書類の束を抱えてが歩いていると、「お頭ァー!」というアンサーの絶叫が響いた。ああ、また事務仕事を押しつけてチップは逃げだしたんだなあとは微笑んだ。ここまでくると諦めの境地、笑みすら浮かぶ。
『ぷれじでんと』から頭を抱えてアンサーが出てくるのを見つけ、は駆け寄っていく。

「大丈夫? またなのね?」
「ええ、またですよ。……すみません、追加の資料が来たのですが……」
「任せて。もうだいぶ慣れてきたから」

 チップがこうして飛び出していくのもアンサーたちを信頼しているからこそ。そう言えば聞こえは良いのだが……。
 アンサーの通信は鳴りやまず、書類の山は片付かず、こうもてんてこ舞いだといい加減チップに文句の一つでも投げておけばよかったと思う。思うだけ。実行する労力は無駄だと、やはりとうに諦めた。
 何とかチップに仕事をしてもらう方法は無いかと思いながらはアンサーと話す。

「ささっと片付けて、チップに内緒で、私たちだけで優雅な食事してやろうぜぃ!」
「それは励みになります。の料理は最高ですから」

 そう微笑まれては瞬きした。それからほんのり頬を染める。
 優雅な食事、と言いはしたものの、具体的な内容は何一つ思いついていなかった。しかしアンサーの中では食事イコールの手料理と決まっているらしく、しかもの腕前ならば優雅なものを用意できるだろうとまで思ってくれているのだ。そしてそれを楽しみにしてくれていると言う。
 褒められたことにはすっかり頬を緩ませてしまった。

「おや? すっかり顔がゆるゆるですよ」
「だって~、アンサーがいきなり私のこと褒めるから~……」
「ただ私は意見を述べただけなのですが」

 そう言ってアンサーは、ふやふやにふやけたの頬を何となしに摘まんだ。ふにふにと柔らかい。「にゃに?」と怒るでもなくただただ不思議そうにアンサーを見上げる。この無防備さにアンサーは少々ぐっと来た。そして密かに活力へと回した。
 ――お頭がいないぶん、それなりに俺も得をしてる。
 テントに二人で戻ると、が「富士山だぁ」と書類の山を見て呟いた。

「? 何が富士山なんです?」

 どういうことか聞いてみるアンサーに、は笑顔で答える。

「前にレオがねー、書類の山をチョモランマって例えてたの。だからそれ真似てみたの」
「ジャパンでかつて一番標高の高かった山に例えるとは」
「ちょっとそのぐらいボリュームあるかなって。でもふたりで掛かれば大丈夫だよ」

 腕を組んで頷くに、アンサーは「だと良いですね」と力なく笑い返した。
 二人はせっせと書類に取り組んだ。たまにヒヨリィたちからのキャッチが入って手が止まらざるを得ないアンサーを、は甲斐甲斐しくサポートした。確認してサインするもの、判をするもの、棚にしまうもの……。長く東チップ王国にいることで、も要領を掴んできた。書類の富士山は徐々に小さくなっていく。
 軽い昼食をとってから、一服して、また作業に戻る。

、こちらの資料をお願いします」
「はーい」

 書類から目を離さずアンサーが差し出した束を、は受け取る。作業の甲斐あって、程なくして片付きそうだ。
 が棚を整理している間に、ふう、と溜息が聞こえた。振り返ってみると、椅子に背中を預けて、眼鏡を外し、目頭を揉んでいるアンサーの姿が目に入る。

「終わりなのね! お疲れ様」
「ええ、はい。もお疲れ様でした」
「なんにもだよ」

 は棚から離れると、アンサーに駆け寄った。ぼんやりとこちらを見上げてくるアンサーに微笑むと、そっとその両肩に手を置いた。

「肩揉んであげるね~」

 が両手をしっかり動かして、アンサーの肩を解し始める。少しくすぐったさを覚えたアンサーだったが、の気遣いと、くすぐったさに勝る心地良さに身を任せることにした。

「もう少し強くても良いですよ」
「はーい」

 ――あ、ちょうど良くなった。
 アンサーは眼鏡をかけ直し、の肩もみを受け続ける。小さくて温かな手が一生懸命に自分の肩を解してくれる、その喜びにほんの少し表情を和らげながら。
 肩もみを続けながら、ふとは口を開いた。

