「ジュディスと私はともだちだよね」

 嬉しそうな声に、私は、ええ、と同じくらい嬉しそうな声で返した。
 ともだち。荒んだ旅を続けていた私にとって無縁になりつつあったもの。バウルとふたりの旅路も好きだけれど、この子たちと、仲間と過ごせる旅もとても好き。テムザまでバウルと私を迎えに来てくれたとき、今この世界に牙をむくものたちへ戦いを挑もうとしているとき、ここに至るまでの道のりは容易くはなかったし苦しいことも多かったけれど、悪くなかったと思える。なんて、ちょっと気が早いかしら。
 そんなことを思うのは、全てがちゃんと終わってからじゃなくちゃいけないわよね。
 はどうしてか、狼の姿で夜風に当たっていた。海が近いから、潮の香りがする。さわさわと風に揺れる白い毛並みは仄かに輝いていて、とても美しかった。こんなに美しい獣がいるなんて。正しくは獣じゃないのだけれど、彼女自身が自分の姿を「狼」や「獣」と主張していたから、間違いでもないのかも。

「冷えちゃいけないから私にくっついて」

 こっそりテントから抜け出してきた私に、は優しく告げて尾を振った。昔、よくバウルにそうしたふうにへ凭れかかると、大きな尾が私の膝の上に来て、とても暖かかった。よく見ると、白狼と捉えていたの姿は、ところどころ違う色の毛が混じっているのに気づいたのはつい最近。今は暗くて判りにくいけれど、若葉の緑や深海の青に似た毛がある。どうして緑と青なのかしら。クリティア族みたい。
 無意識のうちにの尾を撫でていたら、先の「ともだち」という問いかけが来た。
 きっと私たちは友達と呼んで良いのだろう。僅かに噛み合わないものを感じたけれど、それをに伝えるには現状が切迫していて、少なくとも今はふさわしい時期じゃない。今、ありのまま全てを吐き出してしまってもこの優しい狼が拒絶することは無いと判っていても、私にはその慈愛の形と意味によって受け止める覚悟の仕方が変わってくる。それすらもきっと推し量ってしまう優しさだからこそ、尚のこと。

「友達よ。私たちは」
「親友?」
「……そう思ってくれるなら嬉しいわ」

 嘘は吐いていない。少なくとも、嫌じゃない。より近しい存在として想ってくれているのなら。
 小さな笑い声をあげるを見ていると、嬉しさが増していく。喜びを抑えきれないのか、尻尾が動いていて、私の膝の上でふわふわ揺れている。

「やった。たまには欲張りな返事をしてみるもんだねぇ」
「今のが欲張りなの?」
「じゅうぶんに欲張りでしょ? 親友だよ? 私、今まで友達自体がいなかったから」
「……住んでいた街で一緒に遊んでいた子とか、いなかったの?」

 お互い故郷がなくなってしまっていることは知っているから、そういうことをも私も気にしないぐらいの間柄ではあったから、訊いてみた。に倣って、私も欲張ってみたの。
 狼は何とも言えない顔で、細めた目で、星空を仰ぐ。

「うーん……。何かね、色々と面倒な子だったから、私」
「面倒な子?」
「そう。今みたいに力を制御できなかったうえに、たまに、色々読み取らなくていいものまで読み取ってしまってたというか……」

 尻尾の動きがぱたりと止んだ。力無く見えたから、その尾をそっと撫でてあげた。言い淀む彼女へ“大丈夫よ”と――とにかく何かしてあげたくてこれくらいしかできなくて――伝えるつもりで、優しく、やさしく。
 それが効いたのかは判らないけれど、ややあって、は再度語りだした。

「……成長がおっつかないくせに力の方が勝手に働いちゃって、いわゆるその……人の残滓というか、その、そういう系がわかってしまうというか……アレ的なものが……」
「お化けのこと? わざわざ濁さなくても大丈夫よ、私はそういうの平気だから」
「あ、そ、そっか。なら良かった……。いや、良いのかな? まあ、良いってことにしよう……うん」

 尻尾がまた動き出す。言葉の方はともかく、内心はいつもの彼女に戻ったみたい。

「そういうわけで、私、友達はいなかったんだ。どれだけ面倒な人間かは自分が一番判ってるから、今思えば仕方ないなあって」

 でも、この子は油断したらすぐ感傷に溺れてしまいそうな調子だったから、言葉でもしっかり訴えようと私は決めた。

「勿体ないわね」
「え?」
「聞こえなかったのかしら? 勿体ないわねって言ったの」

 きょとんとした狼が此方を見つめて動かなくなる。
 その狼の顔に両手を添えて、頬を寄せた。柔らかく眩い白毛に、優しく何度も頬擦りして私は繰り返す。

「こんなに素敵な子と友達にならなかったなんて、勿体ないわ。私がその時、その場所にいたら、間違いなく真っ先に“お友達になりましょう”って声を掛けてるもの」
「……ありがとう」

 感謝と共に鼻先をこすりつけるようにして甘えてくれた“親友”に、どういたしまして、と小さく答えた。
 あたたかくて、やわくて、脆くて美しい獣。美しいひと。
 その鋭い牙も爪も、誰かを傷つけてしまわないようにずっとしまっておきたいのに、世界は冷たいわね。そしてあなたは、自分が汚れることを厭わない。仲間の為ならば、誰が、何が止めようとも、一切の躊躇無く仇なすものを裂いて屠る子。放っておけない人が多い私たちの中でも、は少し違う。
 護ることに固執し、依存してしまって、それに気付きながらも、そう生きるしかない子。
 みんなと一緒に私を解放してくれたのに、あなたはずっと、囚われたままでいるのよね。
 私に限らず、みんな、辛いこと苦しいことを、仲間のお陰で乗り越えてきた。それらを抱えながらも重石にし過ぎずに生きる方法を、それぞれで見つけてきた。
 あなたは随分と長い間、錘を引きずって生きてきているのね。
 バウルと通じている時みたいに、不思議と、にはこうして寄り添うと心の波長が伝わってくる。きっとその波を生んでいることに彼女自身は気づいていない。そして、ナギーグを持たない私以外の仲間にはその波を読み取ることが出来ない。
 私がこの心に気づけて良かった。
 私だけでも気づけて良かった。
 この想いを、溢れるだけ沢山の痛みを、誰も知らずにいたら、あんまりだもの。

「ジュディスとこうしてると、何だか落ち着く」
「それは良かったわ」
「何だか不思議。とてもあたたかいもの……温度とは違うあたたかいものを、ジュディスが私にくれている気がするの」

 狼少女は、今にも泣き出すのではないかというほど、切ない声で紡ぐ。

「狼だから、毛がぬくいだけだよね、多分。変なこと言ってごめんね」
「ちっとも変じゃないわ。あなたらしいもの」

 他の誰よりもこの子に深く長く寄り添って、その全てを独り占めにして囁く。
 何も知らない狼は、触り心地のいい耳をぴくりと揺らしてから、ありがとう、とまた告げる。

「このまま夜を明かしても良いかしら。いつもみたいに」
「うん、冷えないようにちゃんとくっついていてね」

 改まって私を抱え込むように体勢を整えた狼に小さく頷いて応じ、私は瞳を閉じた。

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