――真っ白な雪が降っていた。今の季節とこの辺りの気候から、それは有り得ないことだとチップはすぐに気が付く。
 夢、か。
 夢だと自覚した夢の中で、チップは歩き出した。夢だと分かっていても、その寒さは肌を刺すように冷たく厳しいもので、いつかのストリートの日々を思い出させた。雪は降ってからしばらく経っていたようで積もっており、踏みしめるたび、さく、と音がする。
 見慣れない景色だった。木造の小さな家が列を作るように並んでいる。――長屋、と呼ばれるものであることをチップは知っていた。ジャパニーズコロニーにしては若干古びていて、見覚えもない。ここは何処だ?

「お兄さん」

 声を掛けられて振り返る。振り返ってハッとした。そこに立っているのはだった。普段の服とは違って、薄汚れた桜色の着物を着ている。チップが凍り付いていると、は不思議そうに首を傾げた。

「お兄さん、見かけない顔だねぇ。こんな寒い日にどうしたの?」
「い、いや、オマエ……だよな?」
「お前? ? お知り合いに似てるの?」

 どうやらそっくりの少女は、チップのことを知らないようだった。

「わ、悪い。そうなんだ。知り合いにそっくりでよ……」
「そっか、そっか。にしてもお兄さん、こんな寒い日にこんなところで突っ立ってたら風邪引いちゃうよ。ちゃんもきっと心配するよ」

 穏やかに語る声音もやはりそのものだから、チップは何とも不思議な気分になった。そういう少女の方こそ、随分と薄着に見えるし、寒そうだった。
 ではないは、名乗ることもなく、チップを手招きする。

「行くところが無いなら、うちにおいでよ。寒さをしのぐくらいなら出来るから」
「おう……ありがとうな」
「気にしないで」

 少女の家は長屋の一番端っこだった。雪を払ってから少女の後に続いておそるおそる中へと踏み入る。少女の暮らしは随分と慎ましやかなものらしい、ということが分かる。少女は「どうぞどうぞ」とチップを火鉢のそばへ進めた。押し入れから男物らしい羽織を引っ張り出してチップに渡し、その次は茶を入れ始める。

「熱いからお気をつけて」
「ありがとよ」

 渡された湯呑みを片手で受け取って茶をすする。不思議なことに、の淹れる茶を全く同じ味がした。羽織は少し窮屈に感じたが、少女がせっかく出してくれたものだから無下にすることも出来ず、肩にかける。
 ようやく腰を落ち着けた少女は、チップを見やり、薄く笑った。

「お兄さん、誰かを探しているみたいな顔だね。もしかしてさっきのちゃん?」
「ああ? いや、そういう訳じゃねえんだけどよ……はぐれてるって言えばはぐれてるのかもな」
ちゃんは随分とお兄さんの大事な子みたいだねぇ」

 しみじみと呟いて少女が湯呑みを口元に傾けるのを見て、チップは何だか恥ずかしくなった。これは自分の見ている夢だ。その中で、に似た少女にが大事なのだろうと告げられるなんて。大事には違いないのだが……。

「さっきちゃんの名前を紡いだお兄さんの顔、とっても嬉しそうだったもの」

 ……自分の夢なのに敵わねぇとか、そんなことってあるのか?
 チップは茶を啜りながら黙り込んだ。
 すると、少女はチップが気を悪くしたとでも思ったのか、急にしょんぼりとした。

「ごめんねぇ、不躾だったね。誰かと話すなんて久々だから……」
「いや、気にしてねぇから大丈夫だ」
「そう? なら良いんだけど」

 ではないと言ってもうり二つの顔が落ち込むのを見ては気分が塞ぐ。チップが慌てて否定すると、少女は少しだけ元気を取り戻した。
 改めてチップは部屋の中を見渡す。狭くて薄暗い。掃除は行き届いているようだが隙間風がある。さきほど押し入れの中を見た時も布団が二組あっただけ。湯呑みもすぐに二つ出てきたところを見ると、恐らく少女は二人暮らしをしているのだろう。

「もう一人はどうしたんだ?」
「え?」
「独り暮らしじゃねえんだろ」

 チップがそう言うと、少女は苦笑した。どこか泣き出しそうにも見えた。

「今は、ひとりだよ。気にしないで」
「……悪い」
「だから、気にしないでってば」

 やだなぁもう、と右手を仰ぐように振って少女は苦笑を続けた。気にするなという割には少女に落ちた影は強すぎたのだ。
 寒さが沁みる。
 明かりをつけても迫る暗闇には勝てなかった。ここには法術などという便利なものは存在しないようだ。チップも試しに法力を練ってみたのだが、夢の中だからか上手く行かない。現実では考えられないことだった。
 少女が布団を敷き始めた。手伝おうとしたが、大丈夫だと笑ってやんわり断られた。終始穏やかで緩慢な動作の少女は、その割にあっという間に二人分の布団を用意した。

