::もし夢主が記憶喪失になる前にアレクセイに保護されてしまったら……という話
“お兄さん”
少女は騎士の手を引いた。青い夜明けの空色の髪をふわふわと風に遊ばせて、はにかみながら。
“今度はいつ会えますか?”
少女は、一回り以上も年上である騎士を好いていた。あこがれの騎士様。隠しきれない好意を、聡い騎士が気付かぬ筈はなく。無表情な彼にしては珍しく、困ったような顔をしていた。嫌ではない。かといって受け入れるわけにもいかない。
会いに来れるかどうかは更に判らない。
騎士は悩んだあげく、こう告げた。
“今やっている大きな仕事が落ち着いたら、きっと顔を出すよ”
具体的な答えで無くとも、少女は笑った。次があるのだと笑った。また会えるのだと。この人は会いに来てくれるのだと。
少女は精一杯に笑った。
“約束ですからね、お兄さん”
紛い物の右目を、それを捩じ込まれ引きつった顔の切り傷を、まるで何でもないかのように笑っていた。
騎士は後に、少女との再会を果たす。
だが、その再会は――騎士の予期しない形で起きたものだった。
シュヴァーンは震えた。動けなかった。おぞましいものに四肢を捕らえられているような気分だ。おぞましいもの。形容しがたい感情は彼から無表情という仮面を剥ぎ取っていた。
原因は目の前に立つ少女だった。
かつて彼を慕い笑んでいた、あの少女だった。
「、なんだな?」
思わず確認したのは、少女があまりにも変わり果ててしまっていたからだ。
髪の色は殆ど抜け落ちて白い。きらきらと輝いていた眼差しは今、辛うじてシュヴァーンを見つめているだけで、感情というものが此方に届くことなく澱んでいる。
全てが奪われてしまったかのようだ。
「……お兄、さん」
か細い声では答えた。僅かに口許を動かして、小さな笑みを浮かべてみせた。表情を絞り出しているようだ。辛そうだった。
騎士団の紋章が施されたローブを着ており、開いた袖からは傷だらけの腕が見える。与えられた武器であろう大きな鎌を、ずっと支えのように握ったまま離さない。
シュヴァーンとを引き合わせた当人――アレクセイはとっくに退出している。
二人がどんな言葉を交わそうとも、咎めるものはいない。
シュヴァーンは懸命に平静を手繰り寄せた。しかし自身の狼狽は思った以上に大きく、声音も言葉も整わない。
「、一体何があったんだ。どうして君がこんな……」
「旦那さまが亡くなって……アレクセイ様が私を引き取って……ずっと私の義眼を……魔導器を研究なさって……私……」
の声に震えがまじるのに気付いてシュヴァーンは我に返った。
自分は何を訊いているんだ!
訊かずとも、嫌なほど判りきっているのに。
「すまなかった、悪かった。思い出させようとした訳じゃなくて……いや、すまない……」
「ううん……。お兄さん、悪いことしてないよ」
何故この子は笑えるのだろう。
こんな状況で。
――の右目を潰し、代わりに魔導器を与えた技術者は死んだ。の弟妹を実験に巻き込み“誤って”死なせたために彼女の怒りを買い、義眼魔導器の暴走を引き起こし、研究施設ごと焼けて逝ったのだと言う。
だが暴走に耐え、ひとり生き延びてしまったは、アレクセイにより保護された。亡き技術者の研究を、アレクセイが引き継いだ。
その挙句、は変わり果ててしまった。
実験のために必要以上の負荷と苦痛を魔導器のみならず体いっぱいに与えられ、ショックで髪の色は抜け落ち、脳の思考力は鈍り。全てを蹂躙されていた。
義眼に施された特殊な術式は、彼女の意思を無視して操るためのもの。術式を通して術者が命じる限り、彼女は命じられるままに動かなければならない。骨が砕けても。血を吐いても。
シュヴァーンの知らぬ間に、あどけない少女は戦う人形へと作り替えられてしまっていた。
