「ジュディス、ここにいたんだ」
呼ばれて顔を上げる。穏やかな、真綿にくるまれた心地になるような声。のものだ。私にとって甘い毒のような存在。と関わるたび、接するたび、私は、その柔く甘い蜜に感覚を持っていかれる。警戒心の壁は容易く溶かされ、その甘味の侵入を許してしまう。それは私だけに限ったことではない。の毒のような優しさは、仲間内全体に広がっている。抵抗なんて、諦めたらいい。
この甘さに守られていたという彼女の亡き弟妹が、少しだけ羨ましかった。
「よっ、と」
が私の隣に腰を下ろす。この崖からは広く森が見渡せる。エステルやカロルあたりには「危ない」と言われそうだけれど、見晴らしが良いところは好きだった。
「広いねえ、ここ」
「そうね。でも、森が好きでしょう?」
「ジュディスも嫌いじゃないくせにぃ」
肘で脇をつつかれて、私は笑った。確かに嫌いじゃない。静かな森は落ち着く。空気も美味しいし、魔物にさえ気を付ければ快適な旅が出来る。
こんな風にと穏やかに話すことだって。
「あら、お嬢さんがた、ここにいたのね」
との二人きりの時間は呆気なく終了した。
……やって来たレイヴンによって。
ひょこひょこと歩きながらレイヴンは私たちに近寄ってくる。飄々とした彼の性格を表しているような動きだった。
レイヴンは当然のようにの隣、私の反対側に座る。彼もの甘さにやられているひとり。私は知っている。
「ちゃんもジュディスちゃんもいないって気付いたら、おっさん寂しくなっちゃって探しに来ちゃったわよ」
「何も言わずにすみません。でも寂しいなんて大袈裟ですねぇ」
大袈裟なんかじゃないわよ、と口を尖らせるレイヴン。あからさまにに甘える素振りだ。「すみません」と言ってがレイヴンの頭を撫でる。レイヴンは、でれっでれの笑みでそれを甘受していた。ああもう、は本当に甘い。誰にだって甘い。自分を狙う、怖いこわい狼に対してまで。、気付いてる? レイヴンは狼なのよ? あなたが思ってるほど誠実じゃないんだから。
の影からレイヴンを見つめる。すっかり舞い上がっているレイヴンと目が合った瞬間、私は、あっかんべえをしてやった。我ながら子供じみた反撃だと思うけども、何かしてやりたくて仕方無かった。
「まっ!」
レイヴンには私の敵意が十分に伝わったようだった。驚いたような声を上げて、肩を跳ねさせた。
「レイヴンさん?」不思議がってが首を傾げる。もちろんに私の姿は見えていないから、当然の反応だ。
「な、何でもないわよ。ちゃん」
「そうですか」
の手がレイヴンから離れ、視線が崖の下に向く。
「あまり下を覗くと危ないわよ」
「うんー」
私の忠告を聞いているのかいないのか、は生返事だ。そんなの左手をたぐり寄せるようにして掴む。きゅっと指を絡めて握って、万が一が落ちようものならすぐに引き上げられるよう構えておく。
「ジュディス?」
「落ちないようにおまじないよ」
「そっか、ありがとう」
が私に向かって微笑む。すると、
「じゃあ、こっちの手はおっさんがおまじないね」
そう言ってレイヴンがの右手を取った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
語尾にハートマークが付きそうな勢いのレイヴンと、涼しい笑顔を保つ私の間に、間違いなく火花が散っていた。ちり紙でも間に突っ込んだら火がつくんじゃないかしら? を取り合う私たちの間に甘さは無い。
「あら、馴れ馴れしいんじゃなくて?」
「おっさんとちゃんの付き合いの長さからしたら普通だわよ?」
「そうかしら?」
ひりつく私たちを他所に、は呑気に空を見上げていた。「今日は空が近いなあ」のどかな#$の呟き。のこういう鈍いところ、嫌いじゃないわ。まさか両隣で自身の争奪戦が繰り広げられているとは夢にも思ってないんでしょう。それどころか私とレイヴンは仲が良いと思っていそう。ええ、仲は悪くない。趣味も良いと思う。ただ、のことに関してはお互い譲れないだけで。
「二人とも、気を付けて」
の静かな声と共に、私とレイヴンはぐんっと体を後ろに引っ張られた。少し後ろに下がった私たちに、は言う。
「前のめりになってた。危ないよ」
「あら、ありがとう……」
「悪いわねぇ」
は力持ち。きっと私たち二人が崖から滑り落ちたとしても、ひょいっと一気に引き上げてしまうのだろう。繋いだ手だけで、こんなにパワフルなのだから。
私とレイヴンは顔を見合わせて苦笑した。の言動で一気に毒気が抜かれたようだ。争いは二人だけの隠し事にして、私たちはに倣って空を見上げた。
の言っていたように、今日は、空が近い。
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