::夢主が記憶喪失にならず、義眼魔導器の暴走後にアレクセイに保護されたら……というお話
真っ直ぐな少女だった。
夜空に瞬く星のような輝きを持った瞳は、此方の心を全て見透かしているようだった。
少女は賢かった。
自身が置かれた状況をよく理解していた。私も少女も、引き返すことの出来ない場所まで来ていた。非道と呼ばれる行いに手を染め続け、僅かに痛む良心を無いもののようにしながら進んだ。
少女は私を咎めなかった。
無理難題の連続である実験や戦闘で傷付きながらも、弱音を吐いたりすることは無かった。怒ることも泣くことも無かった。まるでそれが自分のすべきことであるかのように、当然のことのように受け入れていた。
「――アレクセイさま、眠れてないのですか?」
血の滲む包帯だらけの少女が、私を見て首を傾げた。温かな紅茶の入ったティーカップをソーサーごと私に差し出しながら、目を細めている。
「皆さんが心配してましたよ。少しは休まないといけないです」
「君こそメンテナンスはどうした?」
「大丈夫です。元通りになおりました」
少女……は、屈託なく笑った。
よく私を見て笑えるものだ、と思う。
騎士団長としての職務や魔導器の研究を進める傍ら、私は彼女の力を調べ続けていた。調べるという言葉の生易しい響きに反して、殆どの行為は彼女の体に必要以上の負荷を齎すものだ。しかしは笑う。生きているだけで儲けもの、とでも言うように。
一度全てを失い絶望しきった彼女にとっては、このぐらいでは痛くも何ともないのだろうか。
絶望の淵に落ちた人間を見るのは初めてではなかったが、その淵に落ちて尚、こんなにも生き生きとした感情を保っている人間は彼女が初めてだった。
はそっと紅茶をテーブルに置きながら話す。
「包帯をかえてから来ようかと思ったのですが、かえの包帯を頼むには誰かを起こさなくちゃいけなくて。それは申し訳ないと思ったんです」
何時も気を失っている間に傷の手当てを受けているせいで、備品の置き場所を知らないらしい。紅茶の在処が判るなら、見つけられそうなものだが。
は、独特のゆったりとした口調で続ける。
「そうしたらアレクセイさまのお部屋がまだ灯りがついていたので、お仕事なのかと思い、何か気分転換になるものを……と、紅茶を淹れてきました」
「そうか、有難う」
私を思っての行動だと知ると、それ以上何も言えなかった。
短く答えた後、私は席を立った。不思議そうなの視線を受けながら、棚の一角から薬箱を取る。
「そこに座りなさい、」
「はい」
素直に椅子へ腰を下ろした彼女の前に行き、膝を折る。そして薬箱の中から包帯を出した私を見て、は「だめ」と呟いた。彼女にしては珍しい否定の言葉だった。
「アレクセイさまの手が汚れてしまいます」
首を振ってが訴える。頑なに私に包帯を触れさせまいと体を縮め、包帯だらけの腕たちを隠すようにした。
しかし私も引かない。
「紅茶の礼だ。このぐらいさせてくれ」
「でも……」
「構わないと言っている」
それでも渋る少女の腕を、少し強引かとは思いながらも掴んで引いた。強張るの緊張を解そうと、出来るだけ声音は優しいものになるよう努める。
「私は君に、数えきれないほど感謝しているのだ。たまにはそのお返しをさせて欲しい」
私がそう言うと、彼女は強張らせていた体から力を抜き、照れ臭そうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます」
「可笑しな子だ。感謝しているのは私なのに、そこで君に礼を言われては私がまた返さなくてはならなくなる」
「あ、あれ? そうなってしまうんですか?」
「はは、深く気にすることはない」
血の滲む包帯を取り払うと、白く細いの腕が露になった。傷は彼女が言ったように殆ど治っていたが、そうでない部分もある。
「メンテナンスの時、体拭いてもらったんですけど」
じんわり血が滲む傷を見下ろしながら、が呟く。
「最近、治りが遅いねって技師の方とも話しました……。またアレクセイさまに魔導器の調整をお願いしなくちゃならないかもしれません」
「そうか。より効率よく、負担の少ないようにしていかなくてはな」
「効率を最優先にしてください。負担に関しては幾らでも大丈夫ですよ」
「そうはいかない。君が耐えられる負荷でなくては意味がないのだ」
新しい包帯を巻いてやりながら私は答えた。
の人間離れした能力と義眼魔導器は、いずれ私の悲願を叶えるための大きな力となる。義眼魔導器が完全なものになった暁には、量産と一般兵士への使用が出来るように検討していた。
だから匙加減を少しでも誤りが壊れたとしたら……万が一義眼魔導器が完成しようと、その負荷が常人に耐えられる範疇で収まるはずがない。
結果を求めるあまり先走りしくじるような真似は、あの“船”の件だけで十分だ。を死なせてはならない。少なくとも、今は。
「よし、これで良いだろう」
「有難うございます」
包帯を巻き終えると、はぺこりと頭を下げた。
「とても、嬉しいです」
そう言って顔を上げながら、笑って見せる。
――どうして私を見て笑える?