「私、たくさん戦いました……。前より傷の治りが遅くなってきて、でも、やっぱり、普通じゃないから、私……お兄さんたちよりずっと早く癒えるの。だからすぐに戦えるの」
こうしてアレクセイの指示で会うことが無かったら、何も知らぬままだったろう。何故アレクセイは今、このタイミングで自分にと対面させたのか。
――楔なのか。
シュヴァーンは“レイヴン”という顔を持ち始めてから、何かが変わっていくのを感じていた。懐かしい感情が湧いてくることが増えてきた。
アレクセイはそれを良しとしなかった。シュヴァーンがシュヴァーンであることの妨げになると考えたのではないか。
そんなシュヴァーンに、改めて自分が“誰”であるかを自覚させるために、に会わせたのではないか。
――ああ、きっとそうだ。
シュヴァーンは目を細めた。を見つめながら思った。
シュヴァーンがいなくなれば、彼女は兵器として扱われ、死んで逝くだろう。シュヴァーンがいれば、少なくともその前に止められるはずだ。もしくは――。
(俺が彼女の分も殺せば、彼女の死期は遠退くはずだ)
たとえそれがアレクセイの思惑通りだとしても、構わない。
シュヴァーンは手を差し伸べた。
「」
呼ばれた少女は戸惑っているようだった。シュヴァーンの顔と手を交互に見ながら、口を開きかけて閉じる。
そんなに、シュヴァーンは――の憧れの騎士は、小さく笑んだ。
「もう良いんだ」
彼女は、その言葉に酷く狼狽えた。
には深い自責の念があった。弟妹を喪った苦しみ。研究のためとはいえ自分を看てくれた技術者を殺したという罪。全ての要因になったのは、普通ではない己の存在。
最初から自分がいなければ、こんな悲劇は起きなかった。
魔導器を暴走させたあの夜。深すぎる感情たちは彼女の胸を抉り、暴いた心を微塵に砕いた。
だからこそは、アレクセイによる過度の実験に耐えてきた。苦しみを訴え、逃げたいと願うための心を失っていたから。何も感じない人形に――命令のままに戦う兵器として生かされてきた。
それを今、全て覆されようとしている。
(お願い。私に優しくしないで。私にはまだ償っていないことがたくさんあるの。償いきれていないの。あたたかなものを得る資格がないの)
必死に念じながら、はシュヴァーンの手から目を背けた。
しかし。
「これからは俺が君を守るよ」
少女が遠い昔に望んだ光景が、今目の前にある。
は、ゆっくりと顔を上げた。
弱った視力で懸命にシュヴァーンを見据える。
あの頃より少しだけ皺の増した顔で、騎士は笑んでいた。
その笑顔の裏に募る悲痛が、手に取って見ているかのように伝わってくる。
いとしいひと。
いとしいこえ。
すべてがいま、わたしにむけられているなんて。
は堪らなくなった。
「お兄さん――!」
久しく沸き起こった強い感情の波。
は、想いのままにシュヴァーンの手を掴んだ。
彼女にとっては永く望んでいた救いの手だった。
それは同時に二人を繋ぐ重い枷だった。
武器を投げ出して少女は騎士にすがり、騎士は何も言わずに少女を受け止める。
少女は、自身が騎士の重荷になることを懸念していた。
騎士は笑って否定した。重荷になるどころか、彼の胸中には、嬉しさが込み上げてきているのだ。
そう騎士が答えると、少女はまた安堵し、彼の胸へ体を預けた。
痩せ細り傷付いた少女の心身を、騎士は両腕で優しく包み込んだ。
「もう君に怖い想いはさせない」
「はい」
「これからずっと、一緒だ」
「……はい」
互いが互いを生かすための楔となる。
正しい選択では無いかもしれない。
間違っているのかもしれない。
だが、誰に何と言われようと構わない。
これは、ふたりにとって最良の選択だった。
「最期まで、一緒に」
ふたりは確かに幸福だった。
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