あなた相手にこんな気持ちになるとは思いませんでした。
気が付いた時にはもう遅かった。
怖い夢を見た、と泣いていた姿を見て、その涙を反射的に拭う自分がいて。ああ、あなたが震えている時に寄り添える距離にいて良かったと思った。ハンカチに染み込んでいくあなたの涙を見つめている時に我に返った。俺は何をしているんだろう、と。そして気が付いたんです、この気持ちに。
「急に改まってなあに? おかしいなあ」
「……そう笑わないでください」
あなたが縋りつくように手を握って来たこと、嫌ではありませんでした。私を頼りにしてくれること。私を心のよすがとしてくれること。とても、とても嬉しかった。恥ずかしさもそりゃあ少しはありましたが、もう、そんなことを気にするような間柄でもなかった。、あなたはそういう人だ。いつの間にか人の心の壁をとかしてしまう。距離を縮めるのが上手でした。
「そういうこと考えたこと無かった、そうなの?」
「無意識の行動ですか? ……そうですか」
「なんでちょっと複雑そうな顔なの」
「誰にでもあなたがそういうスタンスで行くからです」
あなたはいつでも奔放で、純情で、穢れを知らない。自分の非力さを嘆いているのをよく見ますが、私からすると、あなたに力は似合わない。そういうことは私らに任せておけばいいんです。だから、くれぐれも一人で何処かへ行ったりしないこと。ボロボロのあなたを見つけて肝を冷やすなんて、もう御免ですからね。
「はいはい気をつけます」
「……気をつける、ではなくて」
いくらあなたの体質が特殊だからと言って、無闇に怪我をするような真似はさせません。こちらの寿命が縮みかねない。どんな怪我でも寝ていれば治ると言われても、それを待っている間、気が気ではないんですから……。
「も~。アンサーは心配しすぎ。私、子供じゃないんだよ」
「そういうところが心配なんですよ。子供のほうがまだ聞き分け良いじゃないですか」
「それはどういうことよ?」
「そのままの意味です」
ああ、むくれてしまった。けれど本当のことなんだから仕方ないじゃないですか。好奇心旺盛で留まることを知らない。美点でもありますが……。
「この間の切り傷、結構深かったでしょう。見せてください」
「えぇ~? もう治ったよ……」
「そう言って誤魔化している可能性があるから念のためです」
が渋々腕を差し出してきて、私は、その腕をとってじっくりと観察した。細くて頼りない腕。簡単に折れてしまいそうだ。申告通り、しっかり怪我が治っていることを確認して、腕を離してやると、「大丈夫だったでしょ」と苦笑するあなたと目が合った。
「アンサーは記憶力が良いものね。怪我をした私のことも忘れられないのね」
申し訳なさそうに呟かれて、私は頷く。
「そうですよ。腕を折って熱を出したあなたの看病、誰がしたとお思いで?」
「アンサーずっと看てくれたもんね……。ごめんね、ありがとう」
昨日のことのように思い出せる。
土砂降りの中、帰って来たの腕がおかしな方向に曲がっていたのを。よくよく見れば擦り傷だらけで、どこかから落ちたのだろうと察しがついた。医者をすぐさま呼んで手当てを済ませて、それから、熱にうなされるあなたの看病をした。たった二、三日のことでしたが、それはそれは心臓に悪かった。いつも呑気な笑みばかり浮かべているあなたの顔はずっと苦しみに歪んでいて……。気を抜けば死んでしまうのではないかと思いました。
「そう簡単に死にはしないよ。知ってるでしょう?」
「それだけ心配だったんです」
四日目の朝、ぼんやりした顔で起き上がったあなたを見て、「どうしたの」なんて聞かれて、心底ほっとした。どうしたもなにもない。ずっとあなたの看病をしていたんですと言った時の「ごめんね」も、私の心を大いに安堵させた。もう二度とあなたにこんな苦しい思いはさせまいと固く誓った。
「だから、何か起きても対処できるよう、出掛ける時は必ず声を掛けてください」
「ひとりでも出掛けられるよ~……」
「言ったでしょう。この辺りの治安は完璧ではないし、あなたには不慣れな道もあるだろう、と」
「ま、まあ、実際あの骨折はそのせいだったしね……。気をつけるよ、うん。ああ、ちゃんと言うよ」
少し不満げに唇を尖らせる姿も可愛らしいと思ってしまうのだから、この気持ちには困ったものだ。
「……アンサーに楽しい記憶、たくさん覚えていてほしいものね」
まるで私に楽しい思い出がたくさん出来たらどこかへ行ってしまいそうな口調だった。そんなことはないと思ったが、一抹の不安は生まれてしまうと心を静かに蝕んでいく。どこから来たのか分からない彼女が、いつどこへ去っていくのか。想像がつかない。共にいることが当然になってしまったから、彼女が去るという感覚が分からない。ただ、想像しただけで胸にぽっかりと大きな穴が開くような、そんな感じがした。
「アンサー、そんなにしょんぼりした顔しないで」
そう言っての手が伸びてきた。私の頬を撫でるように優しく触れてくる。
「は何処かに行ったりしないよ。もうここにいるって決めたもの。アンサーの側にいるって決めたもの」
「本当ですか」
「本当だよ」
思わず聞き返して、しかし、すぐに返事が返って来たことを嬉しく思う。
もう何かを無くしたり、失ったりは、こりごりだ。
を抱き上げると、いつも通り軽かった。いくら食べても太る様子がない。もしかすると、成長自体が何らかの理由で止まっているのかもしれない。
は楽しげに笑いながら、私の頭を抱えるように抱き着いてきた。
「アンサーは力持ちだねぇ。すごい、すごい」
「このぐらい大した事ありませんよ。は軽いですから」
「ありがとう」
軽い、とは決して褒め言葉に限ったものではない。そのことを分かってくれると良いのだが。
もっと重く、この腕にのしかかって来る方が良い。より一層強くあなたの存在を感じられるから。簡単にどこかへ吹き飛んで行ってしまいそうなこの体を、しっかり抱き留めておかなくてはならないから。
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