――君をこの地獄に引きずり込んだも同然な私に向かって、何故?
口には出来ない疑問がずっと渦巻いていた。聞いたところでどうにもならない。何もしてやれない。
私は彼女を“使う”ことを選び、彼女はそれを受け入れた。
変わらない。
これからもそれは、変わらない。
しかしは本当に嬉しいらしく、普段は白い頬を上気させていた。
「私、これからも頑張ります。アレクセイさまがひとりで全部背負い込まなくて良いように」
静かな中に強い決意を秘めた彼女の声音に、私は思わず言葉を失った。
今更動揺するなど、私らしくもない。
幾ら手を汚そうとも、辛い想いをしようとも。挫けず、歪まず、直向きに生きる。
彼女は心から私を案じていた。
「世界のすべてが貴方の敵になったとしても、私は貴方の味方でいたいです。誰よりも世界のために戦っている貴方が報われることが、今の私の唯一の願いです」
真摯な眼差しを此方に向けたまま、優しい子守唄のような声では紡ぐ。
「その為なら何でも耐えれます。何度でも頑張れます。だから私に出来ることがあるなら、いっぱい手伝わせてくださいね」
まるで子を想う母のように深い慈愛。
共に茨の道を歩むと告げる強かさ。
私が心を投げ出したくなる度に、彼女はそれを引き留める。
こんなにも辛く、同時に喜ばしいことがあるだろうか――……。
思わずの両手をとり、力強く握り締めた。
「有難う」
「こちらこそ、です」
曇りのない瞳と笑顔をこの目に焼き付けてから、彼女の手を離す。
「……もう休みたまえ。今日は特に疲れただろう。明日も大事をとって養生すると良い」
「良いんですか?」
「休むことも立派な仕事だ、。技師たちには私から伝えておく」
そう言って頭を撫でてやると、はにかみながら彼女は頷いた。
「じゃあ明日また、此処に来ても良いですか」
「君の休暇だ。自由にするといい」
「はい!」
しっかりとした足取りで立ち上がり、が歩き出す。部屋の扉に手をかけながら、彼女は私を振り返った。
「おやすみなさい、アレクセイさま」
やはり、笑ったまま。
――孤独と静寂が部屋を満たす。机に戻り、私は、の持ってきてくれた紅茶のカップを手にした。中身はすっかり冷めていたが、味に変わりはない。彼女の淹れる紅茶は一級品だ。
「嬉しい……か」
彼女の笑顔を思い返しながら、私は再び書類に向き合った。
この悲願は達成しなくてはならない。今まで私を慕い散って逝った者たちと、の献身を無駄にしないためにも、失敗は許されなかった。
あともう少し。
もう少しだ。
悲願を果たした時、はどんな笑みを見せてくれるだろう?
他愛ない物思いに耽りながら、ひとり頬を緩ませた。
――世界が私を否定しようとも、私を信じるものがいる限り、戦おう。
人生の全てを懸け、あらゆる手段を用いて。たとえ誤った道だと咎められようと、私は止まらない。十字架を背負ったまま、ひたすらに歩む。
可能性がある限り、希望がゼロではない限り、この道を進もう。
絶望の淵にいながら希望を失わずに微笑み続ける彼女のように。
そして悲願を果たしたその暁には、彼女が全ての柵から解放されるよう、身勝手な祈りを捧げた。
彼女を生け贄にした当人である私には、そんな権利がないと知っている。
それでもあの少女の為に祈れる人間は、私しか残っていなかった。
彼女……の為に。
辿り着く道の先に在るものが、光であることを信じて。
彼女が笑って生きるための世界を、この手に掴むまで。
私は、祈る。
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