ソファーに体を横たえ、気の抜けた顔で眠るレイヴンさん。くかーくかーとそれは穏やかかつ愉快な寝息が聞こえて、私はつい笑ってしまった。
 とってきたブランケットを広げ、起こさぬよう静かに掛ける。この人は寒がりだ。仮眠をとるにしてもしっかりベッドで寝てくれれば良いんだけれど、多忙なレイヴンさんの中では、これが定番のスタイルらしかった。

「根詰めすぎちゃだめだよ、レイヴンさん」

 意味がないとはいえ、つい口をついて出た言葉。もう一度レイヴンさんの寝顔を見て、部屋を出ようとした時だった。

「根詰めすぎちゃわないよう、ちゃんが見ててくれてるんでしょ?」

 その声にはたとした。振り返ると、ソファーの上で体を起こすレイヴンさんと目があった。
 私よりずっと年上なのに、私よりずっと子供っぽく笑って、レイヴンさんが私を見ている。
 深く深く澄んだ碧色の瞳。つい何時ものように見惚れてしまいそうになって、慌てて私は口を開いた。

「ご、ごめんなさい。起こしちゃいました?」
「いやいや。元から寝てたっていうより目ぇ閉じてただけだから。ほら、今マジで寝ちゃうのはちょっとねー、まだやることあっから」
「でも思いきり寝息が」
「……えっと、まあ、寝たふりだってことにしといて……」

 腕を上にあげて背筋を伸ばし、それから溜め息と共に肩を落とす。それから、指折り数えつつ、レイヴンさんは任された仕事を振り返り始めた。

「騎士団の方に書かなきゃならん手紙もあるしー、殿下に言われた候補地測量のこともあるしー、ハリーに仲裁頼まれたギルドの話もあるしー……あ、カロル君とこにも伝えなきゃならんことが」
「できる男は大変ですね」
「うん、本当に大変。困っちゃうわぁ」

 そう言いつつも、レイヴンさんがこの現状を楽しんでいるのは聞くまでもなく明らかだった。
 今までこんな風に他人に気持ちを悟らせるような人じゃなかったのに。気を許してくれてるのかと思うと嬉しかった。

「言伝くらいなら私でも手伝えますし、やらせてくださいな」
「うん、お願いしよっかな。でもまだ大丈夫よ。……だーかーら、ね」

 レイヴンさんはそう言うと、不意に頬を緩ませた。

「まず、おっさんに構ってちょーだい」

 やっぱり、気を許してもらえてるのかな。
 こちらへと伸ばされた右手を、私は微笑み返しながら掴んだ。引かれるままにレイヴンさんへ身を委ねる。私を膝の上に乗せ、ゆるく腕を回すと、レイヴンさんは「あったかいわねぇ」と和やかに呟いた。

「ああ、癒されるー……」
「お世辞でも嬉しいです」
「お世辞なんかじゃないって」

 横座りで体を預けたまま、私は彼の言葉に耳を傾ける。近くから降ってくる優しい声。なんて心地いいんだれう。

ちゃんがいてくれるからね、おっさんは歳に負けず頑張っていられるのよ」
「そ、そんな……。私が、傍にいたいって言ったのを許してくれたから……」
「許すも何も、俺の方が君にいて欲しかったんだよ」

 胸がきゅうっとした。
 何時ものわざとらしい調子じゃなく、ありのままのレイヴンさんの言葉。行く宛のない私を受け入れてくれた、いとしい人の言葉。この距離を許してもらえて、私はようやく世界に受け入れてもらえた。そう感じていた。
 それからレイヴンさんといるうちに、レイヴンさんは私よりずっと寂しくて辛い想いをしていることを知って。でも最近じゃあ、こんな風に笑って話してくれるようになって。レイヴンさんにとって、この世界が、少しは優しいものになったのかなと思った。だとしたらそれは、とても良いことだ。
 少しでも私が、その力になれていたら嬉しいのだけれど。

ちゃん」

 呼ばれて我に返る。レイヴンさんの右手が私の頬に添えられていた。じんわりと伝わる温もりと、レイヴンさんの真剣な眼差しに、私は体の温度が上がっていくのを抑えられなかった。

「レイヴンさん……?」
「本当に俺で良い?」
「な、何をいきなり……」
「いや、もっと早いうちに確認しとくべきだったんだけどね」

 唐突な問い掛けに戸惑う私を、レイヴンさんは笑いながら見つめてくる。少し強張った、躊躇うような笑みだった。

「忙しさにかまけちゃってたでしょ? 今聞いとかないと……俺、このまま甘え通しちゃうから。しっかりさせて、責任とらんと」

 まただ。また胸が締め付けられる。私は思わず胸を押さえた。体が熱くて熱くて、何処まで火照ってしまうのかってぐらいに熱が止まらない。視界が霞んでしまいそう。ああ、しっかりしなきゃ。
 震えそうな声を必死に支えて、私は口を開いた。ずっと前に決めていた気持ちを、改めてレイヴンさんに告げるために。

「私は、レイヴンさんで良いんじゃなくて、レイヴンさんが良いの。大好き、なんです」

 精一杯に絞り出した言葉。ちゃんと届いたろうかと心配しながら、私はレイヴンさんを見つめ返した。レイヴンさんは目を見開いて、惚けたように固まっている。一瞬か、数秒か、それとももっと。お互い沈黙していた。
 先に口を開いたのは、レイヴンさんだった。

「……改まると、随分恥ずかしいもんだわねぇ」

 レイヴンさんの顔が赤い。何だか嬉しかった。
 お互いに答えは出ていて、その答えのままに過ごしてきていた。けれどこうして口にすることで、答えはますますはっきりとした輪郭を持って、私たちの中に馴染んでいく。今更な感情のやりとりでも、大切なことだ。特に、私たちにとっては。

「ですねぇ。でも一回言っちゃうと何回でも言えそうです」
「本当に?」
「はい。レイヴンさんが大好きって何回でも言っちゃえます。大好きです」
「恥ずかしいけど、悪くないわ」

 ふやけたみたいな笑顔でレイヴンさんはそう溢した。頬に触れたままの手はすっかり熱い。

「俺も大好きなんだけどねぇ、なんか、言葉だけじゃどうしようもないみたい」
「大変ですねぇ」
「本当に大変よ。こういう大変なら大歓迎だけどさ。……な、ちゃん」

 レイヴンさんの手が僅かに動く。私の頬を撫でて、急に静かな声音で私を呼んだ。真剣だけれど笑っているような、大人の男性の表情。眼差しに籠る熱っぽさに、私の心臓がひっそり跳ねる。

「目、閉じて?」

 多分私は、耳まで真っ赤になっていただろう。
 素直に頷いて目を閉じると、微かにレイヴンさんが笑うのが聞こえた。自分の心音がすぐに掻き消してしまったけれど、確かに耳に届いた。それから一瞬遅れて、ふわりと空気が揺れる。
 優しく唇に触れた、温もり。
 それが何なのか、考えるまでもなかった。恥ずかしくて照れくさくて、たまらなく幸福だった。そしてこんな幸福な時間をこれから重ねていけるのだと思うと、私の世界は、溢れてしまいそうなくらいに満たされていた。


企画「君と奏でる恋の詩」さまに提出

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