「お兄さんには狭いかもしれないけれど……これしかないから勘弁してください」

 そう言って少女が示した布団は確かに上背のあるチップには少々狭そうだが、十分なほど掛けものが重ねられていた。少女の布団はというと最低限の用意しかなく、目に見えて寒そうである。

「おいおい、アンタが冷えちまうだろうよ」
「私はいつもコレで寝てるから、平気なの。お客さんを凍えさせたりなんかしたらバチが当たっちゃうよ」
「だからってこりゃあんまりじゃねえか」

 そう言うと、少女は困ったような顔をした。何が間違っているのか分からないような顔をしている。本気らしい。
 仕方なく、チップは勝手に布団をいじる。もっと少女に掛けるものを増やすために、自分用に用意された布団から引き抜く。そして少女の布団に足していく。
 それでもこの環境では心許ないが、いくらかはましであろう布団になった。
 ぼんやりする少女を布団に押し込んで、チップは言う。

「これが正しい配分だ、覚えとけよ」
「う、うん……」

 チップも布団に潜り込んだ。夢の中で眠れば、また夢を見るのだろうか? 他愛ない考えが浮かぶ。そのうち部屋を灯していた明かりが消えた。
 暗闇で少女は静かに目を閉じる。闇目の利くチップにはその表情がしっかりと見て取れた。おかしそうに少女は笑っている。

「いつもよりあったかいや」
「だろうさ」
「布団が増えたからなのかな」
「それしかねぇだろ」
「そうかなぁ……」

 何か懐かしむように、少女の声は尾を引いていた。

「誰かと一緒だから、じゃないかなぁ……」

 ……思わず「」と彼女を呼んだ時、チップの意識は、ふわりと闇に包まれていった。
 闇に包まれたチップの意識は現実へと浮上した。目を開けると、誰かと手を繋いでいることに気が付いた。考えるまでもなくの手であった。隣ですやすやと寝息を立てるを見つめ、チップは瞬きした。
 ――本物だよな?
 空いている左手で彼女の頬をそっと撫でると、確かな温もりが伝わってきた。ふにゃりと柔らかな感触も。間違いなくだった。
 そして同時に、夢の中で出会った少女も間違いなくと同一であったとチップは思う。
 だとすればあの寂しいほどの景色は、切ないほどの献身の姿は、一体何だったのか。自分の意識が作り出した幻想にしては、あまりにも覚えがなく、覚えがあり、あやふやなものだった。
 混乱のままチップがを見つめていると、彼女の瞼がふるりと震えて、ゆっくりと開かれた。

「チップ……おはよぉ」
「おう、おはよう」
「うう、今日ちょっと寒いねぇ」

 は身をちぢこめてチップへと寄り添った。チップもそういえば今日は冷えるな、と思った。丁度いいのでを抱き締めて暖を取る。法術を使えば一発で解決する寒さ問題を、横着した。
 自分の中に置き去りにしてきてしまった着物のの分も温められるように、しっかりと。
 チップの腕の中で、はこんなことを口にした。

「懐かしい夢を見てたよ。昔の夢」
「へぇ、どんなだ」
「長屋に住んでた頃、一人になって間もない頃の夢」

 声音は穏やかだった。夢の中のように。

「でも不思議なんだ。チップが出てきたんだもの、そこに。真っ白な雪の中でも、チップの髪の白はとっても綺麗だったよ」

 チップが思わず目を見開くと、それを見上げたは小首を傾げた。「どうかした?」「いいや、別に」まさかそんなはずはない。有り得ない。夢がリンクするなんてことは、きっと。
 だがしかし、チップは夢で見たと腕の中のを重ねずにはいられなかった。夢の中に置いてきたと思った少女は時を経て今自分の腕の中にいる。少女は、は、どれほど寂しかっただろう。どれほど寒かっただろう。彼女はどれほど耐えてきたのだろう。
 寒さが、沁みる。

「オマエも綺麗だったよ」
「へ? え?」
「何でもねえ」

 誤魔化すようにチップは、戸惑うの額にキスを落とした。

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