書類の山と向き合うアンサーに、休憩の緑茶を持ってきた。
「ありがとう、そこに置いておいてください」言われるがままに机の上に緑茶を置いてから、は問う。
「もしかしてコーヒーの方が良かったかな?」
「大丈夫ですよ」
「なら安心」
盆を戻して、はアンサーの側に座った。もで、書類の山と向き合う。アンサーから割り振られた分だ。ただその高さは、アンサーが受け持つ分よりずっと低い。これでもが書類を片付けるのとアンサーが片付けるのはほぼ同時になることが多いのだから、アンサーの仕事のハイペースぶりには目を見張る。
ただその分、負担も大きいということで、は心配だった。
「――ふう、一段落」
今日も今日とて書類との戦いに勝利したアンサーは、椅子の背もたれに寄りかかった。すっかり冷めた緑茶をすすり、はあと息を吐く。
もちょうど今日の仕事を終わらせて、アンサーに書類を持ってきた。
「お疲れ様、アンサー」
「もお疲れ様でした。助かりましたよ」
「ううん、アンサーに比べたらこのぐらい……」
「私が助かっていると言ってるんです、素直に受け取ってください」
笑うアンサーに、ほっとしたようには笑い返した。
「良かったぁ……。アンサーの負担、少しでも減らさなくちゃだからね」
眼鏡を外して目頭を揉むアンサーを見ながらは呟く。
……そう言えば、アンサーの視力はどれほど悪いのだろう?
「あ~……」と呟きながらマッサージを続けるアンサーに、は問う。
「アンサーって視力悪いの? どのくらい?」
「仕事に追われるようになってからみるみるうちに近眼になっていきましたね」
「どのくらい近眼なの?」
が首を傾げると、アンサーは宙を仰ぎ見た。
「どのぐらいと言われても……。そうだ、試しに掛けてみます?」
そう言ってアンサーは、普段かけている眼鏡を差し出してきた。
はわくわくしながら眼鏡を受け取ると、早速かけてみる。少し大きいとかそういうことより、その度の強さにはぎょっとした。くらくらする。目に変な力が加えられて、視界を圧迫してくるような、表現に困る不安定さが襲い掛かって来る。眉間に酷い皺が寄った。
すぐさま眼鏡を外してアンサーに返す。
「ものすごく目が悪いことは分かったの……」
「眼鏡が無いと致命的ですからね」
その致命的な眼鏡を机に置いて、アンサーはの方を見た。
「この距離でも、の顔がぼんやりとしか見えませんから」
2メートルあるか無いかの距離でアンサーは苦笑している。
は数歩近づくと、アンサーの顔を覗き込むような姿勢をとった。
「じゃあ、この距離はどう?」
「だと分かりますよ、ぼやけてますけど」
「じゃあ……これは?」
もう数歩近づく。
「まだぼやけてます」とアンサー。
はもう一歩近づいた。殆ど彼の目先だ。
「このぐらいでやっと?」
「ええ、やっとですね。……」
呼ばれてが返事をするより先に、アンサーは口布をずらし、の顎に手を添えていた。
ごくごく自然な動作から、はアンサーのキスを受ける形になる。触れるだけのあっさりしたものだ。
数秒でアンサーはを離すと、にやりとした。
「あんまりちょうどいい距離なものでつい手が」
「も、もう……! 誰か来たらどうするの」
「来ませんよ。お頭もどっかほっつき歩いてますしヒヨリィたちも基本的に別所での仕事なんですから」
口元を押さえて真っ赤になるに、アンサーはさらりと返す。
「誰か来るとなったら私もこんな不用意に貴女にキスしてられませんよ」
「キスって言わないの!」
「キスはキスでしょう?」
「ふ、不意打ちだから、今のは不意打ちだから!」
よく分からない主張をし始めるに、席を立つアンサー。引け腰のに詰め寄り、その腰に手を回し、優しく捉える。は「うっ」と声を上げた。
「そんなに拒まれると傷つくんですが」
「拒んでるわけじゃ……」
「ああ。『恥ずかしい』と」
図星だったのだろう。アンサーの指摘には押し黙った。アンサーの拘束から逃れようともしないので、拒んでいるわけではないと最初から分かっていてあえて彼はそういう言葉を選んだ。こういうふうにすれば押しに弱いのことだ、反論も抵抗も出来ずに大人しくなるだろうと踏んだのだ。そしてそれは見事的中した。
実には分かりやすい少女である。
「今のがキスじゃないなら、にとってのキスは何になるんでしょうかねぇ」
「え、えっと……」
「物足りないということですか」
アンサーが耳元で囁くと、が震えた。真っ赤になって「そういうわけじゃ……」ともごもご呟いている。
「ちゃ、ちゃんと、するときは、するって言って欲しいの……。心の準備があるから……私……」
いじらしい姿にアンサーの胸はきゅっと締め付けられた。
