「ねえチップ、眼鏡貸して」
「おう、良いぜ」
の申し出に快くチップは眼鏡を取り出す。受け取るなりは、早速その眼鏡をかけてみた。……度が入っている様子はない。つまり伊達眼鏡というやつだ。恐らくその方が大統領っぽいとか、偉そうだとか、箔がつくだとか、そんな理由なんだろうとは推察し、しかし、思いなおす。大切なものだとチップは言っていた。そんな単純な理由で、大切なもののラインナップにこの眼鏡が入るだろうか。
……はおずおずと眼鏡を外し、チップに返した。
「ごめんね、大切なものなのにいきなり」
「気にすんなよ。俺とオマエの仲だろうが」
笑ってチップはの頭を撫でる。そして受け取った眼鏡をかけた。
頭を撫でてくるのはチップの癖らしい。は彼に撫でられるのが好きなので、気になったことはあまりない。
眼鏡のテンプル部分を持ち上げながら、やけに凛々しい顔でチップはを見る。
「……どうよ?」
「似合ってるよ」
「だろだろ?」
「かっこいい」
「照れるじゃねえか」
少なくともは本当にそう思っているし、きっと周りの人間もそう思っていると考えているので、チップが照れる理由が分からなかった。
元から端正な顔立ちなのだから、大概のものは似合うし格好いいに決まっている。
「チップはチップが思っている以上にかっこいいよ」
なので、は素直にそう感想を述べた。
凛々しく決めていたチップは、の純朴な感想に、つい頬を緩める。
「オマエ、結構恥ずかしいこと言うよなぁ……」
そして恥ずかしさを誤魔化すように、またの頭を撫で始めた。あまりにもわしわしと撫でられて、髪の毛が少しぼさぼさになってしまう。それをが直そうとするより早く、気づいたチップが撫でつけて直してくれた。
「悪いな、ぼさぼさになっちまった」
「良いよ。撫でられるの嫌じゃないもの。それに直してくれたでしょ、ありがとう」
「そりゃまあなぁ……」
チップは何か言いたげに口ごもる。
は首を傾げた。どうしたのだろう、何か気に障ることでも言ってしまっただろうか? 困ることでもしてしまっただろうか? それとも……。
考え込んでいるうちに、はチップにぎゅうっと抱き締められてしまった。
きょとんとする。
「どうしたの? 寂しくなった?」
「……そんなんじゃねぇよ」
チップは自分でもこのこそばゆい感情にどう説明をつけたら良いのか分からなかった。
……の純粋さは曇ることを知らない。出会った時からずっとだ。裏表のない明るい性格で、王国の住民たちにも好かれている。「お嫁においで」なんて声を掛ける住民がいるのもチップは知っている。気持ちは分かる。
の料理の腕前は確かだ。気配りもさすが数百年を生きてきただけあり――本人がそう言うからにはそうなのだろうとチップは思っている――、よく出来る。こまめにアンサーの手伝いもしているし、他の住民との交流も欠かさない。そしての淹れる緑茶は……美味い。
ただ、あまりにもは人を素直に褒める。褒めに褒める。誰のこともよく褒める。本人曰く「おばあちゃんからしたらみんな可愛いんだもの」とは言うが、見た目がどう見てもおばあちゃんとは程遠い。あまりに褒められて「もしかして惚れられている?」と勘違いする輩が出ないとも限らなかった。
そう思うと、今自分に向けられている褒め言葉は、他の誰かに向けられているものと同じ重みなのかと感じて、複雑な思いがした。
「いや、寂しいのかもしれねぇ」
「どうしたの、がそばにいるよ?」
「だからっつーか、何つーか……」
「うん?」
どう説明したものか。チップが言葉を整理しているのを、は彼の腕の中でじっと待つ。
「誰にでもオマエは優しいからよ……。ちょっと不安になるっつーか、大丈夫かなっつーか」
「誰にでも優しくは無いよ~? かなり甘やかす人選んでるよ~?」
「本当かぁ?」
を抱き上げ、チップは顔を覗き込む。
は両手をチップの頬に当てて、「本当だよ~」と笑う。そのまま顔を寄せて、彼の額と自分の額をこつんとくっつけた。
「チップとアンサーは特別甘やかしてると思うよ」
「俺だけじゃねぇじゃん」
「なに? ご不満?」
「不満っつーか、なぁ」
チップの言葉はまた歯切れが悪い。は困ったように微笑んだ。
「分かってる。チップとアンサーでね、気持ち、全然違うから。安心して」
「……本当か?」
「だって……」
は額を離し、彼の唇に自分の唇を重ねた。突然のキスにチップは目を丸める。
数秒してから離れると、はにっこり笑った。
「こういうこと、チップじゃなきゃしないもの」
「……そりゃ、俺以外にされたら困るぜ」
だよね、と今更恥ずかしそうには頬を赤らめる。