「ねえアンサー、そういえばどうしてアンサーは私に敬語なの?」
「あなたが一応年上だから、ですかね」
「ふうん……」

 もみもみもみ。肩もみは続く。

「チップにも敬語なのは?」
「そりゃあ大統領、お頭だからですよ、一応」
「ふむふむ……」

 もみもみもみもみ。そろそろ良い感じに解れてきた。肩が軽くなった気がする。

「私にはヒヨリィたちみたいに敬語使わなくても良いんだよ?」
「そうですか?」
「うん」

 もみもみ……とんとんとん。軽く肩を叩かれて、肩もみが終わったことアンサーは知る。もっとの手に触れていたかった気もするが、終わったのなら仕方ない。
 立ち上がり、肩をいくらか動かしてみる。見上げてくるに、アンサーは微笑みながら告げた。

「ありがとう、。少し楽になった」

 ……すると、はぽかんと口を開けた。そして、その顔をみるみるうちに上気させていく。
 何事かとアンサーが聞くより早く、両頬を押さえたが喋った。

「い、今のタイミングで敬語外して笑顔は反則なの!」

 どうやら恥ずかしがっているようだ。何をどうして、とアンサーは思う。「恥ずかしいことならもっとあっただろ?」アンサーが問うと、ぶんぶんと首を振っては答える。

「た、確かにそりゃああったけれど、何て言うか、こんな、そんな気の抜けたふにゃあな笑顔と素の言葉は乙女心に響いちゃうの!」

 そのの様子がおかしくておかしくて、アンサーの悪戯心に火がついた。言葉を崩したまま、に話しかける。また彼女の顔は赤い。

「そう言えば今日は優雅な食事にしようと言っていたな」
「い、言ったよ。リクエスト有れば受け付けるけど……」
「優雅にするなら……」

 見上げるの顎をくいと掴み、自身の口布をずらしながらアンサーは言う。

「最後のご馳走はか?」

 これでまたの顔は更に赤くなった。鼻先が触れるほどアンサーの顔が近くて、心臓が高鳴る。どくんどくんという脈の音が頭の中でがんがんと響いて、そこにアンサーの気障なほど甘ったるい声が届く。
 ――私、おかしくなっちゃいそう!
 はくらくらになりながら、アンサーの言葉と眼差しを受けていた。

「あ、アンサーね、ただでさえ格好いいんだからそういうこと言うと危ないよ……」
「危ないって、何が?」
「何がというか、何というか」
「ああ、お前の心臓が持たないと。そういうことか」
「そういうこともあるといいますか……」

 歯切れの悪いに、アンサーは微笑んだまま返す。
 遂に鼻先がずれて、唇が重なった。ちゅ、と音を立てたそれはすぐに離れたが、の心臓をオーバーヒートさせるには十分な威力を発揮した。
 ふらふらし始めるの腰にアンサーが手を回し、支える。

「キスだけで随分蕩けますねぇ」
「よ、良かった、アンサーが戻った……」

 口布を戻しながらアンサーがけらけら笑うと、心底安心したようには胸を撫で下ろした。細い腕でアンサーにしがみついて、先ほどまでの衝撃を何とか処理しているようだった。
 ですが、とアンサーは口を開く。

「私の先ほどの言葉は冗談ではないのであしからず」
「あ、えっ?」
「率直に言えばお前が欲しいってとこです」

 あまりに率直過ぎては再び真っ赤になってしまった。
 にやり、とアンサーは口元を吊り上げる。

「まあ、悪いようにはしませんから」

 の「悪いようにされてたまるもんですかー!」という絶叫が響き渡るのと、チップが戻ってきたのはほぼ同時であった……。

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