いくら繰り返してもの反応はいつも新鮮だ。恋仲らしい行為に慣れるということが無い。恐らく彼女は、心のどこかで「自分が誰かの恋愛対象になるなどありえない」という考えが深く根付いており、事実としてアンサーの恋愛対象になったことを未だに受け止めきれずにいるのだろう。
「があんまり可愛らしい反応をするから、不意打ちしたくなるんですよ」
「っわ、私は可愛くない!」
「可愛いですよ。可愛くてたまりません」
柔らかな彼女の髪を一房掴んでキスを落とす。ひゃあ、とが小さな悲鳴をあげたのをアンサーは聞いた。
――ほら、可愛いじゃないですか。
「あ、アンサーきっと疲れてるんだよ。ゆっくり休んだ方が良いの」
「ええ、ええ。疲れていますとも。ですからに癒されたい」
「に?」
「そうです」
ぎゅうっと抱き締めると、もまたアンサーの背中へと腕を回してきた。
アンサーに埋もれながらも、必死にアンサーを見上げて、は尋ねる。
「アンサー、どうしたらいいの? どうしたらアンサーを癒せるの? 私に出来ることならなんでも頑張る」
「じゃあ、そうですねぇ……。からキスしてくれません?」
大して悩むことなくあっさりアンサーが言うと、はぎょっと目を丸めた。
「こっちから!?」
「嫌ですか」
「い、嫌とかその前にね……」
急にはしゅんとした。
「は小さいから……頑張って背伸びしても顎に届くか届かないかなので……出来ないかも」
――ああ、また可愛い……。
アンサーは何も言わずにを強く抱き締めた。
はきょとんとしたまま抱き締められている。頬はやっぱりほんのり赤い。
アンサーは一度腕の力を緩めると、の顔を覗き込むように体勢を変えた。
「これならどうですか? 背伸びしたら届くでしょう?」
「うん! 届くね!」
「じゃあお願いします」
アンサーはそう言って、の行動を待った。
は、アンサーの背中に回していた腕を、アンサーの首に持って行った。そして彼を抱き締めるようにして背伸びをすると、そっと、彼の唇に自分の唇で触れた。ちゅ、と一瞬音がしてすぐ離れてしまった。
しかし、キスはキスだと言いたげには笑っている。
「はい! しましたよー」
「ええ~……もうちょっと欲しかった……」
「ワガママな子だねぇ。じゃあ……もう一回」
アンサーのイチかバチかのおねだりに、は快く応えてくれた。くすくす笑いながら、もう一度ちゅっと触れるだけの口づけがされる。そのまま離れてしまう前に、アンサーはの後頭部を捉えた。「ちょっ、アンサー」が何か言うのも構わず、に何度も口づけする。その額に、その瞼に、その頬に、その唇に。くすぐったそうにが笑い声をあげている。それを聞いてアンサーも小さな笑い声をあげた。
「すみません。つい我慢できなくなりました」
「良いよ、私も嬉しいから」
「ならもう少し……」
「それはだめ」
はアンサーの腕からするりと抜け出ると、机の上の眼鏡を取った。
ぽかんとするアンサーのもとに戻り、背伸びをすると、眼鏡をかけさせる。
「……十分お休みしたでしょ?」
上目づかいで問われて、アンサーは、頷かずにはいられなかった。
アンサーは常々思う。
の年齢不詳ゆえの魅力というか、幼さというか、時に見せる大人びた姿は、どうしてああも胸をくすぐるものかと。惚れた弱みと言えばそれまでだが、それ以外にも何かあるとアンサーは考えている。
最初はに「数百年を生きている」と言われても冗談だとしか思えなかった。の外見年齢で家事をこなすのも珍しいことではなかった。しかし、時折見せる陰りある表情、大人びた態度、こちらを子どものように見つめる眼差しなどから、は本当に長い時を生きてきたのだろう、と思うようになった。
しかし、長生きして来た割には随分と初心で可愛らしい。
そう言ったこととは無縁で生活してきたのだろうか。それとも、記憶がいまだに戻らないだけで、実はそれなりに経験を重ねてきたのか。
後者の可能性も大いにあったが、男心としては前者であってほしい。たとえ後者であったとしても、この想いに揺らぎはないのだが。
……のテントにて、「疲れた時には甘い物だよ」と菓子を提供されながらアンサーは考える。
「」
「なあにアンサー」
「はどうして私を選んでくれたんですか」
はきょとんとした。が、すぐにくすくすと笑い始める。
そんなに変な質問だったろうか、とアンサーが若干落ち込んだ時、は言った。
「好きになったものはしょうがないじゃない」
真っ赤な顔で、満面の笑みを咲かせて。
は、そう言い切った。
――惚れた弱みはお互い様か。
そうアンサーが思った時、
「だってアンサーかっこいいし、優しいし、名前くれたし、仕事できるし……」
急に謎の褒めちぎりが始まったので、今度はアンサーが顔を真っ赤にして慌ててを止めたのだった。
本当にお互い様である。
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