「っていうかフツーに考えてそうですよねぇ。でもでもチップだけなのは本当だし……。チップじゃないと嫌だし……。うう~ん、何だろう、今日のチップが何かヘンだから私まで釣られてヘンになっちゃってる!」
「オマエが変わってるのは今に始まったことじゃねえだろ?」
「あっ、それヒドイ!」
チップに抱き上げられたまま憤慨する。じたばたともがいているが、支えるチップのほうはびくともしない。それだけが軽く非力だということでもあった。少しチップは心配になった。
出会った時からは小さかった。もう既に成長が止まっているのかもしれない。なにせ数百歳だ。怪我をしていたからそれでやつれた分が戻ってきていないとも考えられる。ここで暮らすようになって食事も休養も足りているはずなのだが一向に肉がつく気配がない。そういう体質なのだろうか。
もう少しでいいから太ってほしい、とチップは思っている。その方が安心するからだ。今のままでは容易く折れてしまいそうで不安になることがある。
「暴れられても痛くも痒くもねぇ」
「くやしーっ!!」
「肉食え、肉」
「食べてるー!」
可哀想になってきて、チップはを下ろした。するとは、チップの胸をぽこすかと叩いてきた。まだ怒っているらしい。
「体質の問題をツッコむのは失礼なんだぞー!」
「悪かったって! でもよ、心配だろうが」
「うう……それは申し訳ない」
叩くのを止めて、は大人しく頭を下げた。チップも何だか申し訳なくなる。決してのせいではないし、は悪くない。こちらが勝手に心配しているだけなのだ。
「もっとグラマーになるよう頑張る……」
「いや、そうじゃなくてな。健康ならそれで良いんだよ」
ついまたの頭を撫でながら、チップは言った。そんなチップの優しさに、は顔を綻ばせて頷く。
こうしていると恋人同士というよりは兄妹か何かのような感覚を覚える。しかしチップはの女性としての顔を知っている。何とも不思議な気分だった。
眼鏡越しにを見下ろして、チップは言う。
「ありのままのオマエが好きだからな」
「……そういうのずるいよ」
はチップを見上げて、赤い顔で呟いた。
チップはにそっと顔を寄せた。その時、わずかに眼鏡がずれたのに気づいて、眼鏡をかけていたことを思い出した。
「眼鏡邪魔だな……」
「ぶつかっちゃいそうだね」
「だろ?」
片手で眼鏡を外し、懐にしまったチップは、改めてに顔を寄せる。もそっと目を閉じてチップを待つ。
ゆっくりと二人の唇が重なった。
はチップの肩に腕を回し、チップはを抱き上げてベッドに座った。膝の上に座るをしっかり抱き締めて、チップは口づけを続ける。
……が肩を叩いてきた。苦しくなってきたのだろう。その合図を受けて数秒経ってから、チップは唇を離した。それまで律義に離れずにいたがいじらしく愛らしい。チップは赤らんだの頬にキスをした。
「すぐ息が上がっちまうな、可愛いの」
「だって、息の仕方わからないし……」
長命のわりにこういったことにはとんと疎い。恐らく恋愛経験をほとんど積まずに生きてきたのだろう。逆に恋愛に長けたを想像などすることができない。チップの勘と推察ではあったが、彼の勘が外れることは無かった。時に魔術の類なのでは、と思われるのも無理はないほどに。
まだ呼吸を整えているに、チップは笑った。
「これから覚えていきゃ良い。嫌っていうほどキスしてやるから」
「チップ……!」
「って訳で、もういっぺんしとくか?」
チップが、つ、と右手での細い顎を撫でる。
びくりと体を跳ねさせては戸惑った。どう答えたら良いのだろう。私はどうしたいのだろう。私は――。
迷っていると、チップの顔が近づいてきた。
「……本当にしちまうぞ?」
低く囁くような声に、ぞくりとする。はゆるりと頷いた。
「してほしい……」
おぼろな声音に、にやりと笑ったチップは、をベッドに押し倒しながら口づけた。
逃げ場を完全に失ったは、――自業自得ながら、チップにされるがまま。
体をあやしく這う彼の手、口内を優しくなぞる彼の舌。
が少し怖くなって彼の胸板に触れると、一瞬唇が離される。それから再び視線だけで「良いか」と尋ねられて、視線だけで「良いよ」と答えると、また口づけが始まった。その繰り返し。
すっかりの息が上がった頃、チップは本当に唇を離した。震えるの唇を舐めて、じわりと汗の滲む小さな額にキスを落とす。
「頑張ったな、よしよし」
「ふぅ……」
「これからももっとしてやるから安心しろ」
――安心はできない、かも。
たえだえの息で、は思った。
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