一瞬だった。血飛沫が舞った。コマ送りのように、の体が緩やかに傾いでいった。
血に塗れ、静かに音もなく地に伏したその体は、ピクリとも動かない。
頭の中から全てが吹き飛んで、荒々しく叫びながらユーリは突進した。
敵は巨大獣ブルータル。この辺りの魔物を群れとして率いるものだった。ユーリの剣はブルータルの鼻っ柱を深々と抉り、鮮血を散らす。大きく吠えたブルータルは踵を返し、森の奥へと退却していった。これ以上戦っても割に合わないとでも判断したのか、ともかくあの獣はただ獰猛なだけではないらしい。
はあはあと肩で息をしながら、ユーリは振り返った。
ぐったり倒れたまま、は瞼を閉じている。駆け付けたエステルの治癒術を受けて、少しばかり顔色が良くなっていた。
「は!?」
「だ、大丈夫です。角の振り払いで大きく切られてしまってはいますけど……血も止まって落ち着いています」
エステルと共にの容態を確認していたリタが続ける。手際よくマントを広げて、の体へ被せながら。
「義眼魔導器の術式で超再生が行われたからね。あたしたちだったらこうはいかないわよ」
言われてみれば、の瞼は閉じられていたものの、義眼側のそれはぼんやり輝きを伴っているように見えた。
――良かった。
ほっとユーリが胸を撫で下ろし、エステルの治療が終わった頃。件の少女は長く微睡んでいたような呑気な唸りと共に意識を取り戻したのだった。
……は大丈夫だと主張したが、一部始終を見た仲間たちはとてもそうは思えず、この日はデイドン砦に泊まることが決まった。少し早めに買い出しや夕食を済ませ、各々テントへと入っていく。ただ、はひとりでテントを使用したいとユーリに訴えた。
「きっとエステルは私と一緒になったら、私の傷のことで眠ってなんかいられないよ。良いでしょう?」
「だからって一人でいたら、何かあったときどうすんだよ」
「大丈夫だって。もうそんなに酷くないから! ちょっと素材の整理もしたいし。お願い」
「あのなぁ……」
嘆息するユーリを諭したのは、相棒犬ラピードだった。
「ワンッ」
「……まあ、ラピードがそう言うなら、仕方ねぇ」
ユーリが渋々承諾すると、は安堵したように笑ってテントへと入っていく。エステルの心配そうな眼差しをその身に痛いほど感じていたはずだが、わざと気にしないでいるのだろうか。それとも痛いからこそいそいそとテントに隠れたのか。
の入ったテントのそばにラピードが座るのを見て、「オレたちも休もうぜ」ユーリは残った仲間たちに呼びかけた。
それでも、ユーリはやはり、彼女のことが気がかりだった。
――が、裂けた自分の服を修繕し終わった頃にはすっかり夜が更けていた。針仕事は嫌いではないが、まだ傷の癒えきらぬ体には少し響いた。ゆっくり伸びをしてみるとやはり胸元の傷は存在を主張するように痛みを発してくる。
……意識を集中して大気中エアルを体へ導く。ふわりと舞う光が傷へと集まり、包み、癒す。それだけでだいぶましになった。
出血はとうに止まっていたから包帯も必要ない。直した服を着て、そろそろ眠ろうかと横になりかけた時だった。
「」
「はい?」
テントの入り口から控えめな呼び声がした。反射的に返事をして体勢を直した彼女は、慌てて顔を出す。
外に立っていたのは、ユーリであった。何か重たいものを腹の底に沈めたような顔をして、を見つめている。
「ちょっといいか?」
「え? あ、どうぞ」
入り口から退いて奥へとが引っ込むと、暗い顔のままユーリはテントへ入ってきた。
は瞬きした。ユーリに心配をかけたのは間違いないだろう。何せ彼の前で攻撃を受けてしまった。仲間を大切に想う彼の前で。飛び散る血も、倒れる様も、全てを見たはずだ。痛みをこらえて歯を食いしばっていた際、ユーリの獣のような叫びを聞いたのを覚えている。
は、おずおずと口を開いた。
「あの……。その、ユーリにも心配かけたよね。ごめんなさい」
「オレこそ悪かった。……本当に大丈夫なのかよ、怪我」
「へ? いや、ユーリは悪くないでしょ?」
「おまえが割って入ってなかったらオレが……ああもう自覚してねぇならいい! 怪我だケガ」
