬ貴女の名を呼ぶのはもう終わりにするよ。

 柔らかく帝都を駆け続ける風たちが、早くこの未練を連れ去ってくれるように僕は祈り続けた。


企画「わたしのすべて」様に提出

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