嘘や誤魔化しは通用しないとユーリの眼差しは鋭くなる。しかしその険しい表情が、不安と心配の表れであることをはしっかりわかっていた。いくら口で説明したところで彼が納得しないだろうとも。
――大切な人を守りたいのは、私もユーリも同じだものね。
やや考えて、は顔を上げた。
「ちょっと待ってね」
さっき着たばかりの服を、少女はするすると脱ぎだした。突然の行動にユーリも目を丸める。「何してんだ、おまえ……!」焦る彼の声を聴き流しつつ、コートや上着を脱ぎ捨てたは、ちょうど傷を負った箇所、胸元を露わにした。
「ね? ちゃんと治ってるでしょ?」
出血は無い。傷もほとんど癒えて、赤い痕がうっすら見えるぐらいだ。その朧げな傷跡を指しながら、は説明する。
「血もすぐに止めて、傷も出来る限り塞いだから。更にエステルも治してくれたしね。このアザも、何日かしたら消せると思うよ」
「……ホントか?」
「ホントにほんと。ほら」
呑気なは、珍しく狼狽えているユーリの手を掴んだ。その手をそっと自分の胸元……ちょうど傷の真ん中あたりへと導いていく。
ユーリは緊張で若干手を強張らせながらも、に促されるまま、ゆっくり彼女の肌へ触れた。恥ずかしげもなく半身を晒して微笑む様子通りに、実際に触れた感触からも、傷の存在はすっかり薄れている。緩やかな脈と温もりが手から伝わってきて、ユーリはようやく僅かばかり安心した。
「あの怪我がこんなすぐ塞がるなんて、すげえもんだな」
「私の人一倍しぶとい生命力と、エステルの超治癒術のなせるワザだね。でも正直言うと、強く押したりするとまだ痛むかも」
「は……!? 大丈夫じゃねぇじゃねーか」
「よっぽど強い掌底とか食らわなきゃ平気だよ」
がようやく手を離したので、ユーリも彼女の傷から手をどける。いくら本人が平気とはいえ、今日負ったばかりの怪我だ。そう触っていていいものではない。我慢の上手なの『大丈夫』は信用ならないのだ。触った感覚は確かに傷が出来た箇所とは思えないほどだったが、その内まで完璧に癒えていないと自身が自覚している。ならばユーリは尚更気を緩めるわけにはいかなかった。
「いきなり脱ぎだすから何事かと思ったぜ……」
「見せた方が早いでしょ。ユーリになら」
「あー……うん、まあ、オレ以外の奴にまでそうやられちゃアレかもな」
怪我の心配で手一杯だったユーリの返事は、とても曖昧なものだった。その反応を見て、はくすくす笑いながら服を着る。
「ちょっとだるかったけど、なんかユーリ見てたら楽になってきたよ。美男は薬にもなるんだねぇ」
「からかうなっての」
「実際、私にはユーリが薬になるんだよ。きっと。だからこんなに楽しい」
「楽しむなよ……」
身だしなみを整え微笑むをちらりと見ると、溜息を吐きながらユーリは身を乗り出した。両腕でをそっと抱き寄せ、腕の中に閉じ込める。優しく、柔らかい、そっと行われた抱擁。は一瞬驚いたものの、彼の温度に心地よさそうに目を細め、体の力を抜いて身を任せた。
の背中をさすりながら、ユーリは呟いた。
「おまえの薬がオレなら、オレの薬もおまえだ。無理すんなよ」
「うん、ごめんね。無茶するユーリに似ちゃったのかもね、私」
「……オレも気ぃ付けるから、おまえも気ぃ付けろ」
わかったな、というように強められた腕の力に、胸の奥が切なく痛む。傷とは違う愛おしい痛みを感じながら、は静かに頷いた。
正直、怪我をするのは怖い。けれど大切な人を傷つけられるぐらいなら自分が傷つくほうを選ぶ。それだけのことだった。ユーリも全く同じだと知っていながら、は行動してしまった。
自分が倒れた後、ブルータルに切りかかった彼の激昂の声はいまだ鼓膜に焼き付いている。彼の一撃で魔物が去ってよかった。エステルの治癒術が有難かった。こんなに心細そうな彼に申し訳なくなった。それでもきっと、同じようなことがあればまたこの身を晒してしまう気がして、
「もうこんなことさせねぇからな」
……けれど、きっとユーリが許さないだろう。
自分も無茶をするくせにそのことは棚に上げて“傷つくな”という困った彼が可愛くていとおしくて、「うん」と素直に応じるしかなかった。
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